2003年4月1日(火)【あと3日】
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今日から新年度。朝5時からの朝起き会の後、街頭演説、挨拶回り、その間の○○入学式等々で、ちょっと頭がボーッとした感じです。
その間に懸案山積。要するに、数におけるマンパワー不足につきます。この週末には、花見もピークでしょうが、選挙期間の9日間が、本当に勝負になると思います。ただし、盛り上がっていく要素があるのかどうか。
いずれにせよ、はっきりしているのは、4年前に比して、有権者の方の関心が、あまりに低いこと。敵視を越えて、無視に近いかもしれません。
どれだけ、選挙に関わって頂けるか・・・・・・。
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2003年4月2日(水)【県議会革命を】
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恐ろしいもので、あっという間に4年が経ち、明後日には、選挙戦に突入です。議員の任期は、4月29日までですが、実質的には、明日で、私の議席は失効です。
明日は、おそらく余裕がないと思いますので、本日、まずもって、皆様に心からの御礼を申し上げさせて頂きます。
おかげさまで、この4年間、特別職公務員として、県民皆様の税金をもって生活させて頂き、結婚し、子供もでき、ここまで大きな事故も病気もなく過ごさせて頂くことができました。
誠にありがとうございました。
一方で、あるいは自己満足に過ぎないかもしれませんが、16回の一般質問や、1169回のメール配信をもって、少しでも、県政が皆様に身近になったのではないか、多少なりともお役に立つこともあったのではないか、と自負しています。
もっとも、私のしてきた事は、一般質問であれ、街づくりの活動であれ、なにか特別のことではなく、当たり前のことで、根本的な課題である財政赤字の解消、景気回復が解決していないことについて、つまりは、なんの役にも立っていないのではないかとも思えます。
加えて、挨拶回りをさせて頂くにつけても、時には、嘲りをもって迎えられ、多くの皆様が、選挙に関心がない、議員が相手にすらされていない、私は4年間、誰からも無価値と思われるそんなことをしてきたのかと、打ちひしがれるような思いもしています。
私の4年間は、なんだったのだろう?
しかし、孤独なピッチャーズマウンドでふと振り返ると、自転車で回る妻がいて、ともかく焦ってせかせかしている母がいて、ムチャクチャな寝相の子供がいる。
青いジャンパーを着てくれるあれだけの人がいる。そして、この文章の向こうにいる貴方がいます。
多分、これからの議員として、そんなに間違っていなかったんじゃないか、誰かがそう思ってくれていることを信じて良いですか?
今回の活動中、この4年間で、選挙に対する意識が、大きく変わったと肌で感じます。議員は、蔑まされるというより、「無視」されるような、状態になりつつあります。ゆえに、投票率も激減です。
もはや、議員に期待などない、そんな風潮すら感じます。
このままでは、特定の団体を背景にした既存勢力が、さらに幅を利かせる「先祖帰り」の状況になると思います。
今回の選挙、放っておけば、大いなる禍根を未来に残します。
そして、私は、行政礼賛でも、行政批判でも、個々の議員批判でもなく、まずは、議員自らが首を締め上げ、私心を排した少数精鋭の政策集団に議会を変えていくという、大きな目標を掲げさせて頂きます。
議会が変わらなければ、行政や政治は、絶対に変わりません。行政のチェック機関ではなく、市民・県民の皆様の声を行政より一歩も二歩も先んじて、政策提案し、行政に執行させる、そういう本来の議会にしたいのです。
いつまでも、お上意識を持つのではなく、「選良」が、自立・自律するために、選ばれた議員が議会を形成するのです。
それをなんとしても実現するために、是非、2期目を頂戴したく存じます。私が、議会を変えます。戦うためのエネルギーをこの選挙で少しでも多く頂戴したく存じます。
ともあれ、いよいよ選挙です。
佐藤真治が、今回の選挙で大きく踊り出すことが出来れば、岡山県政に、県議会に、いわば革命が起きると思いますが、逆に、叩きのめされて沈んでしまうかもしれません。
結局、私のような議員を県民の皆様が、望んでおらなければ、岡山の未来ともども、私は、捨てられるでしょうが、なに、その時は、また、新聞配達をしていたあの頃に、戻れば良いだけのことですが。
いずれにしても、ここから先に、私が出来ることはそうありません。私は、叫ぶだけです。受け止めて頂けるかどうか、後は、全て皆様に委ねさせて頂くしかありません。
ただ、どうか一人でも多くの方に、思いの部分をお伝え頂ければ幸いでございます。そのことを切に切にお願い申し上げます。
本来であれば、お目にかかって、御礼とお願いを申し上げるべき方が多くおられるのですが、タイミングを失して、叶わなかった方に、心からお詫び申し上げますとともに、引き続きのご支援のお願いを申し上げます。
皆様本当にありがとうございました。正確には、もう明日になりました。私にとって2回目の正念場の選挙が始まります。
明日でとりあえず、配信は、一時停止させて頂きます。
「お詫び」でなく、「御礼」で、13日(日)の1171号で、再開させて頂きたく存じます。
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2003年4月3日(木)【暇乞い】
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それにしても、振り返る余裕はないですが、よくもまぁ、「こころ」も、1170回も続いたものです。たとえ今この瞬間に死んでも、我が息子は、父親が何にもがき、何をしようとしていたかは、理解してくれるでしょう。不器用ですが、確かに生きておったぞ、と。
おそらく、彼には、何も残せないでしょうが、「こころ」は、伝わると信じます。あるいは、私が身も知らない将来の議員が、この文章を読むことがあれば、これほどの幸せはありません。
選挙戦告示以後は、公職選挙法がらみで、自粛ということで、本日より、配信を停止させて頂きます。
泣いても笑っても、明日の朝、選挙という戦いの告示です。明朝出陣式は、午前9時です。平日の朝ですが、お時間の都合がつくようでしたら、是非、お越し下さいませ。
特に、4日夜の個人演説会は、スタートであるにもかかわらず、人が来て下さるか非常に不安です。どうかお越し下さいませ。
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4月4,5,6,7,8,9,10,11,12,13日無し
2003年4月14日(月)【当選御礼 次なる戦いは始まっています】
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皆様方の熱いご支援を賜わり、無事2期目の選挙を当選させて頂くことが出来ました。誠にありがとうございました。
今回の選挙戦は、何もわからなかった初回の時と違い選対作りから、麻酔なしで手術するような不安と恐怖と戦いでした。
これを越えられたのも、まさに、皆様のお力です。本当にありがとうございました。貴重な時間を割いて頂いた多くの皆様、本当に本当にありがとうございました。
いたらぬ佐藤夫婦をお支え頂いた皆様に、心から感謝御礼申し上げます。数々の非礼をどうかお許し下さい。
特に、長い選挙戦、運転、電話作戦、手振り、事務作業等で支えて頂いたスタッフの皆様には、いくら感謝しても、感謝の申し上げようがありません。
また、多くの地区、企業、団体で暖かくお迎え頂き、また、会場にも起こし頂き、本当にありがとうございました。
ただただ、皆様に感謝感謝でございます。
おかげさまで、前回11人中8位から6位へ、さらに、自民党内では、5位から2位へと着実に順位を上げることができました。
相対的には、それだけ責任が増したわけです。
しかし、投票率は、前回50.95%から38.34%。たいへんな数字です。これは、有権者の皆様方の岡山県議会に対する絶対的な不信の現われに他なりません。このことを厳粛に受け止めさせて頂き、謙虚に、かつ真摯に議会の信頼回復に務めさせて頂きます。
しかも、私自身大量に票を減らしており、候補者としては、喜びも半分ということで、逢沢代議士、後援会長はじめ、皆様方に、これだけの応援を賜わりながら、本当に申し訳なく、心から深くお詫び申し上げます。
そうした私の不甲斐なさを皆様に救って頂きました。
正当に評価頂けたなら、もっと上に行って良かったのではないか、正直悔しさもあります。
頭では分かっていたつもりですが、議会活動・政治活動と選挙活動が、ある意味直結しないことも、思い知らされたような気もします。
今回の選挙は、ある意味で、これからの私をさらに強くするに違いありません。
ともかく、今、なんと8288人もの支援の方がいて下さること、本当に本当に、感謝・感謝・感謝です。大型組織がないにもかかわらず、これだけの力が頂けたのは、まさに、一人一人のお力の結集です。
なんとしても、今回のように皆様にご迷惑をお掛けすることのないよう、次期に向けて、着実に、確実に、体制を整備させて頂きたいと存じます。
また、さらに、今回投票に行かれなかった方に、理解頂けるよう務めさせて頂きます。
次回は、さらに上位を目指します。少なくとも、投票率に左右されない基盤を必ず作ります。
ただしかし、今回大きな救いと喜びは、選挙戦最終日のあの盛り上がり!!はっきり書いて、非常に楽しかったです。こうした素晴らしい仲間に恵まれたこと、皆様に、楽しんで頂けたこと、これは、候補者として本当に幸せなことです。
次回も、もっともっと暴れてやりましょう!!
冷水の冷たさも、胴上げも、生涯忘れられない、素晴らしい思い出になると思います。
本当にありがとうございました!
ともあれ、選挙戦で訴え続けていたのは、党利党略、私利私欲を排した徹底した議会改革です。
「先祖帰り」の状況も見られる中、あるいは、孤独な戦いを強いられるかもしれませんが、あらゆる私心を排し、子ども達、これから生まれてくる孫達の世代にしっかりと責任を負えるそんな議会にしていくために、戦って参ります。
皆様方から頂いたエネルギーを素に、佐藤真治の戦いが、再び始まります。今後ともどうかよろしくお願い申し上げます。
「こころ」も再開です!
2期目!頑張るどぉ〜!!!!!!!!!!!!!!
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2003年4月15日(火)【当選その後】
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数々の祝いのお言葉、本当にありがとうございます。
本日の岡山市連合婦人会総会。超ベテラン県議会議員が、「選挙をする度、若返る。適度な緊張感が体に良い・・・」
・・・・そうだったんか!!!
夫婦分担での挨拶回りも、今回の県議選挙に関して、大話になり、なかなか進まず。
本当に、今回の県議会議員選挙に対しては、マスコミネタには、事欠かず、「有権者を馬鹿にしている」「マンガじゃないか」という声に加えて「若手議員は何をやっとんなら!」というお叱りを頂戴します。
まさしくその通り。
さっそく、夜中には、某所に行き、先ほどまで今後の議会活動について相談。ともかく動きます。
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2003年4月17日(木)【悔しさというバネ】
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構造改革特区のうち、岡山県全域を対象として、障害者等移動制約者のための新しい移動支援策として、タクシー等でカバーできない部分をNPO等によるボランティア輸送(有償)により補完する福祉移送特区が、第一弾全国57件の1つとして、21日に、認定されます。
介護保険とのからみ、タクシー等でカバーできない部分とは、有償の基準等、調べたく思います。
後援会申し込み用紙ではなく請求書がたくさん届き、様々な処理に追われる中、本日は、当選証書授与式がありました。
当選後、初めて、4月30日以降の新議会のメンバーが、揃いました。
4年前のことは、なぜかあまり覚えていないのですが、新人議員、再選議員の多くは、選挙前から面識があるため、新鮮味には薄く、むしろ、この場におられない議員のことが気になります。
必ずしも、戻ってくることが出来ない議会の厳しさを思います。
私は、嬉しいという感じよりも、これからの困難さを思い、緊張感を覚えました。この4年間で何がなせるのか・・・・・。
特に、当選インタビューで、「自民党から変えていかなくてはいけない」といった趣旨の発言をした事実は重いです。
それにしても、岡山1区の低投票率は、県政、県議会に対する圧倒的な不信の現われだと思えてなりません。これは、いずれ郡部にも伝播するでしょう。なんとも、肩身が狭いです。
議員にとって、無投票より責任は重いと思います。
不景気、直前の市議・市長選挙、倉敷の無投票、争点の不明確さ、親子対決に見られる候補者への戸惑い、県政の分かり難さ・・・・・原因は、いくらも考えられますが、ともかく、県議会、県議会議員に対して、全体としてNOである、そういう判断が、県民の皆様から出たのだ、そのことを肝に銘じ、信頼に足る議員、議会の構築に務めます。
なによりも、私自身、順位が上がったことよりも、票を減らすということが、こんなに悔しく、落ち込むことであるとは、思っていませんでした。その思いは、選挙が終わって、日増しに強くなります。
もちろん、当選させて頂いたこと自体、ご支援頂いた皆様に、いくら感謝してもしきれないのですが、投票率の低下に連動した割合とはいえ、票を減らしたという事実で、申し訳なさや、後悔の念ばかりが、出てきます。
感謝の気持ちと己への不甲斐なさで、なんともいえない心境です。
スタッフとして働いて下さった方のことを思うにつけても、多くの方からお祝いの言葉を頂戴するにつけても、本当に申し訳ありません。
ただ、こういう気持ちになれるなら、次も伸びしろがあるとも思えます。叱咤激励をこれだけ頂けた、その重み、意味を噛み締めます。
こういう私に託して下さる方々に、心から感謝し、しかし、今回の結果を謙虚に、真摯に受け止めさせて頂き、捲土重来の思いで、頑張ってまいります。
佐藤真治が、議員としても、人間としても、大きくなっていくこと、そういう佐藤真治が、岡山県のお役に立つこと、それ以外に、皆様への恩返しの方法はありません。
一方では、27歳女性新人に、マスコミは集中。中学校の後輩でもあり、まさに未知数の魅力ですが、ともかく今を変え得る可能性に、期待が集まっているのだと思います。
これだけの注目に彼女は応えていかなくてはいけませんが、そういうプレッシャーを跳ね返せるものと信じ、私も陰ながらサポートさせて頂きたいと思います。
なによりも、今回5人になった女性議員には、惜しくも引退された尊敬すべき共産党女性議員のように、議員としての資質で評価されることを問題にすべきであって、女性だから、若いから、ということを売り物にするのではなく、一人の議員として、正々堂々の論陣を張り、広く県民のために勝負をされることを期待したいものです。
そもそもが、女性議員は、半数いても良いわけで、ある意味で、女性だからと、注目されることがない時代にならなくてはいけません。
もちろん、そうは言っても、議員に、男も女も、先輩も後輩も、何期もありません。あるのは4年間の任期です。議員として、誰にも決して負けないよう、あるいは、切磋琢磨しながら、この4年間の命を燃焼して参ります。
昼から夕刻まで、様々な議会関係の会合。公約の議会改革のために、まずは、できる動きから開始です。
公約したからには、具体的に動きます。
1期目は、がむしゃらに、己一人で戦ってきましたが、2期目は、思いを議会内に広げていくことを心がけます。
点を線に、線を面に、面をうねりに!
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18日無し
2003年4月19日(金)【福祉移送特区とNPO】
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構造改革特区のうち、全国第一弾の岡山県全域を対象として、「障害者等移動制約者」のための新しい移動支援策として、「タクシー等でカバーできない部分」をNPO等によるボランティア輸送(「有償」)により補完する福祉移送特区について。
そもそも14年度単県事業の「福祉移送コーディネート事業」の成果として、タクシー業界等とは、役割分担等十分に協議し、経緯は十分に理解して頂いた上での、改革特区で、現在のところ、業界からの反対等は、ないとのことです。
要するに、病院等への移送に限定されている介護保険や支援費制度とは別立てで、「移動制約者」のコンサートや買物等への外出の際の利用をイメージすれば良いとのことです。
具体的には、一般旅客乗用自動車ではなく、自家用自動車で、有償運転を認める(いわゆる白タク)規制緩和の特区ということです。
運用そのものは、6月1日以降、振興局単位で、タクシー業界を含めた運営協議会の協議を経て、運輸支局を窓口に、NPO、社会福祉法人が、申請→「許可」という流れです。
さて、気になるのは、有償とは幾らかということ。基本的には、国土交通省の通達で、タクシー料金の半額を越えない額に落ち着きそうですが、私が一番に気になるのは、税制面について。
残念ながら、収益が上がるほど儲からないことを前提に発案された節があり、NPOボランティアの現状、意向とは、かけ離れていないか、と感じました。したがって、課税のことについて協議不足です。
儲からずとも、あるいは、儲からないことをNPOは、やるだろう。いわんやタクシー業界の圧迫にはならないだろう、という想定が、果たして当たるかどうか。
たとえ、タクシー業界の半額とはいえ、人件費等がボランティアで、減価償却が要らない福祉車両を使えば、これは、まともに、NPOの収益につながります。
33項目にはまれば、当然課税対象。解釈ではまらねば、まるまる入ります。このあたりも、ポイントです。
福祉NPO、あるいは、社福の中で、税金を払おうが、収益事業の柱にもって行こうとする団体も出てくるかもしれません。特に、介護保険認定事業者なら、病院の移送は、介護保険、そこから、映画に、買物にとなれば、タクシー料金の半額近くを徴収。
利用者にしてみれば、突然、有償になることもあるでしょうが。
加えて、会員限定の移送を行う既存のNPOは、会費プラスガソリン代実費と認識していますが、金額設定は、なかなか難しいです。
さらには、福祉移送用の車両があるという前提がありますが、福祉車両が必要な「移動制約者」の定義も難しく、個人的には、安全面等も含めて、大冒険の規制緩和だと思います。
いずれにせよ、必ずしも、福祉タクシーが、収益の柱にもなり得ないタクシー業界との住み分けができれば、あるいは、郡部において、少しでも全面的にボランティアだった事業者にお金が入るなら、構造改革特区は、大成功ということになります。
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【派閥】
当選証書受領後、いわゆる人事に向けて派閥の動きが活発化してきました。
詳細は、書きかねますが、マスコミ報道通り、自民党内には、政友会、県政会という2大派閥があり、5月の議長、副議長、幹事長、委員長、副委員長ポストを巡る鍔迫り合いが、始まったということです。
永田町まがいのこういったゴタゴタは、良識ある県民の皆様にとっては、まさにコップの中の争いで、そうでなくても低投票率に示された県政不信をさらにさらに助長させるものでしかない、そう言っても過言ではないと思います。
特に、初当選の皆様方には、旧態依然の派閥という響きそのものが、かなりの戸惑いを与えているようです。
そういった認識を私も持ってます。
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2003年4月20日(土)【1週間経って】
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選挙事務所の撤収をということですが、祭りの後は、淋しすぎるので、なにやら後ろ髪を引かれるような思いが、残っています。
こうして思うと、実に良い選挙だったのだなぁ、と、本当にありがたいです。候補者がどうというよりも、皆さんの繋がりができたことが、なにより嬉しいです。
得票以上に大きな物が、残りました。
いろいろありましたし、今もいろいろありますが、候補者には、もったいないほどの良い関係が残りました。
1週間前の今日、あれは、盛り上がったなぁ、と、しみじみ思います。サンルーフからも手が出て、先導車は、まるで、花魁電車。それに、先導車2台目ときて、本体車・選挙カー、それに、後続車が、2台の計5台。
中心市街地5台編成は、なかなかできません。
私も悔いのないほど叫びましたし、皆さんも、悔いはなかったと思います。Oさんの姿なぞ、夢に出てきそうなほど、もう愉快で、楽しいなんてもんじゃなかったです。見てる人がどうあれ、こっちは、最高でした。
私は、新しい戦いの始まりであるバンザイよりも、全てが結集するマイク納めの前が大好きです。
どうして、皆様、車に乗られなかったの?どうして、選挙に「参加」されなかったの?なにか、楽しみを一つ知らないですよ、と言いたい気分です。
選挙は、やはり、終わってみれば、おもしろいと思います。今回は、非常にしんどかっただけに。
なにより、日常生活では、まず会わないだろう人間の関係が、戦友という感じでできるのは、選挙の醍醐味だと思います。
次回は、是非、皆様、ご参加下さい!
私の方は、雨の中、挨拶回りに、会合に出席。次第に、もとの日々に戻っていくようです。1週間前を思い出しながら・・・・・。
少しずつ、まわりに人が見えなくなって、ふと孤独の渕に落ちたりもしながら、議員に戻っていきます。
しかし、議員ひとり作るのに、いったいどれだけの人の思いや時間がかかっているか、それを思うと、大切に大切に、4年間の1日1日を過ごさせて頂きたい、と心から思います。
お一人お一人にお返しできることは、少ないのですが、少なくとも、佐藤を応援して良かった、と誇りを持って言って頂ける、そういう議員になるため、努力精進して参ります。
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2003年4月21日(月)
【山地の社会的な移動制約者のためのタクシー券】
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お祝いのメールへの返信が遅くなりまして本当に申し訳ありません。しかも、当選後の御礼の挨拶がないと各方面からお叱りを頂き始め、追いかけるように妻と2人で、あちこち回らさせて頂いています。
電話では失礼と思った結果、余計失礼になっている有り様。誠に申し訳ありません。
ある会で、山地のタクシー事情について伺いました。特に、福祉移送特区の影響について。例えば、社協などが福祉バスを走らせてはいるものの、例えば、高齢者の方が、病院に行くケースで、孫に頼めば余計にお金がかかる、嫁には気を遣う、それ以前に頼める若い者がおらん、そういう場合、やはり、タクシーではないか。
とある山地のタクシー会社は、観光、酔客の移送等のタクシー事業では採算は取れないが、自動車整備事業で補填しながら、少ない要請に応えている状況で、社協やボランティア団体が、移送に関わった場合、「肉体的な移動制約者」は助かるけれども、「社会的な移動制約者」をどうするのか、それをどこまで、タクシーが補えるのか。
これは、中山間地、あるいは、岡山市内の「山間地」にも当てはまります。公共交通機関としてのバスが走らなくなって、「社会的な移動制約者」として通学者や通院者が困っているわけですが、タクシーに山まで上がってきて貰うのか。
考えられるのは、タクシー券の配布。他の市町村には、そういう例もあるようです。財政難の折り、できるかどうか、これを研究したく思います。
今回の選挙で、「山に上がる」ことの意味が少し分かりましたが、私は、中心市街の活性化に加えて、中山間地の問題、農林業の問題について、今期は、特に真剣に取り組まさせて頂きます。これは、いたるところでした公約です。
まずは、シティーボーイの真ちゃんは、農林水産委員会所属希望です。
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2003年4月22日(火)【ガス化熔融炉】
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今日も今日とて、ご挨拶回り。今は雨ですが、暑い一日でした。御礼も、GWまでに、終わるはずもありません。
どうしても、一件一件が長くなります。ここらあたりからは、挨拶が遅いと言われかねず、本当に失礼をお許し下さい。
本日午前中に、倉敷市が発注元になったPFI手法によるガス化熔融炉の着工、安全祈願祭が、水島コンビナートD地区で行われました。実に久方ぶりの市外へ。
慣れない水島で迷子。大遅刻でしたが、逆に、商店街を含めて、水島を体感できました。
結果として、倉敷市選出の県議会議員以外の出席は、なぜか私だけでしたが、平成17年にこの施設が完成するまでは、岡山市が、ダイオキシン対策のできていない倉敷市のゴミ焼却炉の一部肩代わりで、一般廃棄物の受入れをするわけですから、岡山市にも無縁ではありません。
なによりも、倉敷市の一般廃棄物の中核清掃施設と水島コンビナートの産業廃棄物を同時に資源化(ガス等をコンビナートで消費)するという、ゼロエミッション対応施設として、全国最先端の注目のビックプロジェクトと言えます。
実は、最終処分場は、さらに併設して作られる予定ですが、このガス化熔融炉は、一般廃棄物、産業廃棄物、ごちゃまぜで五種分別も不要になる、新しい最終処分の形と言えるかもしれません。
豊島の三菱マテリアルに、ある意味似ています。
ところで、D地区と言えば、川崎製鉄。ご案内の通り、昨年9月に、NKKと川崎製鉄は、持株会社「JFEホールディングス」を設立し、新たにJFEグループとしてスタートしており、今回のPFIも、JFEエンジニアリングスの設計施工で、官・民出資の特定目的会社である水島エコワークスが、PFI事業者ということになります。
私も、水島コンビナートの工場敷地に入ったのは、小学校以来の気もしますが、D地区の突端、最終処分場を埋め立てて、県の外郭団体が経営破綻させ、民間に譲ったたゴルフ場、水島ゴルフリンクスに行くには、JFEの工場脇を通らねばならず、これは来難いと実感しました。
逆に、ガス化熔融炉の耐久年数が越えても、真横に、増設できそうで、瀬戸内海を目の前にして、不思議な気がしました。
ところで、岡山県が、倉敷市水島地区の国有地を買収して、「水島コンビナート」となる一大臨海工業地帯の開発を始めた野は、1952年。ここから、岡山県は、農業県から工業県に生まれ変わりました。
当時の三木行治知事は、軍需工場跡地の水島地区を中心とした沿岸部に企業の誘致を計画。県民所得も大幅増。
一時は、県税収入のうち、約1割を水島地区の法人税が占めていたそうです。
公害訴訟もありましたし、重厚長大産業は、まさに変革期にあるとは言え、コンビナート界隈を走れば、まさに先見の明。こういったスケールが、県政のスケールなのでしょう。
着たきりすずめに、大手饅頭。岡山県政の歴史には、三木行治という偉人がいます。
三木行治と言えば、「私心なき献身」。岡山の偉人は、清貧というより、私心がないことに特徴があります。
そういった精神風土を今まさに、蘇らせないといけません。
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2003年4月23日(水)【支援費制度について】
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本日も挨拶回りが続きます。夜の会合も重なり、選挙戦は、まだまだ終わっていない感じです。
ともかく、今期は、毎回質問は当然としても、1年目に具体的に議会を動かすような成果が出せなければ、議員として選ばれた価値・意味がない、と、位置付けているため、いまだに、気が急いています。
一方、特に、あの投票率は、たいへんなトラウマになりそうです。成果が出なければ、次期はどうなるのか、と。
なにか、死に急いでいる感じもしますが、果たして、呑気な笑顔に戻る日が来るのかどうか、ともあれ、この1年が勝負です。
そうは言いながら、お茶をしながら、重度障害を持つ友人と、この4月導入の支援費制度についてあれこれ。個人的には、介護保険導入時と比べて、どうもやはり、議論が足りていないまま実施されている気がします。
しかも、地方分権の美名の下に、これから、益々厳しくなるのではないか、という感もあります。
措置から対等な契約に、ということで、支援費制度そのものは、利用者には、ある種の期待感があったのも事実です。
しかしながら、介護保険で言うところのケア・マネージャーが存在しない(セルフ・マネージメント)状態に加えて、介護保険事業者が、様々な事情で、必ずしも、支援費の事業者にならない(例えば、日常生活支援を行わない)実態があります。
少なくとも、複雑になったがゆえに、今までと同じサービスが受けられなく可能性も出てきています。
4月一杯は、特例期間ということですが、郡部の状況も含めて、円滑に運用がなされているのか、また、ケア・マネージャー的な相談機関が必要なのではないか、支援費制度には、幾つかの課題がありそうです。
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2003年4月24日(木)【市議と県議】
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市内の中山間地へのご挨拶。中心市街地活性化、商店街活性化を言ってきた者にとっては、市内にある棚田に驚き、イノシシ対策に加えて、2tのバキュームカーがどこまでも入らないという問題、福祉バスの問題など、非常に新鮮な課題です。
同時に、市議会議員と先生方と我々県議の仕事の比較を思う時、結果が、生活密着で、可視的なものが多いという点では、こと地域に関しては、市議の仕事の方が、分かり易く、圧倒的に仕事量が多く、ある意味、その分やりがいがあるということも感じます。
また、現場の最前線におられるそのことに、心から敬意を払いたいと思います。
県議会議員が、同じように動くのは、難しいのですが、少なくとも、岡山市選出の県議会議員は、岡山市や倉敷市にとって過度な「負担」条例の見直しなど、基礎的自治体の支援をいかに行えるかが、重大な課題だと思います。
岡山市サイドからすれば、県都として、全県を支えるにしても、過度な負担になっていると思われます。このあたり、市議の先生と思いを共鳴させる必要があります。
地方分権一括法施行後は、県・市も、あくまで対等協力関係であり、県が市を指導する立場にはありません。いわんや、岡山市は、政令指定都市を目指す中核市です。
我々県議会議員にとって重要なのは、永田町の政争を受けて、地方政党として、俄かに反応することではなく、いかに生活者の視点に立って、県のサイドから、市町村を支援できるかにあると思います。
本来の地方分権の担い手は、あくまで基礎自治体です。
いわんや、手段である県や県議会という仕組みを後生大事に護持することが、優先課題ではありません。
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2003年4月25日(金)【当選と落選の間】
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統一地方選挙の後半戦も、いよいよ明日が最終日。聞き慣れない名前を連呼する選挙カーを横目に、降ったりやんだりの雨の中、今回の選挙で、落選された議員のことを思いながら、霧がかかる丘を越えました。
公私にわたりご指導頂いただけに、私の議場には、ぽっかり穴があくようです。
まともな神経の持ち主なら、たとえ何期当選しようとも、この時期、選挙後に吹き出す様々な声や重圧の中で、おそらく候補者本人にしかわからない、なんとも言えない孤独感、焦燥感にもがき苦しむと思いますが、現職で落選となれば、私の想像を絶する精神状況だと思います。
ただしかし、全ては、有権者の皆様が決すること。誰も恨むわけにはいきません。
あるいは全財産を投げ出し、あるいは己の人生を賭けて、世のために良かれと思い戦っても、それは、誰かを巻き込んでする就職活動であり、ただの我が侭であると評価されたりもします。
いったい何が評価の基準になるのか、時としてわからなくもなりますが、少なくとも、運と運を呼び込む努力が必要だと思います。しかし、基本的には、自分の力ではどうしようもないような、何かの仕組みがあるようにも思います。
なによりも、どれだけ支えて頂けるか、それが全てです。
大きな帆を上げて、どれだけ支えて頂けるか、どこまで、風が吹くのか、先のことはわかりませんが、風が吹き続けることを信じ、また、そのための努力を続けます。
私は、選挙のある人生を選んだのですから。
個人的には、当選後に、華やかなバラ色の人生など一切待っていないと思いますが、一度きりの人生をいかに燃焼させるか、皆、役割を感じるから出馬するのでしょう。
天命を感じ、宿命を背負い、運命と戦い、使命を果たす、全ては、命(めい)です。私にも命があると思っています。
これからの岡山にどうしても必要な人間であると自分で思わなければ、そもそも選挙には出ません。
それにしても、選挙で、誰もが傷つかないことを祈りたいけれど、明後日には、全国で、悲しみの涙も流れます。
あぁ、尾崎豊に良い詩があります。
−僕が僕であるために−
僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで僕は街にのまれて 少し心許しながらこの冷たい街の風に 歌い続けてる
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2003年4月26日(土)【祭りのあと】
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岡南町の選挙事務所も今日明日で撤収です。場には気が残るため、なんとなく、前回の新屋敷の事務所の前を通る時のように不思議な感じがすると思います。
というわけで、来週からは、完全に平和町に戻ります。
昨年12月に「やみ鍋の会」をして5ヶ月。本当にいろいろありました。ご来訪頂いた全ての皆様に心から感謝御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
実に実にいろんなドラマがありました。
4年後に備えて、次回、備品から整理してということがないように、皆様がダンボール箱に仕分けして下さったのがありがたく、なんとか、GM中には、平和町の片づけもできればと思います。
ただ、まずは、選挙の収支報告書の提出があり、請求書、領収書の整理に追われることにもなります。
なんともさびしい祭りのあとの余韻に浸る間もないことが、私にとっては、ある意味幸せなのかもしれません。
などと言いつつ、さきほど、ダンボールを運ぶ際に、懐かしい傷みが・・・・・。あぁ、腰痛再発。来る気がしてました。
思えば、よくここまでもちました。もうどうなっても良いです。
これで、少し休めるかも、と、正直に書いて、どこかで、ほっとしています。腰痛も、そろそろ慣れてきました。
皆様、どうか楽しい週末をお過ごし下さいませ。
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2003年4月28日(月)【道州制について】
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腰痛のためコルセットをはめて、よたよた動いています。
収支報告ということで言えば、期間中は、法定費用以下でいけそうですが、後援会活動期間を入れれば、やはり大台は、避けられそうになく、賞与、期末手当の全てを突っ込んでも、貯金通帳は、ゼロまであと僅か。
情けないやら、悲しいやら、4年の収支は、マイナスです。
こうなることは予想通りとは言え、子供が、2歳でなければ、こういう生活は不可能で、人生設計もへったくれもなく、選挙が就職活動と揶揄する方に、こういう実態は、知って頂きたいものです。政治家に清貧を求める方々にも。
後藤田長官なら「ヘラクレス」の道と言うかも・・・・。
ところで、岡山市の合併・政令指定都市の話が、先日の県議選挙、昨日の玉野市議選挙の動きを受けて、再燃されると思われます。
ただ、県議会的にいうと、かなり状況に変化があり、昨年の報告書をもって、そこから大きく動く可能性は薄いように思います。逆に言えば、それだけ、完成された報告書であるとも言えます。
そして、これ以上、県議会サイドからなにか申し上げることには、私個人としては、やや抵抗を感じています。
一方、私の関心は、大きく「道州制」の話に移っています。この4月11日に、「21世紀の地方自治を考え懇談会」の報告に基づき、「道州制プロジェクトチーム」が発足していますが、「中二階の県を廃止しましょう!!」という話に、「改革派知事」のリーダーシップのもとであれ、県職員の方々が一生懸命になるとも思えず、むしろ議員主導(議員こそ積極的になるかどうかわからないですが)で進めないと、一時のブームのうちに、有耶無耶になってしまうと危惧します。
10年20年先の話ですからと管理職の職員の方は言われるかもしれませんが、私は、「私達は、20年先も議員かもしれないんですよ。そこを意識しないで、なんで今の活動ができるんですか?」と、いつも申しております。
近々に道州制を含めて、正式に議員有志の研究会が立ち上がります。
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2003年4月29日(祝・火)【公営住宅について】
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そう言えば、昭和天皇最後の天皇記念日に、皇居に一般参賀に参りましたが、右翼の方に街頭で説明て頂かないと、平成も、早、15年ですから、高校生は、今日がなんで休みになったのか、わからないかもしれません。
さて、岡山市議は、5月1日からと聞いておりますが、県議の場合は、実は、1期目の任期は今日までで、明日から、2期目に入ります。29日で切るのは、なにかすっきりしない理由だったように思います。
本日は、絶好の行楽日和でしたが、午前5時からの朝起き会から、地域のグラウンドゴルフ大会、ある町内の草刈り、残務処理に追われています。
一方で、県営住宅入居の相談。相談を受けても、結局は、運任次第ですよ、と、説明するしかありません。
年1回の抽選から大きく仕組みが変わって、年に4回の公開抽選で、母子家庭、生活保護家庭、障害のあられる方など、2回のチャンスが与えられますが、ところによっては、倍率が、約15倍。
よほどくじ運が良くなければ、人気のある公営住宅には入れません。
すぐにでも入居されたい単身者の方や、リストラ・倒産等で、住居を引き払わなくてはならなくなったようなケースの相談を頂く度に、あるいは、DV被害者の方の自立支援の方策としても、公営住宅が、いつでも受け皿として機能することは重要だと思います。
しかし、その一方で、老朽化して人気のなくなった公営住宅の保全はたいへんですし、違法な使用形態、家賃滞納で裁判になるケースもあります。
中心市街地の再開発の一環として、公営住宅を建てるべきだというご意見も伺うのですが、いわゆる高度成長期の住宅不足の中で、民間が難しかった土地開発、住宅供給をいまだに公社として、行政が行い続ける意義はなんなのか。
いわゆる公社による開発の失敗で、分譲地の値段を下げるようなケースも出ていますが、結局、その損は、市民・県民が負うことになるわけです。行政コストの削減という観点からすれば、他にやりようもあるように思います。
是非、ご意見をお聞かせ下さい。
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2003年4月30日(水)【岡山中央警察署ができないか】
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本日から2期目の任期が始まりました。今日一日、今日一日と4年間完全燃焼させて頂きます。
貯まっている様々なご依頼事の件で、通常業務として、地方振興局や西警察署へ。
中心部の騒音の問題について、民民の問題に、どれだけ警察が関与できるかは、非常に難しいものがあります。
ただはっきり言えるのは、岡山市の中心部の警察力に不安があるのではないか、ということです。
ご案内の通り、旧東署は、現在の県立美術館に、旧西署は、伊福町にあったわけですが、いまや、東署は、旭川の東に、西署も、JR岡山駅から大きく離れました。
個人的には、この東署と西署の距離が、開きすぎであると思います。
そして、最大の規模を誇る西署の管内には、JR岡山駅、西口再開発ビル、岡山空港、大学街に加えて、西部新拠点があり、東署との所轄は、旭川ではなく、西川で分かれているため、本町、錦町、柳町といった繁華街も、管内です。
つまり、現行犯ならまだしも、西川を境に、事件の発生件数が数えられるため、まるで、湾岸警察対なんちゃら警察じゃないか、西川を越えてまで、お互いに追っかけるのか、と揶揄されるところです。
いずれにせよ、西署は、南署、西大寺署に比しても、相当に守備範囲が広いと言わざるを得ません。
西署も、だてに、豪奢なばかりの建築物ではありません。
こういう状況で、私は、過去に、中央警察署が必要ではないですか、と委員会や委員会視察等で提言させて頂いたことがあります。しかし、西川を境にして、二重に警察権が及び、かえって、公安に資する、あるいは、警察署の前は、暴走族等が嫌がらせに来るので、治安が悪くなる、という回答を頂き、附に落ちないものを感じました。
昼は昼で、交通事故など緊急対応に追われる中心部の派出所は、夜になれば、人員は、田町交番に集合しますので、爆音暴走族がかけっても、いつ行っても留守。郊外の駐在所は、他の署に応援に出掛けて、いつ行っても空っぽ。
これは、個々の警察官の方の責任とも言えません。
80人増員しても、駐車違反取締りを仮に民間委託しても、青少年や外国人を中心に増え続ける犯罪の前に、十分に対応できていないと言わざるを得ないように思います。
西口再開発が進み、中心市街地にも、マンションを加えた再開発ビルが建ち始めました。小学校の統合は、時として、商業施設、特に、風俗店の無秩序な拡大を生み、その影に、暴力団組織が跳梁跋扈しています。
岡山の治安は、ここ10年で、みるみるうちに悪化していると、私は、肌で感じます。
全国に恥じるべき落書きや爆音暴走族に悩む中心市街地の状況を見るにつけ、平成17年の岡山国体で、こんなに治安の悪い街で、県外の方を迎えるわけにはいきません。
私は、今こそ、中央警察署が必要だと思います。おそらく、既存の交番に加えて、30人体制ぐらいで足りるのではないか、場所なら、中心部には、いくらでもある、と考えます。
財政難ではありますが、事は、まさに、生命、自由、財産に関わる問題です。街の品格の問題なのです
願わくば、地域やPTA、財界も含めて、私は、広く、岡山中央警察署の創設を訴えていきたく思います。要望を一つの大きな声にしたく存じます。場合によっては、署名活動も辞さない、そういう運動を起こしたく思います。
幸い、私には、4年あります。数字の裏付けをしながら、腰を据えて、動ける時間です。
是非、ご意見をお寄せ下さい。
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