2011年12月1日(木)
【入学者選抜・自己推薦見直し】

 今日から12月。昨夜の余韻を頭に残しつつ寒い朝になりましたが、福田で街宣。気温の変化が激しく、かえって引き締まるので良い感じ。
 忙しないだけに、気合を入れないと、一挙に、体調まで崩れる感じがします。


 ところで、岡山県高等学校教育研究協議会の「平成30年度を目途とする県立高等学校教育体制の整備について(最終提言)」で、入学者の選抜制度の中で、特に平成17年度から導入された自己推薦による入学者選抜について、見直しの必要性が、示されました。

 一方で、自己推薦については、「受験機会の拡大とともに、中学生の進路意識を高め、主体的な進路選択を促進し、高等学校では、適性検査の工夫等により、求める生徒像に沿った生徒を選抜できるようになった」と評価。

 しかし、逆に、「早い時期に進路が決定する生徒が増加し、3学期に落ち着いた授業ができなくなり、学力定着に課題が生じ、ほとんどの生徒が受験するものの、募集人員が限られているため多くの者が不合格となり、一般入学者選抜において、同じ高校を受験する状況」があり、「中学校は、出願書類、高等学校は適性検査問題作政等の事務量が増え、生徒と向き合う時間が減るなどの影響が生じる」と、問題点を指摘しています。


 個人的には、適性検査等の主観評価に、不公平感があったり、端的に、合格・不合格の生徒の間に、不自然なアンバランスが生じることが、問題だと思います。

 合格・不合格は、悲喜こもごもということで、運が左右するというのも、つき物だとは思いますが、自己推薦導入後、議会でも、かなり問題の声が、上がっていたのも事実です。


 いずれにせよ、提言は、「中学校に与える影響が当初想定していた以上に大きくなり、『中学生の学習意欲・学力の向上』『中高の円滑な接続』という視点からは大きな課題があり、見直しが必要」としています。

 特に、「専門学科等では、生徒の個性を生かす多元的な選抜として有効に機能しており、可能な範囲で継承することも含めて検討」するも、「普通科においては、学科の特性から学力重視の傾向が強く、自己推薦実施の積極的意義が見出しにくいことから、一般入学者選抜への一本化への検討」が、考えられるとしています。

 そして、県教育委員会には、専門的・技術的に検討を要するため、専門的な検討委員会等を設置し、速やかに改善に向け着手するよう求めています。

 普通科における自己推薦は、今後なくなる方向ではないかというのが、素直な解釈です。


 いずれにせよ、制度の変更によって、直接影響を受けるのは、受験生です。私達の時代は、いわゆる総合選抜でしたが、それにもメリット、デメリットがありました。より良い制度というのは、時代によっても、変わってくるかもしれませんが、ともあれ、不必要な動揺を15歳の春に、与えるべきではありません。
 しかし、タイミングが悪かろうと、受験という壁は突破すると決めるからには、突破する以外ありません。どんな壁だろうと、越える奴は越えるのだから。彼も人なり、我も人なり。



 さらに、県北地域への設置も提言されている中高一貫校や定時制・通信制高等学校ですが、結果的に、個人的には、一方で、中学校の特別支援学級を高校に拡大するなら理解しますが、「お受験」の低年齢化を助長する公立中高一貫校については、かなり検討の必要があると感じています。

 この問題の本質は、親の所得格差が、子どもの学習環境格差に結びついたり、あるいは、荒れた(あるいは、どこの中学校が、急に荒れるか分からない)公立中学校への不安というものがあるとすれば、中高一貫校進学という、我が子のみの個別の対処療法で、全体の問題が解決できるというものでは、ありません。

 あるいは、見学の精神を強く持つ私学との兼ね合いも、十分意識されてしかるべきものだと思います。ともあれ、市立、私立中学校がある中で、県立「中」学校を作った県教育委員会の考え方の整理は必要です。


 それにしても、子育て世代としては、芦田愛菜ちゃんの活躍を思うにつけ、しかし、ここから50年間も、紅白に出続けることはないだろうな、というよりも、彼女が、子どもでなくなったときにどうなるのか?が、すごく心配です。本当に良い子だと思うだけに。良い子すぎて・・・。

 ・・・という心配をする暇があったら、一般質問の原稿を書きます。今日も、保護司会の研修会や忘年会があります。

 馬場俊英=『明日に咲く花』 http://www.youtube.com/watch?v=bYeNC7G0Fmk

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