2002年3月29日(金) 【子どもの文化権】 | ||
旧日銀跡地が、文化施設として、いよいよ具体的に整備されていくこととなりました。「考える会」の成果が活かされるとのことで、これは大歓迎です。
さて、文化芸術に関して、一昨日になりますが、NPO法人子ども劇場全国センター主催で、「文化芸術振興基本法」学習フォーラムが、開催されました。 文化芸術振興基本法については、昨年の12月に本会議で、また、「その749」でかなり詳しくお伝えさせて頂きましたが、今回のフォーラムを通じて、やはり、条例の必要性を痛感致しました。非常に勉強になるものでした。 ちなみに、以下、昨年12月議会の私の質問及び知事答弁です。口語ですので、ちょっと日本語がおかしいのですが。 (質問) 知事は,文化は県民一人一人の自主的,創造的な活動がつくり出していくものであり,行政の役割は県民の文化活動を促進するための支援や環境づくりをすることであるとされますが,これはちょっと午前中の質問と重複いたしますが,先日超党派で文化芸術振興基本法が成立いたしました。とりわけ舞台芸術分野においては,近世以降我が国で置かれてきた偏狭な概念が国家の名において是正され,その環境整備の必要性が公文書,それも法律として明記されたとして,非常に高く評価され,大きな励みとなっています。 この文化芸術振興基本法ですが,「新世紀おかやま夢づくりプラン(仮称)」の中での位置づけを含めて,今後,この法制化を地域で具体的に実質化させていくための指針や施策をお知らせください。・・・・・・・・ (知事答弁) 文化芸術振興基本法でありますが,法では,今後,国が示す基本方針を勘案し,各県で施策の推進を図るように定められておりますが,本県では,御案内のとおり,既に岡山県文化振興ビジョンを昨年策定をし,県芸術祭の充実など文化芸術の振興に取り組んできているところであります。 先日,骨子案をお示しをいたしました「新世紀おかやま夢づくりプラン」におきましても,文化というものを重要な柱と位置づけておりまして,今後,このプランの具体化に当たりましては,各界各層の御意見,あるいは法の趣旨に沿ったプランにしてまいりたいと考えているところでございます。・・・・・・・・ 実は、上記質問が、本当に問うていたものは、条例の制定の有無ですが、この点は、残念ながら、積極答弁になっていません。しかし、どうしても、基本法の実質化のためには、条例が必要です。 提案議員の言によれば、この基本法、確かに、一語一語については、煮詰まった議論がされないままに、早産気味に誕生したのは、否めません。条文も、いかにも、フランケンシュタインのような継ぎ接ぎのような箇所も散見します。 しかし、例えば、条例の文言について、十分に精査、議論しているとは言えない地方議員が、その審議が、十分になされていないではないか、と責める資格もなく、なにより、多少不満はあっても、超党派の議員立法で、誕生したこと自体を評価すべきです。 そして、法律は、作ったら終わりになる傾向があるという、提案議員の言がありましたが、要するに、この先、どうやってこの基本法を大きく育てるかは、まさに地方の我々自身の手にかかっていると言えそうです。 とりわけ、第4条は、地方公共団体の施策策定、実施の責務をうたっています。ここから、市民、行政こぞって議論していかないといけません。そのは、要するに、我々の手で、条例を作るという形で、結実するものと思います。 おそらく、条例ができる、その過程からして、その地域の文化でしょう。 また、そのためにも、いわゆるアートコーディネーターが必要であるという指摘は、首肯できるものでした。その適性な配置と養成は、急務と言えると思います。 さらに、2条3項では、「文化芸術の振興にあたっては、文化芸術を創造し、享受することが人々の生まれながらの権利」であるとしていますが、「子どもの文化権」という視点が、欠落しているということが指摘されました。 確かに、私自身、我が子に対して、「本物」の文化芸術に触れさせてやりたいと切に願います。心豊か育つために。 この点、「子どもに選挙権があれば、どうなのか?」という観点は、非常に重要だと思います。正直に書いて、例えば、乳幼児まで選挙権があり、中学生以下の子どもの選挙権は、親が代理行使するなら、日本の政治は、あっという間に変わると思います。世代間の公平な分担といっても、結局何も言えない子ども達に、ご都合で、借金を押し付けられずに済むかもしれません。子ども達の未来を託せない方々には、引導を渡すことができます。 ただ、いずれにせよ、「子どもの権利」を言う場合には、「子どもの権利を言う親の権利」もあるでしょうが、その場合、「子どもの義務」と「子どもの権利を言う親の義務、社会の義務」も、明確にする必要があると思います。 本来、冷静にそういう議論をすることは、避けて通られないものです。 ところで、気になるのは、やはり、そもそも論。「そもそも文化とは何か?」です。いわんや「芸術とはなにか?」。 文化芸術に、価値の多様性を認めることが、根本に在るとすれば、定義すること自体が自己矛盾。価値の相対性を認めるとすれば、価値という言葉自体が論理的限界。どつぼに、はまります。 この点、生活文化という言い方がありますが、概念は不明です。また、前文でも、「文化的な伝統」が、強調されているように、当然、「和文化」は、ことさら、重視される必要もあると思います。 しかし、おそらくこの定義は、神学論争のように、終わりも、答もないのではないでしょうか。 「文化芸術は、人々の創造性をはぐくみ、その表現力を高めるとともに、人々の心のつながりや相互に理解し尊重し合う土壌を提供し、多様性を受け入れることができる心豊かな社会を形成するものであり、世界の平和に寄与するものである」と、前文でうたっていますが、そういうものなのでしょう。 そうであれば、文化芸術は、決して、いわゆる文化芸術活動をする人だけが問題にするのはなく、要するに、人間というものの生き方の問題なのだ、と思います。 いずれにせよ、基本法の成立を受けて、我々は、大きな宿題を背負い込んだことになります。私も、「子どもの文化権」を十分に盛り込んだ条例づくりを推進したいと思います。 | ||
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