2009年1月25日(日) 【『いつかきっと』】

 会葬を経て、『DV防止サポートシステムをつなぐ会・岡山』の勉強会に。何がどうというわけではなく、久方ぶりなのですが、昨年、DV防止法改正で、岡山県がDV基本計画を作ったので、市町村も、DVの実態把握と対策を行う庁内連携のために、基本計画を作るべきだということを県サイドから要望しているようでもありました。

 特に、国から降りて来るのを受けた抽象的な県の基本計画と違い、より直接に、市民と接する市町村においては、マンパワーやプライバシーの問題、何よりも予算について、厳しい現状からは、県が、啓蒙のための研修会等を開催するだけでなく、具体的に有効な補助制度を含めて、市町村の実態を伺った上で、むしろ、いかに支援できるかこそが、問題のように思いました。
 大切なのは、絵に描いた労作である計画よりも、具体的な予算を伴う事業です。


 とりわけ、県の基本計画に掲げられた実態調査すら、県自身が行えていないのは問題で、まずは率先垂範で、基本計画から実施計画、具体的事業の予算化を県が、どんどん行っていかなくてはいけません。
 加害者更生は、基本中の基本として考えるべきことであり、国の調査を待つ理由もなければ、例えば、鳥取県のような、デートDVのようなDV法対象外暴力被害者一時保護事業のような単県事業は具体的に進めるべきです。

 なによりも、県の広域行政の補完機能から考えれば、岡山市や倉敷市のようには、市町村が自立して、DV対策が出来ないうちは、あるいは、各種機関との連携、広域対応が必要な場面は、積極的な県の出番であり、むしろ真価が問われるところだと思います。

 自立を考えたときには、当該地で可能かどうかという視点も当然必要で、住民同士が、ある意味近すぎる市町村内では、自己完結は、まずしないかもしれません。

 県が、果たすべき応分の負担をせず、それ相応の汗をかかずに、上から目線で市町村に当たるならば、国の態度と何ら変わりません。むしろ、この種の問題は、県の出番があると認識しています。


 一方、個別具体的な問題では、自立支援のために、DV被害者が、生活保護を受け取らずに、自分で生き抜いていくパワーを維持するためにも、弾力的な児童手当、児童扶養手当の支給、保育料の減免が必要だという現場からの声については、即対応すべきだと思います。そういう生き方を応援しないといけません。

 さらに、自立をするときの子ども達の支援について、とりあえず命の危険が無くなれば、児童相談所の手を離れ、判定をするような場面は無くなりますし、そうした中、子ども達の癒しの機会、場所はないのか、10歳までのファミリーサポートも、せめて小学校卒業までに出来ないか、具体的にやるべきが多くあることを痛感させて頂きました。


 あくまで、個人的な思い込みもあるかもしれませんが、児童虐待とDVの問題は裏腹だと思いますが、一方で、例えば、不幸にして暴力を受ける状態にあったけれども、そこを脱して、自立して生き抜いていこうとする母親の背中を見て育つ子ども達に、本当に幸せになって欲しいと思います。

 むしろ、私は、子ども達に視点があるかもしれません。

 DV法でもありますが、愛すべき両親が仲違いし、例えば、愛する母が、愛すべき父に殴打される様を見るのは、子どもにとって地獄以外の何物でもありません。
 しかも、ボロボロになりながら、母親が、自分を守るために耐えているのが感じられたら、子どもにとっては、人生の十字架のように重いものに違いありません。

 でも、受け止めるしかありません。悲しみは、他人にぶつけてはいけないのです。

 しかし、そういう宿命を背負っても、天命を感じ、使命を果たせば、運命は、自分自身の力で変えることが出来る、幸せな温かい家庭をそうした環境下の子ども達には、きっと築いて欲しい。それが願いだから、行政として、すべきこと、できることは、どんどんすれば良いと思うのです。

 意外に、そういう子ども達の中からこそ、人に希望を与えたり、世の中を明るくする人間が生まれてくるものなのです。
 少なくとも、私は、そう信じています。

 『いつかきっと』
http://jp.youtube.com/watch?v=LUazvkmUV8Y&feature=related

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