2003年12月28日(日) 【イラン南東部大地震】

 いよいよ今日から岡山市消防団年末夜警。来年の出初め式には、女性団員が登場します。
 ちなみに、夜警では、男性の調理、食器洗いは当たり前。


 さて、イラン南東部ケルマン州バム付近で、12月26日(金)午前5時半頃(日本時間同日午前11時頃)発生した地震により、死者は、既に5000人を超え、数万人に達するだろうと言われています。

 非常に地震の多い国ではありますが、今回のものは、特に被害甚大で、国家的な大ダメージ。

 イラクよりも、まずは、イランへの自衛隊が、あるいは、国際救助隊に加わって派遣ができればどれほど良いか。赤十字社でなく、赤新月社が入る国ですから、欧米諸国よりも、日本の人支援の方が、かえって良いかもしれません。

 悪の枢軸国よばわりするアメリカにはできない支援を日本が、国際社会を前に、堂々と展開できれば良いのですが。
 イラクに行けて、イランに行けないというのも・・・。


 既に、AMDA医療救援チームは、今夜テヘランへ向け出発予定。日本からの派遣者は、3名。
緊急募金 郵便振替 口座番号 01250-2-40709
口座名 AMDA 通信欄に「イラン大地震」とご明記下さい。
ttp://www.amda.or.jp/cgi-bin/users/browse.cgi


 思い出すのは、97年5月のイラン東部地震緊急救援でのイラン出張。M7.1、死者約1500人の大地震でした。

 あれは、月曜日のお昼でした。逢沢当時外務委員長の運転手で、AMDA本部に、ご挨拶に同行させて頂いた際、思わず、私が、「イランたいへんですよね」と言ったとたん、「あ、そうだ、佐藤君、行かせましょう。」という、菅波代表と森暢子先生の暖かいご推薦に、代議士の即断で、イラン「出張」。
 その夜、夜行で、上京し、翌日の朝には、イラン大使館にいました。

 それにしても思い出したくない、不安だらけのイランの道中でした。極めて異例のことですが、当時の外務委員長の秘書も調整員で入るということで、NGO活動ではありますが、正式な国交とも言えないのですが「日本大使館」の全面的なバックアップもあり、えっちらおっちら砂漠の中を行くのも、生き死にではありませんでした。

 ただ、イランの片田舎で、一人で迷子になったときは、さすがに非常に厳しいものがありました。

 詳細は書きません。良い経験になりましたが、私は、様々な意味で、国外の緊急救援活動は、2度と行きたくありません。というか、私には、行けないでしょう。
 逆に、派遣員の方々には、つくづく頭が下がります。



 ところで、「国際貢献先進県」岡山県の対応ですが、AMDA等のNGOが、救援物資を送る希望があれば、それに応えて、タオルケットなど岡山空港の備蓄倉庫から、いつでも、運び出せる状況です。

 ただ、一応物資の受付をしていないわけではないのですが、県が音頭をとって、救援物資を集めるということはありません。

 募金以外は、現地の状況の報告を待ってからの方が、良いのかもしれません。たちまちどこかに届けるのは、得策ではないかもしれません。



 しかし、こうなると、緊急救援を意識した国際貢献活動を行い、推進条例を制定しようとする岡山県の対応は注目に値します。と言っても、具体的に動かれるのは、組織というよりも、数名のまさに、人です。

 年末のこの時期に、担当の方は、ある程度の出勤も必要ですし、ホームページで、AMDAや他NGOにリンクをはるなど、機動的な動きも要求されると思います。

 地方行政が、国際貢献をボランティアでなく、仕事にすると、かくも厳しいことになりますが、タイミング的には厳しい時期ですが、ここでノウハウも、できると思います。


 それにしても、鉄筋というものがない石と土の家が倒壊し、ひどい寒さの中で、苦しんでいる方が、明らかに何万人もおられます。風景が想像できるだけに辛いものがあります。

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