2001年2月13日(火) 【小学校における英語教育】

 中高大学と計10年間も英語を学び、浪人時は、最大瞬間風速、偏差値70以上あっても、私は、英語が話せません。昨年ホームステイでは、酷い目に遭いました。いまや中学1年生並みの英語能力です。
 ですから、日本の教育、とりわけ英語教育は、かなり間違っていたと思います。全く使えません。

 ご案内の通り、文部科学省は、「総合的な学習の時間」を、01年、02年を移行措置期間として、小中高に導入していきます。例えば、情報、環境、健康、国際理解といったテーマで、各小学校で学習指導が行われます。
 小学校に、英語という課目が、増えるわけではありません。

 新聞で、その是非が議論になったりしていますが、「小学生も英語を学ぶようになる」、という言い方は、必ずしも適切ではなく、実は国際理解教育の一助として、英会話を学ぶことも「できる」、ぐらいが本当だと思います。文部科学省は、中学の英語学習を降ろすことを厳に戒めています。

 ただ、前述のように、教科書のないこの「総合的な学習の時間」は、全てが各学校に任されており、実際どのように英会話指導が行われるのか、特別非常勤講師として、ALTやJLTが入るのか、教諭自ら指導するのか、留学生や地域の方が、どう関わるのか等々学校によって、まちまちなのです。

 私は、本当に教育の機会を均等に与えられるのか、一歩間違えれば憲法違反になるほど大きな問題を孕んでいると思います。
 少なくとも、現場の負担があまりにも気の毒です。なにより、試すのも良いですが、困るのは、子供達です。個性重視の見直し等々、中央の大混乱の被害者は、子供達です。

 今日、公民館で児童英語教育を実践されている方のご相談を伺っていて、やり方次第では、「総合的な学習の時間」の国際理解のうちの英会話が、小学生から「英語嫌い」を引き起こす危険を内包しているという危惧を感じました。
 私には、各学校に対応を任せれば良いというレベルの話には、とても思えませんでした。

 会話は、コミュニケーション、自己表現の手段である、言語は道具のひとつである、身振り手振りを加えて、ともかくまずは相手に伝われば良い、何とか理解できれば良いという原理原則に戻らないと、国際理解の一助どころか、結局は、記憶に頼った悲しい受験の道具に、英会話が、堕してしまいます。

 異文化の人にも伝わる喜び、こっちも受けとめられる喜び、なんだ同じだね、あれここがちょっと違うね、でも楽しいね、それが国際交流の最初でないと。
 これからの子供達が、私達と同じ轍を踏んではいけません。

 隣接する小学校で、個性や校風というより、全く授業内容が異なるということが、現実問題これから起きてきます。「総合的な学習の時間」は、その覚悟が、必要です。結構難しいですよ、これは。

 引き続き勉強して、報告させて頂きます。

Copyright (c) 2001 SHINJI SATO Inc. All rights reserved.satoshin.jp