2011年7月3日(日) 【宮浦港から高島神社へ】

 本日は、午前4時起きで、少し早いですが、七夕記念朝起き会からスタート。

 その後、京橋朝市へ。今年が15回目で、新庄村も、県境ギリギリまで運ばれる旭川源流の碑が到着していました。

 その後、地域の自警消防の操法訓練大会。生憎の雨ですが、放水まで行うのが凄いです。消防団が、操法の展示。消防団員の中に、自警消防に入っておられる方もおられ、上手く双方の連携がなされています。


 そこから、宮浦港へ。
 雨の中、地域の方が清掃されておられて船が往来するので、生まれて初めて、児島湾内の高島に渡りました。高島は、神武天皇が、3年(あるいは8年)も滞在されていたと伝えられます。

 したがって、祭神は、神武天皇、天児屋根命、武甕槌命、経津主命、比当ス。創建は、神武天皇乙卯3月。神武天皇東征の際、当地に行宮を置いたことに始まるとされています。宝亀3年に、相殿として4柱の神を奉斎されています。

 大正13年に、岡山市が海上公園として開発し、昭和15年に、文部省から「高島宮伝説地」として指定され、(旧)村社でありますが、県社に相当するものとされています。同年、紀元2600年記念事業として改築を行い、神域を整備しましたが、日中戦争により開発は、中止。
 明治天皇の御製の碑や顕彰碑が、建っています。
 ブログ写真参照 http://kappa.saikyou.biz/?p=2900

 一方で、写真のように、天皇縁の日本の歴史的に極めて重要な神社ながら、今は、無人の島であり、大型船通行のための浚渫によるものという声があるのですが、波止場が痛んでいます。
 地域の方が、本当に真心を込めて守ってくださっているのですが、行政からの支援ということになると課題も多いのです。

 児島湾にあり、漁業や航行はもちろん、高潮や津波から守ってくださる神仏だと思うと、決して、おろそかにはできないのですが・・・・。
 昨夜は、「吉備邪馬台国説」に関わる講演を拝聴しましたが、こういう岡山の歴史文化について、深く認識する必要もあると思います。


 午後からは、第61回「社会を明るくする運動」パレードに、保護司の一人として参加させて頂きました。しろちかから、表町商店街の縦断・・・かなり嬉しかったです。
 ただかなり蒸し暑く、ふらふらしておりました。


 この曲で、紅白出場。いったいどれぐらい泣きながら聞いたか、自分でも分かりません。
 馬場俊英=『スタートライン?新しい風』 http://www.youtube.com/watch?v=kpsNmCiDy9Q

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