2000年6月1日【総理への弔意】
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 本日の文教委員会は、6月定例議会提出予定案件の説明が、主でしたが、むしろ共産党の議員の質問への答弁が気になりました。
 すなわち、6月8日午後2時10分から、小渕元総理の合同葬に際して、官房長官から文部大臣、さらに文部事務次官から、各学校で、弔意(端的には、黙とう)を示すことを周知するようにとの通知が、あったとのことです。平成7年福田元総理の時も同様の通知があったそうですが、県教委としても、それぞれの教育委員会を通して、周知に務めるようです。

 個人的には、君が代・日の丸とは、全く違う話だと思います。(君が代・日の丸については、11年6月定例会一般質問をご覧ください。)政治的にも選挙的にもどうかな、と思います。元総理の死は悼みますが、子ども達が学校で、黙とうする理由が、わかりません。皆さんは、どう思われますか?
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 本日市長より、小学校再編に関して、1校統合の「提案」が、なされました。月曜日の内山下からの1万人の反対署名の提出を受け、教育長でなく首長の異例の発言となりました。その是非についてのコメントは控えます。
 ただ、いずれにせよ、地元の紛糾は必至です。
 他地区選出の議員は、どちらかの側で、何を言おうが平気でしょうが、私には「地獄」の始まりです。なにより地域の方が、たいへんです。
 ともかく忘れては行けないこと、大切なことは、子ども達の未来です。
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2000年6月2日【委員会資料は宝の山】
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 いよいよ衆議院解散です。まともに、6月議会とぶつかりますが、なんもかも頑張ります。どうか宜しくお願い申し上げます。
 とりあえず奥田の選挙事務所へ皆さん行ってみましょう!!

 広域交通・物流対策特別委員会のあと、文教委員会正副委員長への主要事業説明がありました。今日は、6課の課長さんから、ご説明頂きました。やはり身近で、関心も強いところで、長時間でしたが実に有意義でした。後半は、7日です。
 「朝の読書」の普及や、「総合的な学習の時間」に向けての教員養成、総合文化センターの機能強化、さらには、男性教員の産休について等々、なんやかやと日頃思ったり、ご要望頂いていることの検討のお願いをしました。

 委員会に限らず、情報にいち早く触れられ、ともかく山ほど資料を頂くのですが、まさに宝の持ち腐れではないか、と思う時があります。いわば、HPの検索エンジンにアクセスしているようなものですが、処理しきれないのです。どうアプローチしていくのか、それからして勉強中です。
 つまりは、不勉強と経験不足につきるわけで、そもそもが、財務諸表や法令の読み方に熟達していないと議員の資格はない、といつも思っては、います。私は、基礎を欠いている気も実はしていて焦ってもいます。
 皆さんのご支援やご要望が、エネルギーですが、議員活動のエンジンは、自分で作っていくしかありません。なんとなく漠然と走る、小手先の活動はできても、本物には、なかなかなれません。ともかく頑張ります。
 しかし、どうすんだ、この資料の山?
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2000年6月3日【役割】
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 今回の選挙では、私にはいろんな立場があります。あるいは役割があります。元秘書として、県議会議員として、附中の後輩として、JCの後輩として、総じて恩を受けた者として、しかし、ひとりの有権者として、ひとりの人間として、何がなせるか考えています。
 それら全てを取り込む身は、ひとつ。様々の人間関係の中で、様々の仕事の中で、身はひとつしかありません。が、やるしかありません。
 とりあえず、ご協力頂き高校の同窓生へ激文他を約五千送りました。いくつか会合も計画中です。
 応援弁士にどれだけ使って頂けるかはわかりませんし、動員割り当て、法定ハガキ割り当て等今後のことは不明です。
 とにかく全力でやるしかない残り3週間、ご支援宜しくお願いします。

 願わくば、ともに戦いましょう。

 なお、本会議は12日からで、公約の毎回一般質問は、20,21,22日のいずれかの日と思いますが、あくまでやります。
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2000年6月4日【激突!京橋朝市】
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 岡山で、市民(庶民)の市民による市民のためのイベントとして最高に成功したのは、疑いなく京橋朝市だと思います。毎月第一日曜未明の早朝からのこの催しに、ほぼ毎回私は実行委員会事務局の本部テントに、お邪魔します。もっとも、お目当ては「うどん」という説もあります。代議士秘書時代から通って数年になり、かわいがって頂いております。

 実は、この本部テントは、市長、市議、県議、国会議員のまさにサロンで、様々な情報交換、意見交換が行われます。なにより、市民の方々と生で触れられる場と上の方は、取られているようです。私は、いっつも、という気もしますが。また、実行委の方々もかなりの方々で、いわば岡山の「世論」が、生まれる場であるとして、私は、敬意と親しみとともに、畏れに似た気持ちすら持っています。それだけ重要な場なのです。2回行かないと佐藤は死んだらしい、と言われそうな気もしますし・・・。

 そういった場なので、選挙となるとたいへんで、私の県議選挙を含めて、幾度となく国政、首長選挙が、ここでヒートアップしました。今回も例外でなく本日は、比例を含めて岡山1区・2区全候補が集結しました。一番乗りは、午前5時過ぎで、9時まで入れかわりたちかわりでした。まるでオールスター戦の賑やかさでした。早朝から集われた我が陣営の皆様本当にお疲れ様でした。常日頃のこともあり、圧倒的に当陣営有利だったと思います。

 いよいよ選挙戦の前哨戦も本格化 してきました。ここからです!!
 余談ですが、今日私は玉島で、犬のフンを尻で踏んでしまうという災難がありました。ウンがついたとしゃれている場合ではありません。ばっちぃよぉ。
 飼い主が、責任をもって犬のフンを処理する岡山県を目指しましょう!!
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2000年6月5日【自民党県連合同会議】 ==================================
 本日自民党岡山県連の合同会議が、開催されました。国政選挙の候補者および現職参議員議員、知事、主要団体、各議員後援会幹部などが集結し、大々的に開催されました。
 いわゆる総会なのですが、党情報告などあくまで、総選挙を意識したもので事実上の決起大会といえるでしょう。
 私は、自民党県連においては政務調査会委員、党紀委員会委員、文教対策副委員長、全国自民党青年議連でも、なんだったか役職が、あります。
 我が総裁の「神の国」「国体」発言に、頭を痛めつつも、自民党を変革するのは自民党しかないと思います。若い自民党の地方議員として何ができるでしょうか?
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2000年6月6日【勲章】
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 朝起き会が終わり、妻と二人の車に、迎えがないからとのことで、代議士が、乗られました。実に1年8ヶ月ぶりの代議士を乗せての運転でした。「真ちゃんカー―ブ!!」などとくだらない事を叫びながらのいつもの運転と、そもそもブレーキの踏み方からして違っていた、と妻が笑います。
 中選挙区の頃は、雪道を県北に、阪神大震災の後は、広島空港、高松空港に、いろんな選挙の応援で、選挙カーの後続車としてついたり、いろいろありました。全てが、いい事ばかりでも、もちろんありませんでした。 ルーチェ、クラウン、ミラージュと続く自動車にまつわる、極めつけの盗難事件、当てたり凹ましたりしたのは、それこそ数知れず。代議士を乗せて、生まれて初めて高速に乗ったのですから、無茶でした。佐藤と代議士の自動車のエピソードは、枚挙に暇がありません。本当にいろいろありました。
 早朝から初夏を思わせる日差しの中、口笛を吹かれる代議士を乗せて、少し秘書に戻りました。あの頃と気持ちは変わりません。

 来週の今日が、公示です。
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2000年6月7日【変わる県立高校】
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 今日文教委員会正副委員長への主要事業説明の後半が、行われました。特に、遺伝子組み換え食品の給食への利用、学校体育館の一般貸し出しの基準、青少年情報センターの必要性、生涯学習センターの音楽設備の設置の必要性等々について、要望したり質問したりしました。
 とりわけ、岡山県高等学校教育研究協議会の答申、「21世紀に向けた高校教育改革」は、社会性・責任感・倫理観の希薄化、学力低下、中途退学者の増加、完全週5日制の対応等課題が目白押しの中で、改善の視点を模索しており、注目に値します。
 特に向こう10年で5000人生徒が減り、15年までに、1クラス40人単位で、60〜70学級(各学校1学級)減らしていく大計画で(我が母校岡山一宮は、定数減の魁になりました。)、その中で学校配置の適正化、中高一貫教育の推進、新学区制の定着、選抜方法の工夫、公私立高校の教育分担等の課題をクリアしないといけません。
 とりわけ「17才」が問題になっている今、高等学校教育が真剣に議論される絶好のチャンスと言えるかもしれません。
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2000年6月8日【真夜中の・・】
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 予想はしていましたが、今回の選挙戦では間接、直接に様々な方からお叱りを受けます。かなり厳しい言葉も頂戴します。それも期待の裏返しと一応納得するものの、正直なところ、その人間性まで遡って言われても、35才、1期、2年目の私には荷が重いのも事実です。あれもこれもで、つまりはパニックを起こしている状況です。情けなくなります。
 45才になった10年後の自分を思いながら、今足りないものを謙虚に考えます。ともかく今は今のベストを尽くす以外ありません。力不足は否めませんが。どうかお力をお貸し下さい。
 いずれ生まれ来る子どもに、「父さんはあの頃こんなに不器用で、それでも、がむしゃらに、むきになって生きていたんだよ」と言いたいがためだけに歩んでいるようなこの頃です。

 公示までに4日しかありません。愚痴を言う間は、もうありません。
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2000年6月9日【動員】
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 昨日今日と気がつけば会合への出席のお願いばかりの一日でした。
 どうか宜しくお願い申し上げます。

 本日代議士の附中の会に出席させて頂いた後、公務のためサンライズ瀬戸で上京し、明未明に帰岡します。
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6月10日は無い

2000年6月11日【感謝の集い】
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 日曜日夜という、たいへんに出難い時間に、約60人の方にお集まり頂き「感謝の集い」を開催しました。いつもお世話になっている逢沢代議士にも、ご出席頂き、本当にわけあいあいとした楽しい会になりました。
ありがとうございました。心より御礼申し上げます。
 この勢いで、いよいよ明後日からの選挙戦に突入です。

 「感謝の集い」は、是非定例化(年に2回程度)したいものです。実は、昨年の選挙事務所開きの前に、「やみ鍋の会」を事務所でやったのですが、あの時からお世話になった方々、あの雰囲気を忘れずにいたいのです。いわば原点です。機会があれば是非皆様ご参加ください。
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2000年6月12日【決戦前夜】
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 6月定例議会が、スタートしました。市議会のように選挙がらみでの日程変更は、ありませんでした。選挙期間と議会が、まともにぶつかります。
 いつもは総花的になりがちな知事の所信表明演説が、なぜか異様に短く議員を驚かせました。実は、長すぎると不評だったのです。 これを受け、各3党派の代表質問、その後、一般質問と続きます。今回も、公約の一般質問を希望しておりますが、日程は議会運営委員会で決められますので未定です。
 ともあれ質問書を一挙に仕上げなければなりません。あるいは生涯でも希な忙しさかもしれません。

 明日9時、いよいよ出陣式です。が、私たちは6時の神事からスタートです。明後日には、さとう事務所で机をひとつ占領しようかと思います。どうか、奥田の事務所にお気軽にお立ち寄りください。

 公職選挙法の関係がちょっと微妙ですが、このメールは期間中も止めません。表現が迂遠になることをご了解くださいませ。

 今日は選挙がらみで、ほぼ徹夜になるでしょう。
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2000年6月13日【出陣】
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 結局徹夜になり、そのまま神事、出陣式、会合段取り、一般質問起案、個人演説会、おまけに最後は目の前で交通事故、実況見聞と慌ただしい一日でした。
 ともあれ、始まりました。
 国政選挙は、本当にダイナミックですが、やはり集団による総合芸術舞台であるという気がします。ひとりひとりの力の結集です。
 後援会の方にも事務所にお入り頂きいよいよ本番開始です。

 2月定例会の議事録が入りました。専門学校をはじめとした情報教育、岡山ガーディアンズ等々の質問と答弁をご覧頂けます。下記H・Pを是非お開き下さい。
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2000年6月14日【通告】
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 明日より2日間、議会は3党派の代表質問(50分)に入ります。
 財政問題をはじめ県政の緊急課題、大問題はここで殆ど議論されてしまいます。自民党の場合は代表質問に立てるのは3期以上で、そうなると一般質問をするのが、「軽く」見られるようになんとなくなります。ですから、ベテラン議員になると10年以上、質問に立っていないという方は、ざらです。質問は議会の華とはいうものの私のように毎回立つのは議員的には誉められません。
 が、私は、20分の一般質問で食わせて頂いているプロ意識を持ちつつあります。質問せんで、なんで議員なら?代弁者なら?と思うのです。質問しないと選んで頂いた意味がない、議員の自殺行為とまで思います。

 ともあれ、来週からの一般質問は知事の所信表明、代表質問の間隙をぬうわけです。したがって、重複、重箱の隅をつつく、奇をてらうような質問が出てくるわけです。妙なこだわり、色が出てきて面白いものです。
 さとう節は、一部にファンが、できつつあります。なぜか共産党の先生にはよく誉められます。ちょっとゲリラ的かも?
 それでも、知事の所信表明に、おやこれはあの質問が生きたかな?というのが幾つかあり、ひとりほくそえむのです。

 ところで、代表質問の初日には、当局に一般質問の原稿を提出します。この「通告」で、当局への奇襲攻撃を避けるわけです。野党は答弁に不満があると再質問(5分)、再々質問(5分)を行いますが、自民党は事前に当局と打合わせして調整するので、再質問しないようにという指導があります。お互い傷つかない仕組みで、一概に悪いとは言えませんが、議会が活性化しない一因ではあるでしょう。
 いずれにしても、私のご機嫌が最高に悪いのは、代表質問の前日で明日締め切りのレポート作成におわれる学生のようで、少し切れているわけです。資料をひっくり返し、問い合わせの電話をし・・・明日までにできるんか?う〜ん、頭いたい。

 ぷりぷりしつつ・・・
 今日は県議会議員として。
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2000年6月15日【定稿】
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 どうしても総花的なものになってしまう代表質問が、今日明日とあり、その間に、来週からの一般質問の日程が総務委員会で決まり、私は、20日(火)の4番目です。午後1時30分以降のスタートです。
 今回は15人の枠があるのに10人しか質問に立ちません。
 
 大体一般質問に5項目立てるのは実は難しいのです。その点では、私は、世間で言う偉い立場の人ではなくても、たくさんのブレーンを持っていると思います。庶民感覚は無尽蔵だと思います。

 一般質問の草稿は、総務部財政課に預けられ、担当の方が、各部局と内容の調整に入ります。私のような無茶な原稿は、添削が思いっきり入り、また特に数字などは、正確に調べられます。
 各部局では、答弁内容や誰が答弁するか(知事か、部長か)が、決められ財政課を通じてその意向が戻ってきます。そこで、押し引きがありますが、場合によっては質問内容を変えたり、質問自体をひくことがあります。
 検討3年、前向き5年と、すぐに良い答弁は返ってきませんが、真新しいものは、新聞の見出しにもなります。この財政課とのやりとりで、答弁の大枠が掴めるのです。また、他議員の質問の動向も探ります。

 そして、もうこれ以上原稿を変えない状態を「定稿」とし、代表質問の2日間でそこまでもっていきます。そのために、財政課と携帯電話でやりとりしたり深夜にFAXで連絡というケースも出てきます。

 明朝は多分議会開会30分以上前から財政課の担当の方が、受付で待っておられ、思い切り添削された原稿を打ち合わせして、明日中には、「定稿」する運びになります。
 今まで4回やってきましたが、まともにスイスイ行った事は一度もありません。しかし、これがまたけっこう刺激的です。
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2000年6月16日【議連】
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 宣車送り出しの後の本会議は、代表質問2日目。やや低調な雰囲気で、強烈な睡魔に襲われます。議場が重いムードです。選挙応援疲れ??
 昼には児島湖について考える議員懇談会があり、その浄化についての方策の報告がありましたが、まるでイタチごっこの感はぬぐえません。締め切る限りは、元を断たぬ限りは、終わりのない公共事業です。
 こういったテーマごとに、議員は、超党派で議員連盟をつくることがあります。いわゆる「議連」ですが、例えば新幹線・フリーゲージトレインについてや森林についてといった、大テーマで、組まれます。

 やっと定稿しました。知事以下9人の答弁を受ける新記録で、また怒られます。ちなみに共産党は知事答弁しか認めません。私は、今まで農林水産部長以外は、答弁に立って頂きました。普通は、3人ぐらいで止めるのですが、私的には突っ込んでいないので、担当部長答弁にならないのだと思います。ちなみに出納長の答弁は、極めて珍しく議員には喜ばれます。
 次から次に答弁者が、出てくるのは「ゴージャス」ですが、上の議員からは、みっともないと言われます。逆に、執行部側は、部長に花を持たせたという評価もしてくれるのですが・・・・。各部予算も増えるかもしれませんから。
 いずれにせよ、6項目21問は、一般質問としては、異常に多いかもしれません。

 最近自分が自民党の「色物」という気もしております。
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2000年6月16日【陣中見舞い】
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 本日は、約50人の方に選挙事務所に応援に起こし頂きまして本当にありがとうございました。さとう事務所として、また無茶なお願い(電話作戦など)をさせて頂きましたが、どうか宜しくお願い申し上げます。
 選挙戦も中盤戦に入りますが、盛り上がりは今イチと言われています。どうかお気軽に選挙事務所にお越しください。
 私は、今回の選挙で弁士としての出番はほとんどありません。街宣車にも乗りません。動員他の下仕事で、汗をかかさせて頂いています。
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6月17日無し

2000年6月18日【電話作戦】
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 選挙期間中に結婚式が、3つあり、そこで息継ぎしながらやっております。昨日から自ら電話作戦を展開致しております。
 やっとこさで、中盤戦、いよいよ明日は、午後6時より内山下小学校で、今選挙初の応援弁士に立ちます。
 疲労困ぱい短く失礼します。
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2000年6月19日【応援弁士】
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 本日午後6時より、内山下小学校個人演説会で、初めての応援演説をします。万感胸に迫りますが、今は何も申しません。申せません。
 明日は、5回目の一般質問に立ちます。4番目なので、午後1時30分以降の登壇です。お時間のある方は、是非県議会にお越しください。
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2000年6月20日【本日一般質問】
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 本日は、5回目の一般質問に立ちます。(午後1時30分以降)各党の代表質問と比べるとかなり個別具体的になります。
 54人中10人しか質問しないのは市議会の3分の1でしかありません。どれだけ、巷の声を若い世代の声を議場に運べるかの勝負です。その積み重ねが、少しづつ県政を変えていくと確信します。

今日の質問項目

1.笹が瀬川について
   改修計画他。1級河川格上げの提言については却下されます。
2.小規模作業所等の製品について
   厚生省の通知を意識して、庁用、展示コーナー、技術支援等に
   ついて。
3.NPOについて
   支援条例の制定、新制度「神様の貯金」の提言。
4.青年海外協力隊について
   帰国後の再就職、職員登用など提言。
5.第五回全国障害者スポーツ大会について(平成17年)
   国体とからめて「200万人総ボランティア」の提言他。
6.後楽園築庭300年関連
   鶴見橋の片道一方通行の提言。桃太郎大通りに桃並木をと提言。

答弁者は
 知事、出納長、総務、企画振興、生活環境、保健福祉、土木の各部長、
 および教育長、県警本部長の9人です。(珍記録で、普通は4人ぐら
 いです。)


昨夜の応援弁士、過熱し、8分。・・・・・やってしまいました。
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2000年6月21日【見出し】
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 昨日の一般質問は、多項目にわたりましたが、実際に報道されるのはごく一部です。逆に、その報道のされ方で、議員の全てと思われる事もあります。
 どう扱って頂くか、森総理でもありませんが、マスコミの方との人間関係は極めて重要で、決して敵に回してはいけないのです。場合によっては命取りになるケースもあるでしょう。
 私たち1年生議員は、たいした情報も、力も持っていませんので、むしろ一方的にお願いする立場です。ただ、要するにお互いに尊重しあえる気持ち良い人間関係があれば良いのだと思います。持ちつ持たれつ。
 ましてや、多くの記者と私は同世代です。心情的には、ある面肩入れして頂けているのかな、と思っています。

 さて、一般質問翌日の新聞は、ドキドキして開きます。特に昨日は4勝16敗のような答弁だったので、一日憂鬱でした。
 自分でも、かなりひどいとわかっている通信簿を開く気持ちです。
 おかげさまで、今日の山陽新聞では、NPO条例について中見出しになっています。実は、ある程度大きく、新規の話題のときの扱いです。知事の極めて前向きの答弁をうけてのものです。
 多くの議員は記者の主観が入るから気にしていないと一応は言いますが、本当はこの見出しをとりたいのです。私は、5回目で初めてです。小見出しはありましたが。朝6時に思わずバンザイしました。
 NPO前進を喜んで読んで下さる方々の顔が、次々に浮かんできました。 文字に半分網がかかっているのを見ながら某記者のにやっとした顔が、浮かびます。選挙期間中だけに、よけいに感謝です。
 あまり皆さん気にされていないと思いますが、議員のちょっとした意地があるのです。きっとおかしいでしょうね。でも、うれしいです。
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 報道されない事でひとつ、ある党の女性議員が、一般質問の際にプレートを持って上がりました。そのプレートには、「拍手!!」「お静かに」と書いてあり、質問中に議員席に「拍手!!」と掲げて、ウケをねらいました。失笑と罵声がありました。彼女は「お静かに」を掲げました。
 質問の際にグラフを示すことや原稿に多少ひねりを加えることはありますが、内容と全く関係のない「こども議会」のお遊戯を見たのは、初めてです。「開かれた議会」と「悪ふざけ」は全く違います。正直に書いて同じ議員としてこの軽薄な行為に対して怒りに震えました。情けなくなりました。悔しくてたまりません。今度ばかりは、我慢ができません。抑えられない私のこころです。
 個人攻撃をする気はありませんが、自分なりに全力で議員活動に真剣に取り組む者として、極めて遺憾であることを申し上げます。


 選挙も終盤戦、今日の県議会は一般質問2日目です。
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2000年6月21日【政務調査会】
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 毎議会ごとに、様々な団体から陳情、あるいは請願(紹介議員ある場合)が各委員会に上がってきて、まずは委員会ごとに作る自民党の部会で審議されます。過半数ある自民党なので、これが事実上委員会の決定になり、自民党サイドからは、委員会はいわば確認と言えるかもしれません。
 今年度から私も委員のひとりになった政務調査会で、部会の決定について審議され、これで事実上議会の決定になります。
 電話、一般質問と同様に、請願・陳情もある種のテクニックが要ります。それは、出す方も受ける方にも必要です。採択、不採択、継続、趣旨採択(請願なら願意妥当)とどこで落とすのか、執行部とのかねあいを含めて、知恵がしぼられます。
 これらについては、議会最終日に、採決がされ正式に決まります。
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2000年6月22日【17才】
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 また、17才のしかも岡山県での事件です。教育委員会は、昨夜から大慌てです。17才とタイトルをつけましたが、原因は詳細ではありません。今日の本会議で、教育長が平謝りされましたが、警察の不祥事とはかなり違い、我々を含めた社会全体の責任かも知れません。文教委員会で議論されていく事になるでしょう。

 動員のお願いです。明日23日(金)午後7時より、石井中学校で再び応援弁士に立ちます。内山下では「確信犯」で、テンションを上げすぎて、市長より教育的指導を頂きましたが、今回は、候補者来場までのつなぎという実に難しい役で、全て臨機応変という、いささか荷の重い役どころです。1分で終わるのか30分話すのか、その場にならないとわかりません。大切なのはくそ度胸で、なるようになれ、と思わないとできません。
 候補が、来るまでは決して壇上を降りられない、どれだけ話すかわからない、まさにライブです。数百人の方々の前で、しどろもどろになるか、どうでしょうか。熱い思いだけでは間は持ちませんが、どうするのでしょう。
 明日、壇上で考えます。
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2000年6月23日【大詰め】
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 たんたんと、広域交流・物流対策特別委員会の審議があり、しかも来週以降のアポや、依頼事も入ってきますが、選挙戦もいよいよ終盤で、様々な事も起きてきます。全く容赦がなく精神的な修練の場としては、最高の状況です。ともかく、今日一日、あと2日、それしかありません。バンザイ以外に救いはありません。

 明日は午後1時30分にドレミ前に起こし頂ければと存じます。私も初めて街頭に立ちます。今回は、概してブルペンで出番待ちの二軍投手のようでしたが、片鱗は見せたく思います。
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2000年6月24日【大団円に向けて】
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 いよいよ選挙戦最終日。
駅前商店街から表町商店街のパレードの合間です。
午後7時45分マイク収め、明日投票箱が閉まるまでが選挙です。
大団円に向けて!!
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【マイク納め】
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 選挙最終日にマイクを使えるのは午後8時までで、最後は銃後を守ってくれた(正確には集票の中心ですが)選対の方々、支援者の方々に選挙事務所で最後のマイクでお礼を言うのが通例です。心がある本当に良い儀式だと思います。お互いにねぎらいの気持ちがあります。

 私の記憶では、候補者の一番幸せな瞬間だと思います。その直後に候補者自ら電話作戦に入りますし、得票も気になりますが、一応のゴールです。何があったとしても、とりあえず全てが許されたような思いだったのを覚えています。個人的には候補者にとっては再びゴングを鳴らされたような、孤独の渕に落ちるのと裏腹のようなバンザイよりも、マイク納めのお互いのねぎらいの方が好きです。

 今日は、最後は劇的なまでの雨でした。ずぶ濡れの候補者と遊説隊の疲労と安堵の表情に、共感できるのが良いのです。ちょっと不思議な立場ではありましたが、自分もなにか一員になれたのかなぁという気持ちになれる、いろいろあったなぁ、と話ができる、・・・・案外選挙って悪くないぞ、やっぱりドラマじゃなぁ、おもれえなぁ、と思えるのです。きっとあの時の選挙はなぁ、と笑って話せる日も来るでしょう。
 本当に素晴らしいマイク納めでした。いろんな涙もありました。なんか、良かったです。皆様本当にお疲れ様でした。

 議会の一般質問があったり、無茶な応援演説、電話作戦、封入作業、多くの方にボランティアや動員のお願い、身重の妻や母親へもずいぶん負担をかけた1ヶ月でした。
 感情の行き違いがあったり、ちょっとなぁと思ったり、思われたりしたこともありましたが、とにかく今は、全てに感謝、感謝です。皆様本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。清純な気持ちで、明日が迎えられます。
とにかく良かったです。

 もちろん、勝負は明日です。実は何も終わっていません。明日の午後8時までが選挙です。選挙期間中のギリギリの表現しかできませんが、明日が大勝利の美酒に酔えますように、皆様に心からお願いします。
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2000年6月25日【農協合併】
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 「岡山県下JA8圏構想」の実現に向け、この度岡山市内の14農協の合併協議が整い、7月1日に「岡山市農業協同組合」として新たに発足することになりました。これで県下の農協数は、51組合から38組合になります。(H6年末は91組合)
 今後13年4月には、22農協になる見込みですが、広域合併不参加組合などへのさらなる働きかけが必要です。

 ちなみに、岡山市農協は、組合員数約3万人、貯金、貸出金、長期共済保有高、購買・販売事業全てで、県下1位の農協になります。
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2000年6月25日【当選御礼】
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 たいへんにお世話になり誠にありがとうございました。

 かなり厳しい結果の選挙でした。ここからがたいへんです。

 これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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2000年6月26日【規制緩和緩和】
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 今回の6月議会では、「適正な飲酒環境の保全に関する意見書」が、内閣総理、大蔵、厚生、通産、自治大臣、および総務庁長官宛てに提出されます。
 酒類販売業免許制度の規制緩和に関して、未成年者の飲酒防止等飲酒環境の悪化防止を理由に、WHOの勧告も引き合いに出してその見直しを求めるものです。
 郊外の大型店の出店規制を求める声は、保守層からも強く上がっており、共産党と規制緩和の制限で主張が合うことも出てきました。

 今回の選挙で、「謙虚に前に出ろ」という言葉を頂きました。そのためにも、強い後押しが必要です。この秋には、知事選挙、来年には参議院選挙が続きます。戦いはこれからです。
 自民党県議として、今回のようにある面許しては頂けないと思います。応援弁士をしながら、もっともっと強くなりたい、大きくなりたいと思いつづけた日々でした。このままではいけないのです。
 今回温かく見守って下さった方への最大の恩返しは、岡山県議会議員として佐藤真治が押しも押されぬ存在に、一人前に早くなることです。正々堂々と駆け上がっていくことです。
 どうか、一層のご支援を賜ります様、お願い申し上げます。
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2000年6月26日【県立高等学校暴行事件】
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 と、いう表記で、本日の文教委員会で、報告があり、TVカメラも入りました。この事件の特異性は、ひょっとして実母までも??逃走(?)の2点です。
 学校、地域、家庭の個々の問題は、それぞれ連関しているにも拘らず、教育委員会の説明は校舎内のできごとに、終始しました。ここを縦で割ってしか説明できないのが限界なのです。
 各委員の教育論披瀝の場になり、たまらず副委員長としては異例ですが、「教師は少年Aをどこまで追っかけたのか(すぐ家庭まで行ったのか)」「警察への連絡をどのタイミングですべきだったか」を聞きましたが煮え切りませんでした。家庭、地域とのネットワークが、どれだけ学校にあったのでしょうか。それを紡ぐ組織や人間の必要性を痛感致します。彼の回りには誰もいなかったのか?誰が、どこまで彼に対して本気だったのでしょう。
 この件については後日議論することになりましたが、学校、地域、家庭をつなぐ強力なネットワークの必要性、悲しいですが学校と警察との連絡体制の強化が、必要だと思います。誰かを責めるのでなく、これを教訓に何が生まれるかが重要です。

 教育委員長が、型通りに詫びることでなく、少年Aに我々全員が、詫びることかもしれません。

 今議会では、他に義務教育費国庫負担(公立学校事務職員や栄養職員の給与費)の堅持に関する意見書も、内閣総理大臣他に提出されます。
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2000年6月27日【人格】
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 17才が事件を起こすことが問題になっているところに、17才に事件を起こす大馬鹿な教師が出ました。某岡山市内県立普通科高校と某町の中学校の教諭が、5月にテレクラで知り合った17才を買春していたことが発覚したのです。
 県教育委員会、再び御難です。「ナニ考えとんじゃ」としか言いようがありません。緊急連絡を受けた文教委員会副委員長としては、トホホ・・・です。品性下劣とはこのことで、これでどれだけの人間が迷惑を受けることやら。教育県岡山ではなかったのか。一言で言えば、恥さらしです。
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 県立養護学校に勤務する中学校の先輩から、ひとつの課題を頂戴し、今日単身で旭川荘療育センター児童院と重度障害者通所の家「いち・にのさん」を訪ねました。

 ご案内だと思いますが、通称旭川児童院と呼ばれる施設は、重症心身障害児施設として、235人の方が入所されています。重症心身障害というのは、重度の肢体不自由と重度の知的障害が重なっている状態で、ほぼ寝たきりと言えるかもしれません。
 昭和42年にスタートした時の平均年齢は、9.7才、現在は34才11ヶ月、在院平均は21年、つまり生涯ここで暮らす方も多いのです。いわゆるこうした施設に入所されている方が、全県で406人おられます。
 一方、事情は様々ですが、在宅の方も、約250人おられます。

 問題は、訪問教育を含めて、学校教育が終わった後、在宅の方が、どのように暮らしていくかです。
 例えば、在宅で通学なら月曜日から金曜日の午前9時から午後3時までは親としては「預けられる」状況が、養護学校卒業後行き場すらなくなるのです。入所しない場合のある種の覚悟とはいえ、限界というものがあります。
 そこで、平成2年から児童院には「通園センター」ができている(いわばデイサービス、ショートステイ)わけですが、実は1日の定員が15人、登録者が約50人で、週1〜2回の通園が限界になっているのです。
 さらに、通園バスの拡充問題もあり、この通園センターの充実は取り組まなくてはいけないテーマです。(9月議会にかけたく思います。)

 そんな中、父兄の手で、残りの日の活動の場として、「いち・にのさん」という重度障害者通所の家が、1998年に旭川荘の側に開所しました。上記の通園センターに行く日以外を8人の子ども達が通っています。
 岡山市の英断だと思いますが、この施設は心身障害者地域福祉作業所支援事業に適用されています。つまり作業所なのです。
 並々ならぬ努力と知恵で、寝たきりでもできる「作業」があるのです!!もっとも、この作業所は民家を借りたもので、とにもかくにも手狭です。もちろん財政的にも厳しいものがあり、わかばの会という後援会が支えていますが、作業所支援も単年度の更新で、いつ切られるかという不安がつきまといます。
 実は、中学の先輩から頂戴した課題は、「いち・にのさん」の新居探しです。そこから、問題の本質を探っているわけです。
 例えば、学校の空き教室は使えないか、学校に福祉作業所を組み込めないか、これが、佐藤真治の新福祉政策になります。ノーマライゼイションを言うならお年寄りや障害のある方こそ街中に暮らすべきなのです。
 今議会で、作業所支援を質問しましたが、さらに一歩進めたく思います。9月議会に向けてのテーマその1です。


 この日曜日に、永燃の永野社長がされている乗馬を通した障害のある子ども達へのセラピーの発表会を見させて頂く中で、「人格」という言葉が、キーワードであると知りました。実は、石原都知事が重度障害の方を見て「彼らに人格はあるのかね」と発言したことに端を発しているようです。

 今日「いち・にのさん」の新聞に答を見つけました。「どんなに障害が重い人でもその存在が他に影響を及ぼすことが人格である。そして、その人格を認めようとする努力が必要である。」と。
 ベッドや床に何人も「並べ」られている最重度の方々の風景を思い出しながら、命の意味、重さ、尊厳、幸せの意味・・・・について考えています。

 自分の弱さやわがままを気づかずに、誠意のある人間やもっと弱い人間にぶつたり、攻撃する、要するに単に甘えていることに平気な健常者よりも、もっともっと大切なことを彼らはその身をもって悟らせてくれます。
「この子は不幸だけど、家族は、この子の兄弟は、別に不幸じゃないんですよ。」と言われたお母さんの言葉の意味を模索しています。
 彼らは、間違いなく「人格者」です。


 膨らんできた妻のお腹を見ながら、はて父親として、一人の人間として、なにより議員として、何ができるかいのぉ、と思わずにおられません。どんな子が生まれてくるのかしらん?どんな課題があるかなぁ・・・・・。

 長くなりました。すみません。
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2000年6月28日【採決】
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 6月議会が閉会しました。お馴染みの立ったり座ったり(起立)や、「異議無し!」(簡易)で、各委員長報告にそって採決が行われます。新聞社のカメラが写す間は背筋を伸ばします。今日は7回立ったり座ったりでした。
 以前国旗国歌法の早期法定の議員発議について、地方議会から出すのがどうなんだろう?と考えていたところ、うつむいてしぶしぶ立った写真が、A新聞に掲載され、多方面からお叱りを受けたため、最近は「こなくそ〜」とばかりに、立つようにしています。

 なぜか、6月議会が終わると、ここから問題の議員視察が頻繁に行われます。7月、8月は、ともかくあちこちと議員が動き回ります。正直に書いてどうなんだろう?遠足か物見遊山か、と思うものがないではありません。
 しかし、見聞を広めたり、社内旅行のように議員同士、職員の方との親睦を深め、仕事がスムーズになることを考えるとあながち否定もできません。大切なのは、それがどう生きるかであり、結局は議員本人次第かもしれません。いずれにせよ、現況ははずかしい所もあると思います。
 本当に勉強するなら、一人で企画し段取りして、行くしかないと思います。

 ちなみに、今日は議員の野球同好会と執行部の親睦野球があるようです。私は、麻雀、囲碁、ゴルフといった同好会には一切属していません。「和して同ぜず」というより、唯我独尊かもしれませんが、要するに余裕がないのです。ひとり良い子ぶるわけでもありませんが。

 多分、議会開催以外の時期は、問題だと思います。次は、9月なのですから。特に、一般質問もしない議員は何しとんなら?私にもわかりません。自分のことはわかりますが、他議員の日々はよくわかりません。
 間違いなく日本の地方議員は、世界的にも珍奇な「職業?」だと思います。
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2000年6月29日【しまなみ海道】
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 どうも昨日のこころと矛盾するのかな、どうかなと思いつつ、自信を持って、平日に瀬戸大橋を越え、松山、しまなみ海道、尾道と駆けてまいりました。実は、瀬戸内三橋時代を迎えて云々、交通の結節点云々と言いながら、私は、しまなみ海道を渡ったことがなかったのです。大散財でしたが、有意義でした。

 1年後、平日昼間となると、しまなみ海道は、どこもかしこもガラガラでした。また、失礼ながら松山の渋滞、美観にはあきれました。


 結論から申し上げて、愛媛の雄都、松山のまちづくりへの疑問、アクセスのまずさ、観光道たるしまなみ海道の限界、毀誉褒貶のあるだろう尾道駅前の再開発、広島の県都への距離等々考えても、ざっと見ただけとはいえ、岡山の潜在的可能性・優位性を再認識しました。
 地方分権の時代は疑うことなく、し烈な都市間競争の時代に他なりません。他都市、他地域と共生しつつもなんとしても岡山は生き残らなくてはいけません。少し離れて岡山を見ることで決意を新たにします。
 岡山は、やれるはずです。

 ところで、昨夏訪ねたアメリカでは高速自動車道がタダでした。公団の建物を見るにつけても、やはり高速自動車道、とりわけ橋を越える料金は異常だと思います。怒りに近いものがあります。
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2000年6月30日【初議長】
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 本日、岡山県内にある視聴覚教育関係者が集まり、視聴覚教育について相互の情報交換連絡や研修を行う視聴覚ライブラリー協議会の理事会が開かれました。席上古市健三会長が議員の辞職に伴って退任され、後任の会長として、文教に明るく、行動力もあることなどから(??)佐藤真治議員が推薦され、満場一致で会長に選出されました。

 理事会では、11年度の事業報告や12年度の事業計画、予算について審議したほか、視聴覚教育について以下のような意見がありました。

 ○ 岡山県は情報ハイウェイ構想が進んでおり、これを利用した視聴覚
   教育を実践する必要がある
 ○ 戦後続いてきた右肩上がりの経済成長やバブル経済が継続的に再来
   することは難しいのではないか。
   視聴覚教育への投資が、今後バブル期のように拡大していく事は考
   えにくいのではないか。
 ○ フィルムからビデオ、LD、CD、DVD、インターネットと視聴
   覚教材のメディアの変化は大変急速であり、将来的な見極めは難し
   いが、柔軟に対応していく必要がある。
 ○ 厳しい財政状況の中で、メディアの急速な変化に対応するには、地
   域毎の特色を持つことが考えられる。
 ○ 情報、娯楽の少なかった昔と違い、今の住民は情報と娯楽の氾濫の
   中に身を置いており、どちらかといえば受け身的であって、よほど
   興味を引かないと施設の利用に結びつかない。
 ○ 他の団体とネットワークをつくり、その事業に参加するなど、積極
   的に外にうって出る事で利用を延ばす事が考えられる。(例6500名
   が参加した子ども読書フェスティバルなど)

 生まれて初めて大人の会の議長を経験しました。向こう10年で、大化けするこの分野で、初の会長就任です。とことん頑張りたく思います。
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