2006年2月17日(金) 【親が親であるために】

 本日は、県庁で様々な案件の相談の後、午後から中央児童相談所へ。私自身、いわば、児童相談所から措置される児童養護施設の理事であるわけですが、今週は、「里親」の方とお話しする機会が多く、「なにをもって親は親であるというのか?」という大きな課題を頂戴したこともあり、かなり長時間お話を伺いました。
 「きらめきプラザ」内の「福祉相談センター」(中央児童相談所、身体障害者更正相談所、知的障害者更正相談所、女性相談所)は、想像よりも広く、迷路のようでもありますが、それはそれで意味もあり、病院跡を実にうまく使っているのには感心しました。
 また、平成15年には、職員の大増員もありましたが、現場のご労苦には、本当に頭が下がります。

 とある場所にある児童相談所の一時保護所にもお邪魔しましたが、児童虐待を受けた就学前の幼児が多くいて、我が子と同じ年頃の子どもに、何が起きていたのかを想像するにつけても、本当に本当に辛く、ただ愛していると、誰かが、その「親」に、伝えていれば、子どもへの悲しみの連鎖は、断ち切ることができたのかもしれない、しかし一方で、いくつかの虐待の背景には、発達障害のかげがチラチラする事実にも、愕然としました。
 でも、この子が、何をしたというのでしょう・・・。

 生みの親であろうが、育ての親であろうが、親が親であるためには、己が親に愛されたか否かにかかわらず、あるいは、どういう表現をするかにかかわらず、子どもを「無条件に」愛さないといけないのだ、と思います。
 陳腐でセンチな言葉ですが、「生まれてきてくれてありがとう」と、一人でも良い、誰かにそう言って貰えれば、それだけで、人間は生きていけるのではないでしょうか。そして、子どもが、それを一番言って貰いたい人は、親に決まっているじゃないか・・・。
 それが、なんで・・・。

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