2001年5月23日(水) 【モンゴルへ】

 冗談のような話ですが、これからモンゴルに行って参ります。あるNGOの廉価なスタディーツアーに参加し、母子教育センターの卒園式に参加したり、国会議員と面談したり、マンホールチルドレンの収容センターの視察をします。


 今晩午後10時過ぎに、首都ウランバートルに入り、しあさって26日(土)午前6時には、帰国(岡山には夕刻着)するという強行軍のため、どこか県外調査といった雰囲気です。
 ちょっとゲルに泊まるとか、馬に乗るということになりません。

 ご案内の通り(あまりご関心ないと思いますが)、先日20日に、大統領選挙があり、人民革命党(旧共産党)のバガバンディ大統領が再選されました。モンゴル経済は、2年連続の寒波による家畜被害や銅など主要輸出品の国際価格低下で打撃を受けているそうです。

 モンゴルは、もとはといえば、旧ソ連の兄弟国の社会主義国。ペレストロイカの流れで、89年から民主化したものの、急進的な改革路線の中で、経済は悪化。国際社会の援助なしでは立ち行かない状態です。
 例えば、都会でマンホールの中に暮らす子供達(マンホールチルドレン)も、そういった社会情勢の中にいます。

 どうしても、モンゴルは、「スーホーの白い馬」や朝青竜のモンゴル相撲、ゲルと化石と満天の星空という定型的イメージですが、結構、国際情勢の中で、大変な国です。

 日本との関係は、「北条時宗」でおなじみの、文永・弘安の役で、フビライ・ハーン攻められたか、関東軍が攻めたか、ということですが、最近は「おしん」の影響で日本ブームとか。


 県議会議員が行ってどうなるなんら、遊びじゃねんか、と言われたら、政治に関わる者の幅を広げるチャンスだから行くのです、と答えます。全く違うところでも、私は、日本や岡山を考えるでしょう。あたり前田の世界史です(一宮高校一期生にしかわからんようなギャグを・・・・)。


 さて、結局は、2日間のみの留守ですが、「こころ」は、モンゴル特別編で、毎日配信の方には、発信予定です。ちなみに、私の携帯電話は、一応妻がもっております。また、苦労をかけちゃいます。
 友紀と会えんのは、寂しいのぉ。


 日本人にある「モンゴル斑」、さて、モンゴルの草原を懐かしいと思えるでしょうか?私自身は、ちょっとラテン系の気がするんですよね、ラテン系日本人。なんじゃ、そりゃ。
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【モンゴル着】
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 深夜0時前、北京経由で、モンゴルの首都ウランバートルのボセント・オハー国際空港に到着。岡山空港よりも、まだ地味な国際空港です。
 ちなみに、モンゴル航空の機内食の食器は、大韓航空のそれでした。

 なにしろ、北京から乗り込んでこられた方を含めて、皆同じ黒い瞳に、黒い髪、まるで国内線のようでした。

 空港から都心までは、約30分。大原橋の下の砂利道のような悪路で、冗談のようにバスが、飛び跳ねます。しかも、街灯のない中を若者が闇の中から横断。盛り場も、あるにはありますが、「たけちゃんラーメン」というでかい看板もありますが、ネオンはなく、極めて地味な印象の街です。

 それでも、どこまでも平たく広がる街の光に、ああ、ここは日本じゃないんだ、と実感できます。

 それにしても、英語でもハングルでもアラビアでもないロシア文字。アジアのような、全くそうでないような街並みです。
 ちなみに、日系のフラワーホテルには、もちろんNHKの衛星放送。モンゴル相撲が日本の角界に進出するわけです。

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