2003年9月8日(月)
【ロシア特別編10 ヨーロッパの辺境で】

 今日もまた、サンクト・ペテルブルグの夕焼けは、街を黄金に染め、教会の塔は金色に夕日を照り返し、十字架が輝いています。
 「北のベニス」と言われるほど運河の多い美しい古都で、もう二度と夕日を見ることはないかもしれません。

 ああ、それにしても、阪神タイガースはひょっとして優勝したんじゃあないかしら?9月定例県議会も気になるし、熊代代議士は総裁選挙、どうされただろう?逢沢代議士のポスターもずいぶん貼られたことだろうなあ・・・。いよいよ明日帰国です。


 午前中は、お隣のプーシキン市にある「エカテリーナ宮殿」を観光で訪ねました。そもそもこの地は、貴族の避暑地であるということですが、この宮殿も非常に豪華な造りで、市民革命のエネルギーが湧き上がるに十分なものです。
 高杉晋作なら、こういうものをぶち壊してみたいと思うはずです。

 ただ、不思議なことに権力が集中しているような状態ほど芸術が栄えたり、また、日本の天皇制と封建制度の二重構造が、諸外国に見られる極端なまでの王室や権力者の暴走に至らなかった要因ではないかなぁ、と思えます。

 特にロシアの場合は、ヨーロッパからすれば辺境の地であるとも思え、いわゆるヨーロッパ的なものに、ある意味かぶれたところがないではなく、独自性というとむしろコーカサスの方の文化ではないかという気すらします。

 いずれにせよ、エカテリーナ宮殿の「琥珀の間」は、外国人(アメリカ、ドイツ)で押すな押すなでしたが、私の感性の中では帝国主義の権化のような宮殿というのは、日本の城に比べても、搾取の度合いが、決して気持ちのよいものではありません。


 ところで、今日9月8日は、62年前に、ファシスト・ドイツが、サンクト・ペテルブルグ、当時は、レニングラードの包囲を開始した日です。それからの4年足らずで、60万人の市民が殺されたと言います。

 第二次世界大戦や対ドイツの勝利のモニュメントは、レーニン像と同じくらいに多いのですが、そもそもこうしたヨーロッパがらみの歴史が、世界史そのものだと思います。

 一方、例えば、前述のエカテリーナ宮殿でも、ファシスト・ドイツは、琥珀をはじめ収奪をしていますが、現ドイツ政府が、復旧に大きく手助けをしています。

 こういったところが、ファシスト・ドイツ、ナチス・ドイツと今のドイツを区別して表現する精神的概念になっています。

 要は、そもそも、ヨーロッパは、結局、お互いに、やったやられたの歴史で、王宮の婚姻も国益に適うかで行われていた、ある意味、日本の戦国時代のスケールを超巨大化、長期化したものなのだ、と考えるべきなのでしょう。

 それに、中国やイスラムもからんで、月並な言い方をすれば、いつでも一触即発である、こういった感覚がわからないと、かなりトンチンカンなことになるなぁ、という気がします。
 わかって、我々も、国益を言うべきです。島国日本で、世界平和を言ってみても、世界に通じない、日本の基準で、世界は、動いていないのですから。


 そしてあるいは、ヨーロッパの辺境にあって、頑なに自国を守るために共産主義は先鋭化した、偽りの美の帝国を破壊して。これもひとつの時代の選択だったのかもしれません。
 はっきりしているのは、狂っていたわけではない、そう思います。


 少なくとも、北方領土を語るために、モスクワとサンクト・ペテルブルグぐらいは訪ねる必要がある、そうでないと相手である世界の中のロシアを少しも語ることはできないのではないかと実感します。
 少なくとも、イメージは、変わります。

 もちろん、北方領土は返して貰わなくてはいけませんし、終戦間際のあるいは、終戦後の蛮行を決して赦すことはできませんが。

                          ロシア編つづく・・・

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