2002年9月29日(日)
【暴走族対策について 爆音暴走調査隊結成?】

 本日も、体育祭等のスポーツ行事や敬老会、イベントの特異日で、あちこちとした一日でしたが、さっそく昨日施行の岡山県暴走族の追放に関する条例の話題に。要するに、掛け声だけでは成果は見られないのではないかというのが、さっそく危惧されているわけです。
 問題は、爆音であるという点も、はっきりしていません。

 考えれば、落書き調査隊から消去活動の動きにしても、どれだけ、行政や警察が、本気で取り組んでくれていたのか、よくよく考えてみれば、極めて疑問です。知事は、「晴れの国ジャーナル」で、高畑勲さんとの対談で、「消去隊」ができたことをなにか成果のように、発言されていますが、元来、恥ずかしいことです。


 いわんや、暴走族については、何度地域住民が、警察に電話しようと、議会で要請しようと、結局、成果が出ていないのが現実なのですから、もはや警察だけに頼るわけにはいかない、やはり、ここは、市民が立ち上がらないわけにはいかないと考えます。

 行政は、条例の成果と言うに違いありませんが、そうでなくて、もはや、頼っておられないのです。これで、お茶を濁らされては、このままでは、市民の生活の平穏は、守って貰えないのです。
 市民の生活が、あるいは、ビジネスが、あるいは、岡山の街の品格が、このままでは、ズタズタにされ続ける。そこまで追いつめられているです。

 仮に、市民と暴走族が、直接に対峙して、被害が生じた場合には、それは、警察の責任です。あるいは、誰か犠牲者が出ないと世論が高まらず、警察はそこまで強権を発動しないのであれば、警察は、市民を見殺しにし、人身御供が出るまで何も出来ない軟弱組織と言わざるを得ません。
 市民を守るどころか、みすみす危険に導いたのです。


 しかし、そうは言っても、どこまでも、街づくり。あくまで、遊びの要素は、欠かせません。爆音暴走族と遊ぼう、という大人の余裕は、欲しいところです。場合によっては、こちらがヘルメット、サングラス、マスクで武装し、横断幕を掲げ、拡声器で、「爆音暴走族は、岡山から出て行け!!」と、シュプレヒコールを上げることも考えられます。

 しまいにゃ、「打倒!!小泉政権!!」と叫んでいたりして(・・・・なんでじゃ?)。やはり、憎しみが全面に出るよりも、多少なりとも、おもしろくないといけません。同じやるのなら。

 顔を隠すのは、面が割れて、無差別に復讐されたら、こっちも恐いもん。ですから、やるなら、50人ぐらいの集団です。警察や機動隊は、住民を盾にすることになります。まったく酷い話です。

 やはり、市民全体が、彼らに罵声を浴びせる雰囲気が重要です。やるなら、こっちも、お祭りです。そもそも、向こうは、遊びでやっているのですから。もちろん、基本的な気持ちはそうであるということで、やる時は、本気で、戦いです。


 真夜中に、市民と暴走族が、目抜き通りで戦う全国でもっとも恥ずかしい街になることでしょう。しかし、それが、岡山なのですから仕方ありません。警察が守ってくれないのですから。ワイドショーにも出るでしょう。

 西川緑道公園の横の道を市民で封鎖し、爆音暴走車を一台通し、挟み撃ちにして袋叩きにする・・・・・これは、「七人の侍」の対野武士の戦法です。腐った生卵をぶつけたら、どうなるだろうか????
 膨らむ質の悪い妄想・・・・。
 やれるものなら、誰もがやりたいのです。そのぐらい苦しめられています。警察は、人権の相克に落ち込むけれども、被害者の人権は、どうなるのか、どうやったら止められるのか。


 なにか思われる方は、バイクに轢かれる覚悟で、是非、参加して頂きたいイベントです。一家言ある方こそ、サングラスをし、マスクをして、シュプレヒコールを上げて頂きたい。他に解決策があるでしょうか?要するに、そこまで行かなきゃおさまらんぞ、という流れです。、

 ただ、これを私は、仕掛けたいわけではありません。だいたい恐いですがな。かえってやかましいかもしれないし・・・。そもそも、私、暴力沙汰が大嫌いです。決して誰の血も見たくないです。なんとしても、それは、避けたいのです。可能性も含めて。



 いずれにせよ、爆音暴走調査隊を組織し、市民レベルで、爆音暴走族の実態について、調査してはどうか、まず、意識アンケートを取ってはどうか、という案が、落書き調査隊(←2人じゃん!!)で、出ております。
 落書きの被害地は、爆音暴走族の被害地でもあります。まずは、調査。そこからのスタートでしょう。

 対落書きの手法がまともに適用できるはずはないと思いますし、あらゆる意味で危険性が遥かに高いことです。調子に乗って出来ることではありません。石橋を叩きながら、出来ることを慎重に模索したいと思います。


 しかし、これが、住民自治の基本ではないでしょうか。全てが自己責任のもと成熟した市民が、自ら地域作りに参画する絶好の機会です。誰でも、当事者になることが出来るのです。

 ある意味では、我々は、共通の課題を提示されています。なにも爆音暴走族に限ったことではないですが、我が街のことについて、傍観するか、当事者として参画するか、どちらの立場を取ることも可能です。

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