2005年6月18日(土) 【「生命のメッセージ展」】

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 明日まで広島県民文化センターで開催されている「生命のメッセージ展」にお邪魔しました。交通事故や犯罪の被害者遺族が、114体の故人の等身大のオブジェと遺品の靴(生きた足跡の象徴)を展示されています。乳幼児から高齢者まで、オブジェの大きさも様々で、写真やメッセージの展示には、胸が締め付けらます。ttp://www.inochi-message.com/
 朗読も拝聴しましたが、苦しくて聴いていられませんでした。遺族であるアーチストが始めたものが発展したわけですが、これが、アートであるならば、これ以上の生命の叫びが聴こえるアートを私は、見たことがありません。
 確かに、生命があったことの証、あるいは、忘れない限り生命は終わらないことの証、さらには、我々がいつでも、被害者にも加害者にも遺族にもなる可能性があることの戒めです。
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     ↓ 詳しくは

 VSCOの犯罪被害者支援ボランティア養成講座の受講をしていることもあり、全国で、実行委員会形式で少しずつ展開されているこの催しには、広島であろうとお邪魔しました。

 今のところ、岡山で開催の予定はないですが、是非、岡山でも開催できる方向に持っていきたいと思います。ただしかし、本当に真摯に企画を受け入れる気持ちがないと、被害者や遺族の方への冒涜になります。ある意味で、人間性が試されるところです。


 おそらく、こうした展示は、ご遺族の方が一番苦しいはずです。
 「逃げることなく現実と対峙しようと決心し」た展示に、我々も、目をそむけることはできません。

 もしも、これが、愛する自分の家族だったら?と誰もが、被害者の等身大のオブジェの前に、靴の前に、立ち竦むはずです。例えば、ある日突然、一瞬にして、家族の誰かが咎もなく、何者かに命を奪われたとしたら、貴方はどうしますか?

 蛇足ですが、私は、職業柄、私自身への攻撃は何であれ、甘受する覚悟はできていますが、家族への攻撃は、絶対に許しません。



 被害者の側の気持ちは、被害者の側でないとわからないと思うと、戦争被害に関しては、ことさらそうかもしれません。

 原爆投下が、先の大戦を終結させるための正当な行為であるはずがありません。加害者は、あれこれと理由をつけても、被害者には、理由がどうあれ、亡くなったという一点の現実があるのですから。結果としての事実は、そうです。

 何を持って被害となるかは、加害者にはわからないところで、それでも、「お互い」に「共感」があれば、幾ばくかの救いはあるのでしょう。共感の言葉は、共感しないと発せられませんが、その言葉が、大きな救いになります。

 慰めでも、励ましでも、説教でもなく、自分以外の者への感性にどれだけ、シンクロできるか、そのチャンネルの幅が、人間力だと思います。己の信念は信念として持ちつつも、それでも、絶対はない、という謙虚さも必要だと思います。


 大切なのは、「共感」のレクイエムです



《「こころ」に残る市井の人ビト》

 広島のサンモールの脇の電気屋の前で、ミニスカートの女性が横を通り過ぎて、思わず後ろ姿を見ると、つるっぱげ。えっ?首から下は、十代の女性のいでたちですが、顔は、落語の三遊亭円右か講談の小金井芦州。どう見ても、お坊さんのようなお年寄り。これはまた見事な表現の自由!

 ストッキングをはいて、背中には、女性用の下着も透けていて、胸もしっかり膨らみ、意外に足は締まっていて・・・・。ほほぉ〜。
 その後、ヘルメットをかぶり、原付でミニスカートをはためかせながら、走り去ったのでした。若い女性にしか見えず、ドライバーの目をさぞかし楽しませていることでしょう。

 さすがに、政令指定都市だ!!はふ〜。

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