2000年7月21日
【邑久高校事件 本当にいじめだけ?】

 本日、文教委員会県内調査で邑久高校を訪ねました。かなりマスコミが来ており、夏休みに入った校舎も、ものものしくありました。事件から丁度1ヶ月、おそらく連日こうで、生徒達にとっては救いの休みかもしれません。在校生のストレスは、かなりのようです。
 マスコミのねらいは、校長が「いじめ」を認め、陳謝することだったと思います。それを撮りたかったのでしょう。ただ、議員としては「追及」に行くのではないこと(むしろ、励ましに近かった)は、暗黙の了解だったように思います。

 加害者は「非常にまじめな生徒で、口数は少なく、地道に努力する生徒である。欠席・遅刻はなく、大学の進学を目指していた(資料より)」という、学生の鑑であり、重傷の被害者も明るい性格。

 校長は、からかいやふざけがあった。加害生徒には比較的多かった。それをしている生徒にはいじめの意識はない。多くの受けた生徒も単なる悪ふざけと受けとめているが、加害者が苦痛を受けたと感じていたと考えられるので、「いじめ」があった、と考えられる。と、初めて「ふざけ」でなく「いじめ」の存在を認めました。
 実は、ここが事前に知らされていた落とし所でした。(そこで止める。)

 (ちなみに、ある共産党の議員は、「わしゃぁ、いつも自民党からいじめられとる、精神的な苦痛を受けている。」そうですが、快感に変わっているのかも?被害者が、「いじめ」と思えば、「いじめ」で、加害者が決めるのではないところは、セクハラに似ています。微妙な人権感覚です。)


 報告を受けて、110番通報が遅れたことを除いて、職員会議の最中の緊急事態(事故にもとれた)に対する事後の対応、翌日からの地域やPTA、在校生への対応、今後の取り組みなどなど、私には、これ以上何ができたんだろう、という気がします。本当に誰かを責められるものかしら?
 生徒指導のあり方、緊急対応の在り方、常日頃からの学校と地域、PTAとの関わり方については、文教委員会でも検討すべき課題だと思います。まずは、それを認識し、今後のために調査するべきでした。
 ここまでは、ここからは、文教委員会もできます。


 しかし、原因究明、責任追及は、少なくとも今回の調査目的ではないと思います。その詰めもなく、「調査」に出かけました。

 毎日きっちり学校に通い、部活動に参加し、大学進学を目指す生徒の内面を誰が、わかるのか。「楽しかった修学旅行」と感じる生徒にとって、学校はそこまで「いじめ」の巣だったのか。母親を殺して逃亡する特殊事情を「学校のいじめ」で、全て説明し切れるのか。自転車で北海道を目指す心理。こんな生徒は、普通はそういません。どう備えるのか。
 本件は、17才が、「ぶち切れる」中でも、やはりかなり特殊だと思います。

 結局、まだわからないのです。全て憶測であり、本当に誰の責任なのかなどわからないのです。「いじめ」が、直接の原因で、校長の管理責任を問う状況では、私はないと思います。何も判っていません。「いじめ」で、済ませてはいけない原因が、あるかもしれません。「いじめ」より、「ぶち切れ方」が、問題です。
 加害生徒の顔が、私には浮かんできません。行動が、理解できません。が、必ず原因があるはずです。徹底的に探らなくてはいけませんが、それ自体は文教委員会の仕事では、ありません。
 結果として、出てきた問題点を解消する提言をすべきでしょう。

 責められるからではなく、原因を掴み、今後の参考にできると言う意味で、あるいは、なによりやり直しがさせられると言う意味で、幸いなことに、加害生徒は生きています。彼から聞くことができます。今後、判ってくるでしょう。


 しかし、ある古老議員が、校長に、はっきりと今回の事件の原因として「いじめ」を認めること、「自分は見ていないが、支援者がTVで見る校長は、とても反省しているように見えないと言われる。まずは、県民に対して陳謝せよ」と、厳しく迫りました。TVカメラがざわめきます。校長は、陳謝し、辞意をにおわせました。「とりあえず世間をお騒がせして本当にすみません」の罪です。
 あるいは、皆さんがTVで、見られるとしたらこのシーンでしょう。
 なんの意味があるのか私には、わかりません。不確定な情報で、「懲らしめ」に行ってどうするんでしょうか。

 会の終わりに言った私の文教委員会副委員長としてのまとめは、報道されないと思いますので、悔しいからここで。
 「まず、今回の事件の加害者の生徒が生きてくれていたことを心から喜びたい。今回の調査で、私たちはスケープゴートを見つけに来たのではない。誰かの陳謝を求めに来たのでもない。今回の事件は、学校だけでなく、地域、家庭、の問題である。この事件を契機に、三位一体になって反省すべきである。そして、邑久高校には、在校生もPTAもいる。彼らのためにも、邑久高校の歴史のためにも、この事件が契機になって、こんなに良くなったんだよ、と、あるいは50年後、100年後に言えるように、また、この事件をきっかけに岡山から世界に向けて新しい教育を発信できるように、頑張っていきましょう。教職員の皆様におかれましては、これからますますたいへんでしょうが、どうか踏ん張って下さい。」
 こんな優等生発言は、おもしろくもおかしくもないので、報道されません。

 ただし、これは、今回の事件だからこう言うのであって、例の買春教諭に対しては、もし調査で会えば、「死になさい。」とはっきり言うでしょう。言語道断。
 この処分も今日決まるはずです。

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