2011年6月4日(土) | ||
【あまりに遅すぎる岡山県の防災対策の動き その3】 | ||
麦秋。
本日は朝一で、新稔橋で街宣。私は、自民党所属議員ですが、政局がらみの混乱について、説明責任を我々地方議員が果たせるとは、とても思えません。 とにもかくにも、経済対策と防災対策の2点を集中して行って欲しいというのが、地方議員として、国政に対する願いです。 新稔橋界隈が、湾曲して流れる郷内川と倉敷川の合流地点であり、山の上には、ため池がいくつもあり、湖の堪水事業も行われている灘崎地区の防災も、磐石とはいえません。 灘崎でも、気になるのは、やはり児島湖と海をさえぎる海岸線の児島湾締め切り堤防です。 明朝、岡山県議会防衛議員連盟の有志で、福島県新地町に向かいます。岡山県からは、日本原駐屯地の自衛隊の方々が、派遣されています。 さて、おそらく、台風2号が通過した時に、多くの岡山県民の皆様が、やっぱり岡山県は安全だなと思われたに違いないと思います。 しかし、「岡山県地域防災計画」(震災対策編)を読むと、幾つかの問題点の指摘に、本当にこれで良いのか?と、ぞっとするものがあります。 <生活必需品の確保> 阪神・淡路大震災において、平常時の備えの不十分さが指摘されたが、岡山県においても災害の少ない地域という認識が阪神地方にも増して強く、家庭・事業所等における地震に対する生活必需品の備蓄は十分でない。 平常時から県、市町村及び住民は、震災直後に必要となる生活必需品が確保できる体制づくりに留意する必要がある。 <避難地及び避難路等整備計画> 地震発生時に避難する一次避難地、広域避難地及びこれら避難地に至る避難路は、あらかじめ指定し、標識等によりわかりやすく表示するとともに、防災マップなどにより広報等を通じて住民に周知、徹底し、万一に備えることが必要である。 しかし、避難路については、現在指定されておらず、また、避難地についても表示等が十分とは言えない。 このため、避難地及び避難路を指定した避難計画を策定し重点的に整備する必要がある。 <建設用資機材の備蓄計画> 資機材の備蓄については、県下20箇所の水防倉庫での水防活動を想定したものを中心としており、阪神・淡路大震災でも明らかになったように、複数の被害が同時・多発的に発生する地震被害に対しては、備蓄資材の内容及び数量等の一層の充実が必要である。 <港湾施設について> 港湾施設は、災害時の住民の避難、大量の緊急物資の輸送及び震災後の最低限の経済・物流活動の維持に際し海上交通の拠点として、また離島においてはライフラインの拠点として重要な役割を果たさなければならない。 <津波災害予防計画> 大規模地震に伴う津波災害の恐ろしさについては従来から指摘されており、特に平成5年(1993年)の北海道南西沖地震では、改めてその恐ろしさを認識させられたところであり、本県においても、宝永4年(1707年)、嘉永7年(1854年)など、津波災害の記録がある。 今後は想定される地震に伴う津波の発生について、関係機関の研究に基づき、津波の規模、被害区域などを推測し、その対策について検討する必要がある。 ・・・・県は、沿岸市に対して津波浸水予測図の作成及び避難誘導標識等の整備の推進を図り、地域住民等に対して津波危険予想地域の周知を行う。 ・・・そして、東南海・南海地震防災対策特別措置法に基づき、第4章=東南海・南海地震防災対策推進計画 で、章を割いていますが、同規模の地震が想定される大原断層や中央構造線の一部が震源地になる地震については、章を立てず。 「岡山県地域防災計画」(風水害等対策編)にいたっては、暴風雨等による災害、大雨等による災害、高潮による災害や異常気象による災害を想定していますが、高潮・洪水という言葉はあっても、津波という言葉がありません。 大きな天災が来るはずもないと信じていた岡山県において、備蓄もせず、避難路も確保していない状況で、中央構造線の一部で向かいの四国を震源地にした地震が起きて、瀬戸内海で津波が発生。あるいは、東南海・南海地震で想定以上の津波が来襲。 液状化した児島湾締め切り堤防を津波が破壊。笹が瀬川、倉敷川を海水が逆流。 逃げ惑う状況の中で、ともかく北へ向かおうとする多くの自動車は、岡山バイパスを先頭に大渋滞。 ・・・想像したくない・・・です。 おそらく最悪の事態を想定しなければ、真の防災計画にならないように思います。 | ||
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