2001年11月26日(月) 【岡崎嘉平太記念館】

 明日からの遠征で、今生の別れになるかもと、夕刻からは家族でと、行った先が、「岡崎嘉平太記念館」。やや、中毒気味。
 昨日、入館5000人突破が、伝えられましたが、この8月に、吉備高原都市の「きびプラザ」1階にできたものです。

 おそらく吉備高原都市については、現在の分譲地を埋めることができるかが大命題で、これ以上の開発は、望めないと思いますが、とりわけ、中核施設の「きびプラザ」は、閑古鳥が鳴いている状況はご案内の通りです。


 その「きびプラザ」の中に、「岡崎嘉平太記念館」ができたことは喜ばしいことだと思います。施設がある賀陽町は、まさに、岡崎翁の生誕の地。
 実は、ことのほか、前知事が、記念館建設には意欲的で、財政難の折り、規模自体は、縮小されましたが、前知事のご自宅の側にできたことは、岡山県民として、素直に評価したいと思います。
 こういう形にはなってしまいましたが、その偉業は、称え、周知しなくてはならない方です。

 岡崎氏は、100回にものぼる訪中を通して、日中の友好を深め、周恩来総理をはじめ中国要人との会談を重ね、国交回復の礎を築き、両国の交流と反映に尽くされ、1972年の日中国交正常化の実質的な立役者と言われています。
 1978年には、勲一等瑞宝受賞。平成元年、92歳でなくなりました。

 惜しむらくは、岡崎氏の功績について、我々が、学習していないことです。日中国交回復時、私は、8歳。その時も、それ以降も、正式には、教わっていません。(財)岡崎嘉平太国際奨学財団の存在も、知りませんでした。


 同様の方に、犬養木堂がおられます。記念館こそ、整備されていますが、「憲政の神様」と言われた方が、何をやられた方か、誰も、明確に語られないと思います。岡山県政界に、清貧の気概が、脈々と受け継がれているという感じでもありません。


 石井十次、三木知事、それぞれに、記念的なものはあっても、岡山県民の心の部分に届いていないような気がします。ちょっと、冷たいぞ、岡山県民、そんな気がしないでもありません。

 個人的には、岡山県郷土文化財団が、管理してくださっている、岡崎、犬養両記念館ですが、「郷土文化」ではなく、語り継ぐものとして、もっと先人の偉業を活かす道はないのかな、と思います。

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