2002年3月28日(木)
【ストリート・ミュージシャン】

 昨日、夕刻、岡山ガーディアンズの消去活動で、真っ白になった壁に、また落書きされていないかと気になって見に行きました。春の早朝、誇らしげに、ピカピカの白い壁。とりあえず、今日は、大丈夫。

 さて、いわゆるストリート・ミュージシャンについての注意方法ということで、ご依頼があり、昨夜、彼らを観ていました。丁度、巡回中のガーディアンズのメンバーとも遭遇し、落書きとストリート・ミュージシャンの違いについて、伺いました。
 私も、なにか、落書きとは、根本的において、違うような気がするのです。

 ただの通行人だからそう感じるのか、顔が見えているからそう感じるのか。御都合主義のようですが、どこかで、彼らとは、共存共栄を模索したくなるのです。この点は、本来、軽度で、芸術的な落書きもそうなのですが。
 この基準が、実は、自分でも分からないのです。


 確かに、彼らが、営業妨害的な行為、人によれば騒音、喫煙、ゴミの投棄等をしている事実はあります。はっきり言って、地域の方には、迷惑行為です。その部分では、彼らに、十分に注意を促したい、またその方策を考えたい、と思います。
 この点、彼らは、十分に反省しないといけません。

 しかし、どういう形であれ、願わくば、彼らとの会話が欲しい、また、会話はできる、と思います。あるいは、彼らは、注意ではなく、その前にある人間の会話を待っているかもしれません。他人と話すことを拒否する人間が、往来に出ているわけがないのですから。
 ガーディアンズとの間には、あんなに会話が成立しているのです。(しかし、一方で、会話に躊躇している自分も発見し、愕然とします。)


 ところで、彼らのやりとりや歌声を聞いていると、少し、同調している自分を発見するのです。出張帰りの深夜、桃太郎大通りで、ひとつの風景になっている彼らの歌に、「ああ、やかましい」と、実は、私は、思ったことがないのです。尾崎豊の「僕が僕であるために」だったりすると、かえって癒されたり、頑張ろうと思ったりするのです、これが。
 駅にまわりには、日本全国いますから、結構そう感じているサラリーマンも、いるのかしら?

 それどころか、高校時代に、いろいろおもしろくないことがあり、夜に、人生の歌を高歌放吟しに、自転車をこいで、時には、備前まで行っていた自分を思うと、結構やるじゃねーか、と感心したりもするのです。こいつら、俺と同じ歌を歌ってら。歌いたいんだ、あの年頃はなぁ・・・。(でも、落書きしたいんだ、あの年頃はなぁ、と、ならないのですが。)
 堂々として、たいしたもんだなぁ、中には、妙にうまい奴もいたりして。時には、感心しているのです。

 例えば、友紀が、高校生になって、ストリート・ミュージシャンをしていたら、親父的には、感心して、とりあえず聞きに行き、「ちいたぁ、勉強もせーよ。」と、言って帰るかなぁ、と言うと、妻的には、人様に迷惑をかけるから、アウト。
 「悪い」と思って、歌ってるのかなぁ・・・・・・?

 要するに、なにが迷惑か、どこからか迷惑か、非常に曖昧なのかもしれません。落書き行為を捕まえて、じゃぁ、ストリート・ミュージシャンは、どうなんだよ、スケボーは、どうすんだよ、右翼の街宣車はなんなんだ、という問いがあったとしたらどう応えれば良いのでしょう?


 ストリート・ミュージシャンの、特に、高校生達の表情が、決して嫌いでない私が、目の前に腐るほどされた落書きを見る。全く違う連中だと思うのですが、多少混乱するのです。
 同時に、何か、遠くで見ている自分が、いつから大人になったのかなぁと、寂しくもあります。いつのまにか若者に何か言うべきような世代になったんか。しかも、何も言えない大人に、なっちまったのかなぁ・・・。



 いずれにせよ、落書きは、次世代からの抵抗か、攻撃か、抗議かわかりませんが、間違いなく、ストリート・ミュージシャンの歌は、時代の、自分の混迷を叫んでいます。括目、集耳しなくてはいけません。
 多分、時代がどう変わろうと、青春という時代の中では、自分の基準を探して誰もが模索するのでしょう(銀河鉄道999みたいだな・・・。)。
 それでも、何か表現したいのは、非常に理解しつつ、寛容に、かつ、厳しくその基準づくりに導いてやる(教えてやるというのは、非常におこがましいのかも?)のは、大人の、社会の役目でもあります。

  しかし、肝心の社会や大人の基準(倫理)が揺らいでいるのです。私自身も揺れている。実は、これは、国全体が揺れているということでしょう。根本は、そこです。全部、我々自身の問題が露見しているのです。そこを正さない限り、何も結局変わりません。
 「見せしめ」に、誰を責めようが、誰を罰そうが、誰が反省しようが。もとが、自分自身なのだから。


 ともかく、少なくとも、ストリート・ミュージシャンとの間に、ある種の「協定」はいるでしょう。そのためには、まず会話が必要です。私もそこから始めようと思います。
 ただ、落書きしてる連中とは、会話すらできないですね・・・。


 皆様は、どうお感じでしょう??

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