2005年3月22日(火) | ||
【人は、いつ、どこで、どのように死ぬべきか】 | ||
=======================================
本日午後に、ノーマライゼーション推進型地域統合ケア推進シンポジウムが開催されました。主催・所管は、岡山県長寿社会対策課ですが、いわゆる「地域統合ケア」は、介護保険や支援費制度というよりも、社会保障の根幹に触れる極めて大きな動きです。 ところで、一方で、幼保一元化の動きがありますが、こうした一元化、統合化の元を辿れば、まさに縦割り行政の弊害に行きつく事になります。 また、三位一体改革の流れの中で、国庫補助金から地方交付税化することにより、自由の名のものとに、非常に削減の危険に晒されるのが、こうした保健福祉分野です。 財源があれば、縦割りで、二重三重に、紐付きの補助金を打ち、無くなれば、地方に委ねて統合だと、霞ヶ関に振り回されるような気がして、解せない部分もありますが・・・・・。 ======================================= ↓ 詳しくは 本日の「ノーマライゼーション推進型地域統合ケア推進シンポジウム」では、全国的に非常に有名な「富山型デイサービス」の発祥である「特定非営利活動法人このゆびとーまれ」の副理事長の講演でした。 「誰もが地域でともに暮らす」をコンセプトに、赤十字病院を退職した看護士3人が、誰も排除しないデイケアハウスとして、12年前に開設された「このゆびとーまれ」については、多くの方がご存知だと思います。 イメージとすれば、認知症の高齢者も、赤ん坊も、障害児も、同じフロアで、生活する、あるいは支え合うといったものです。 岡山で、最初に、「富山型」という言葉を聞いたのは、もちろん「たいむカプセル」さんでしたが、いまや、それは、国策にまでなり、県が窓口で、「ノーマライゼーション推進型地域統合ケア推進事業」として、工事費や設備費に補助金が打たれます。 何かこうなると補助金がない頃に、最初に汗をかかれた方に申し訳ないような感もあります。 さて、地域統合ケアですが、要するに、高齢者、障害者、親子、子どもに対して、別々の制度による縦割りのケアを統合するというものです。ちなみに、「このゆびとーまれ」は、7つの制度が統合されているそうです。 大義は、世代や障害の有無を越えた交流等を通じ、子育て支援、虐待防止等の促進を図るものです。 この際に、厚生労働省は、「小規模・多機能・地域密着」がキーワードとします。 岡山県では、現在10ヶ所の「地域統合ケア」と言えるものがありますが、5年間で160ヶ所に増やし、全ての中学校区を基準にした生活圏域で実施する予定のようです。 特に、「どこで死にたいか」という問いに対して、自宅が無理ならば、病院ではなく、あるいは人里離れた施設ではなく、地域の中で自然死するという答を示すものでもあります。 ただ、本当に全てが過渡期にあり、例えば、旧来の施設介護でも在宅介護でもない地域の小規模のグループホームやデイケアすら、もはや地域によっては乱立気味となり、これに多機能ということで、「地域統合ケア」に誘導していくのか、それらは全く別物なのか、さて事業者の方がどう動かれるか・・・。 また、いわゆる子育て支援あるいは青少年の健全育成としての子育て支援センター、学童保育(放課後児童クラブ)や児童館、青少年の居場所と、どこかでからんでくるのか、あるいは、既存のNPOといかように連携するのか、これまた地域で様々なケースが出てくると思います。 ともかく今は事例を積み重ねていく段階かもしれません。その過程で、既存の様々な制度の矛盾や問題点が露呈してくるように思います。 それにしても、講師の言われたように、これは要するに、いつ、どこで、どのように死にたいですか?という話なのだと思います。ターミナルケアについて考えるというのはそういうことで、いつ考え始めても良いことです。少なくとも、死ぬということを忘れては、本当に生きられません。 そして、生も死も、老いも、障害も、ごくごく身近に普通にある事なのだ、ノーマライゼーションというのは、つまりは、そういう意識なのかもしれません。 | ||
Copyright (c) 2005 SHINJI SATO Inc. All rights reserved.satoshin.jp |