2000年4月18日【試験配信中】
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県政報告の立ち上げにつき試験配信をさせて頂いております。
ご迷惑な方は、ご一報ください。すぐに停止いたします。
鳴り物入りでスタートした「表町三丁目劇場」ですが、実は、半月経って入りはイマイチのようです。土・日で、約160席に対して、60人しか入らなかったとか、急遽開始した水・木の上方落語寄席に20人しか入らず、市の職員の方がビラを配った、という話が伝わってきます。加えて、近接の「さんかく岡山」の託児ボランティアも未だ完全に機能しておらず、まさに産みの苦しみのようです。中心市街地活性化、商店街活性化の一環としての三丁目劇場です。地元の方々、運営協議会のご労苦を思うと、先行き不安に、あまりに切なくなります。
どうか、とりあえず、三丁目劇場に足を運び、有効利用をお考え下さい。
なお、今週末は、出石小学校の団体申し込みが、入っています。
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2000年4月19日【選挙とは】
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実は、この時期は、議会も閉会(年間4回、2・6・9・12月)しており、5月2日まで、委員会(6常任委員会と6特別委員会 があり、私は、それぞれ生活保健福祉委員会と決算特別委員会に所属しています。)もありません。案外暇かというと実はそうでもなく、各種会合出席、陳情処理、事務作業とやらなくてはいけないことがあまりに多く、事務員もいないため、さっぱりワヤなことになったりします。頂く歳費も右から左にふっとび、時には情けなくすらなります。何を隠そうめげそうになり、爆発する時もあるのです。
県議になって、岡山県がますます好きになったのは、そこに暮らす人の息吹を政治を通して感じられるからです。また、岡山市を相対的に見るチャンスにもなります。結局は、全て人間関係であり、苦しむのも、助けられるのも、なにもかも人のツナガリだと、つくづく思います。答えは、いつもひとつです。人間万歳!人間なんて、ララララ〜。
この人間関係が、はじけるのが選挙です。あらゆる悲喜劇、感動が、選挙には詰まっていますが、ここにきて市外に応援に行くことも多くなりました。時には勝手に、しがらみで、なんとなく、意気に感じて、と理由は様々ですが、必ずそこには、ドラマが、あります。笠岡、倉敷・・・と激戦が、続きます。時に何のために人間関係を衝させねばならんのか、わからなくなることも多いのですが、大切なことは票を投じてくれなかった方、あるいは、選挙にすら行かなかった方をどれだけ思えるか、だと思います。選挙は間違いなく必ず誰かを傷つけます。
壇上から、身も知らぬ方達の顔を見ながら、きっとどこかで、誰かが、傷つくのだろうなぁとぼんやり考えています。おそらく誰も悪くないのに・・・・。なんで、世の中を良くしようとして 自分や誰かが傷つくのだろう。少し割り切れません。
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2000年4月20日【障害者スポーツについて】
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4月12日に、「岡山県障害者スポーツ協会」が、立ち上がりました。
昭和38年頃から「岡山県身体障害者スポーツ振興会」という組織がありましたが、これが、実体がなくしかも身体障害だけが対象であったため、知的障害も対象にし、平成17年「おかやま国体」の年に行われる
もう一つの国体、「第5回全国障害者スポーツ大会」に向け、選手強化・指導者育成のために設立されたものです。かなり大きな組織の連絡会であり、全てこれからです。身体と知的障害間の壁はかなり高いそうです。
ちなみにいずれ県レベルでも統合すべきと思いますが、「岡山県身体障害者体育大会」(通称身スポ:1200人参加、全国大会は、10月)は、5月28日(日)に、また「岡山県知的障害者スポーツ大会」(通称ゆうあいピック;1200人参加、全国大会は11月)は、6月3日(土)に、それぞれ行われます。
全国レベルで身体・知的が統合する予定の来年の「第1回全国障害者スポーツ大会(宮城)」の競技種目の中で、岡山でまだ行われていない競技が幾つかあり、その指導者育成・振興が急務になっています。
例えば、個人知的障害の水泳、個人身体障害のフライイングデスク、団体知的障害のソフ トボール、サッカー、バレーボール、バスケット、団体身体障害のグランドソフ トボール、フットベースボール、サッカーといったところで、是非皆様のご協力をお願いいたします。
6月議会の一般質問では、平成17年おかやま国体を世界に誇れる「バリアフリー国体」とすべく、厚生省の指導を破り、まず、障害者国体を国体の前に開催するよう、提言しようと、てぐすねをひいて待っているところです。パラリンピックをオリンピックより強くアピールするといったイメージです。
また、「岡山県障害者スポーツネットワーク」という、民間組織も今日設立準備会を行い、障害者の方々へのスポーツ振興・親睦の輪が、少しずつ広がっています。
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200年4月21日【先生とは】
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どこもそうですが、3月・4月は人事異動の季節です。お世話になった県職員のあの方この方があちこちに移動されていきました。なにしろ右も左もわからん一年生議員です。多くの職員の方に思い切りご迷惑をお掛けしてまいりました。今から思うと恥ずかしいことも多々あり、穴があったら入りたいような心境にかられます。大概3年程度で、部署を変わられるようです。
私は、ため口をきいていますが、○○部部長などというのは、例えれば、数千人規模の会社の取締役ですし、一般質問の答弁を求める知事は、一部上場企業の代表取締役です。敢えて書けば議員は、大株主のような、株主代表訴訟のような、とは言いますが、35才の私は、普通の企業なら係長なら大出世で、第一線で働く世代であり、こんなこと言っていいのかな〜、いいのかな〜とビクビクしながらやっています。電話で、「はっ、先生」などと受けてくださると、申し訳ないなぁと心から思います。でも本当は僕のことどう思ってんの〜?と、ちょっと聞きたくなりますが・・。
ところで、 いまだに10945票という数にうなされていますが、私たち地方議員を「先生」などと呼ぶ風習は、そろそろ辞めた方が良いと思います。要するに皆さんの思いを議会に持っていき執行部にぶつけたり、執行部をチェックするのが、日本の地方議会の仕組みであり、アメリカの地方議会のように、議会の決定の方を行政に執行させるほどに、議会の仕組みは完成しておりませんし、日本の民主主義は成熟していませんし、そもそも議員への信頼もありません。制度的にも現実的にも充分に動いていないがゆえに、地方議員を「先生」と呼ぶのは違うというのです。若いからが主たる理由ではありません。
多くの場合、あるいは議会がなくても、議員「先生」がいなくても、行政は円滑に機能するのではないか、私は、真剣にそう思っています。それで、なんで先生じゃ?
それでも、私としては、特に議員が行政の代弁者として、県の取り組みについて説明責任を果たすのも、違うと思っています。それは、本来行政の仕事で、職員の方に聞きに行ったり、来てもらってしてもらうべきものです。私は、むしろムキになって、一般質問を続ける方に重点を置きたいのです。「こんなんが、質問になって議会に行くんか。知事に直接聞けるんか。」その言葉を待っています。
もっともこのことが、職員の方にご迷惑になるケースが、ないではありませんが・・・。私の時に無茶な質問を職員の方々に、よってたかって助けて頂いています。逆に言うと、職員の方あっての議員でもあります。そっぽを向かれたらまず仕事は、できません。たとえどんなに良い提言であろうと。
ともあれ、いわゆる官僚がそうであるように、地方行政を支えてきたのは優秀な職員の方です。
こんな地方議会ですから、議員「先生」にとっての生命線は職員の方との関係です。特に私のような一年生議員、しかも若い議員にとって、任期中の最大の課題は職員の方と良好な関係を作ることに尽きると思います。何年議員をさせて頂けるかわかりませんが、必ずそれが、例えば、議会の提言を施策に結び付ける力になります。議員と職員の方は、まさに車の両輪です。
実は人事異動こそ、人脈が広がる最大のチャンスなのです。結局は人間関係です。
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2000年4月22日【衆議院解散内定】【続先生とは】
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本日自由民主党岡山県第一選挙区支部役員会が、行われました。
6月2日衆議院解散、6月13日告示、6月25日投票、あるいは、18日投票で、本決まりのようです。来週25日与党3党首会談で、森総理も腹をくくるようです。いよいよ来てしまいました。
お世話になった逢沢代議士への恩返しのため、チベットでも、鎌倉でも行かさせて頂きます。
「ぷらんねっと」というグループが、地域通貨を発行しています。交換ぷらん勉強会にちょっとだけ、覗かせて頂きました。例えば、肩もみ30分で、500ぷらん貰うと、今度は子どもを預かってもらい500ぷらん払う、という形で、相互にぷらんを交換するというもので、結局信頼関係のあるグループの中で、人間同士が対面して、支え合うといったものです。ぷらんの通帳を会員は、持っていてぷらんを貯めあって、使い合っているわけです。
実は、似たような提言をしようとしておりました。題して「神様の貯金」。ある女性の受け売りですが、例えば、介護保険は、あくまで保険料を支払い、介護サービスを受けるにもお金を支払うわけですが、ヘルパーさんに頼むほどでない、あるいは頼みにくい草むしりやお買い物をボランティアでした場合に、神様に貯金します。そして、自分が倒れた時に、それを引き出して使えるのです。たとえば、若く、元気な時におしめたたみで、貯めた貯金を将来、夕食を作ってもらうのに使えるということです。経済効果は、ありませんが、ちょっと人情が、復活するかもしれません。これが、制度にならないかしら。一般質問で、検討してもらおうかと思っていますが、どうでしょうか。
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最後に、昨日のメールに対して、先生と呼ばれることが、いくらのもんなら、別に呼ばれりゃぁえかろうが、というご意見が幾つかありました。で、わたしの思いですが、・・
私がほんとうに言いたいのは、先生と呼ぶに値しない議員や議会のしくみへの批判であり、先生に値するだけの権能があるなら、むしろ、年齢に関係なく先生と呼ばれたいと思います。必ずしも、謙って書いているわけではないのです。
選挙では、それだけの信託を有権者の皆様から本来頂くべきものであり、21世紀の地方議会のあり方を考える時、議員内閣制でなく、大統領制をとっている地方では、民意の反映、民主主義の確立のため、今よりもずっと議員の権能を高めるべきだ、ということを裏で言っています。
職員の方との関係をことさら言うのは、地方政治が、中央の議院内閣制の影響をある面誤って受け入れているからで、本来なら、行政は、市民の代表たる議会の承認なくば一歩も進めない、それが直接代表制における民主的コントロールの掛け方です。その時に働く議員こそは、先生と呼ばれてしかるべきだと思います。
早く、議員が本来の意味で敬意を込めて先生と呼ばれる時代がくれば良いと思います。
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2000年4月23日【倉敷市長選始まる】
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倉敷市長選挙戦が、始まりました。7人が、入り乱れるという異常事態で、21世紀の倉敷の方向性を決める大決戦です。ただ、争点が不明確ということで、議員もバラバラということですが、私は、大学の先輩になる候補の倉敷、児島の2ヵ所での出陣式に出席してきました。
これから、ある町内会の総会に出席した後、中庄地区の個人演説会に応援弁士として向かいます。これもひとえに母校早稲田への思いであります。私も先輩方に助けて頂いたように、あの早稲田の杜に青春時代を送ったのなら、それだけでもう何も言わんでくれ、もうわかったけん、とにかく応援すんじゃ、ということなのです。最近では、JCにこれに近いものを強烈に感じさせて頂いております。理屈じゃねぇ、のです。敢えて言えば大自然がそうさせるのです。頭の中は、「都の西北」が、鳴り響くのです。さぁ、どうなることでしょう。
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2000年4月24日【応援演説とは】
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倉敷市長選は、県議当選後、初めて本格的に応援演説の機会を頂戴しています。なにしろ県議会最若手の一人ですから、普通は、上の方が、喋られたら私は、ご紹介を受けるだけです。その分、冷静に、ひとの話を聞かさせて頂くことも多く、○○先生は、さすがにうまいとか、○○議員は、こんな癖がある、とか批評する余裕もあるわけです。まさに、話芸のような方もいます。立て板に水よりも、なんとも言えない「間」がたまらんねぇ、と、お茶をすすりたくなるような、味わいのある演説をする方もいます。
ところが、いざ自分の段になり、しかも応援演説となるとこれがなかなか難しいのです。しかし一方で、選挙区外になると、失敗してもいいかな、という無責任なところも全くないと言えば嘘になり、大変失礼ですが、いろいろ試してみることもあります。今年度から、とにかくゆっくり話すことを一大テーマとしており、時には身振りを入れたりして、ああこうして図太くなるんだなぁ、と実感しています。
最近好きなのは、「そうじゃないですか!?みなさん!!」と言って、賛同の拍手を頂戴することです。ちょっと快感です。ただ、おらんだら、ええもんでもないし、あまり候補をべた賞めするのもうそ臭い。笑いがあり、ほろりとさせ、なるほどと思って頂き、最後には、頑張ったらにやぁ、という気持ちになって頂く、言葉が詰まることで伝わる気持ちもあります。もっとも、テクニックは、「本気」には勝てません。5分間黙ったままで、最後に「よろしくお願いします」と振り絞る方が、伝わることもあるでしょう。
加えて、応援演説は、特に、候補者の真に伝えたいことや不足の部分を補ったり、選対をヒートアップさせる重要な役で、行けばいいというものではありません。
また、司会者の一言で、全てが、ふっとんだり、逆に盛り返す場面をなんども見てきました。本当は恐ろしいのです。
それにしても、他の選挙は、よくいろんなことが、見えます。スタッフ配置、進行の仕方、来客の方への配慮、・・・どうして人のことは、わかるのに・・特に個人演説会は、スタッフと観客が作る一種の総合芸術舞台、いわばライブです。持ち帰った「感動」をひとりでも多くに伝えて頂く、やはり「心」を動かすのが、選挙だとつくづく思います。もちろん、そのためには、候補者の強烈な「思い」が、絶対条件で、候補者は、死ぬ手前まで、行けば行くほど良いと思います。それが、応援して下さる方への誠意では、なかろうか。私はしみじみ反省しています。やっぱ、最後は、ド根性じゃが!!
はっきり苦しい戦いです。少しでもお役に立てればと、今夜は母の故郷である児島方面の二会場へ向かいます。必勝!!早稲田魂!!
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2000年4月25日【あて職】
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県議会議員という、ただそれだけの理由で、あて職が、あります。特に、自民党は、数十ある中で、必ず何かの委員会等に推薦頂けます。そんなわけで、私は、岡山県児童福祉審議会の委員をやらさせて頂いております。本日その審議会がありました。
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平成11年8月に、知事から「21世紀を展望した社会福祉サービスのあり方と県の果たすべき役割について」諮問があり、今後の県立社会福祉機関の果たすべき役割と地域における社会福祉サービスのあり方について意見を求められたので、児童福祉審議会他が、「答申」を12年度内に出すのです。で、この答申に法的拘束力が、あるわけではないのですが、これで、県民の声を聞いたとして、施策を推し進めるのです。またこれを基に、立派な○○計画とか、○○ビジョンとかできちゃうわけです。政策形成過程で、かなり重要なものです。
審議会のメンバーは、人生経験の豊かな、その道の権威で、とても偉い方達です。私は、意見を求められて、とにかく男性の役割を強調しました。児童・福祉と言ったテーマにどれだけ男性を引き込むか、また子育ては、妊娠がわかった時から、始まっており、20〜30代のむしろ男性に「父親学」を教えるべきだ、てなことを申しました。私なんか自慢じゃないですが、経済的にも精神的にも親父になる自信がありません。母親になる女性の気持ちや、不安もわかりません。でもそういった漠然とした若い世代の不安を政治がなんとかしないといけない、と思います。せめてそんな普通の感性を県政に注ぎ込みたいと痛感いたしました。
なお、こういった審議会は、マスコミを通じて、オープンにされます。
今回の倉敷市長選挙で、私は、「泣かせ屋」という芸を見ました。秘密の技です。とにかく、凄いのですが、秘密です。ほんとに凄い!!
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2000年4月26日【後援会報について】
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端的には、金銭的、時間的都合で、なかなか後援会報も作れません。お恥ずかしい話ですが、選挙の後、2年目に入るところで、やっと2号を作っています。今日打合わせして、GW明けにもできると思います。文化系人間、岡山一宮高校の初代新聞部部長の血が、うずくのです。
市議会議員の中には、いわゆる会派で、新聞の裏面を統一させ、費用分担して、年に何度も出せる方も多いのですが、私の場合、前回(昨年10月)郵送にして、後援会の皆様に送った手間や費用が、地獄のようだったため、尻込みしておりました。今回は手配りにさせて頂きます。
都市部の県議会議員は、選挙でもない年に、新聞を作ることは、少ないようですが、郡部では、なんとなく年に、2回ほど出して、後援会の方に手配りして頂くケースが、多いようです。また、編集委員がいて、議員は、自分の新聞を出来上がって初めて見る場合すらあるようです。
議員内では、新聞交換が行われ、私の創刊号の、議場の席次表とか、年齢順の表が、他の議員の新聞に流用されたりしています。(かなり斬新であったと自負しています。残部ありますので、ご入り用の方は、ご連絡下さい。)議員同士で、写真を撮ると、すぐ後援会報の載せよう!!と、いうことになります。(こんなことばっかり考えている。)
いずれにしても、こういった新聞は、さっと見て、後で読んどくわ、と言われて、実はそのまま捨てられるもので、(ある議員は、挨拶に行ったら、その家では、大根を彼の後援会報で、包んでいたそうです。)読まれているようで、読まれておらず、私は、後援会報は、読むものでなく、見るものだ、という認識を持っています。悲しいかな内容がどうというより、元気で頑張っていることを伝える手段かもしれません。
ところが、中には隅から隅まで読んで下さっている方もおられ(もちろんそれが、望ましいのですが)、いいかげんにも作れません。新聞ぐれぇ出しとかにゃぁおえまぁがぁ、という気分では作りたくありません。伝えたいこともいくらもあるのですから。ただ、紙面の限界があります。
おそらく、このメールの方が、思いはお分かり頂けると思います。それでも、さしが、一番でしょうね。やっぱり会って伝えたい。むしろ、媒体を通すほどそう思います。良いことしか書けないですもの。
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2000年4月26日【倉敷市長選挙】
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たんたんと陳情処理や後援会報の作成(5月発行予定)をした一日の後半は、倉敷市長選挙の応援です。「議員」と名のつく応援弁士は、私一人という状況の中での連日の倉敷通いです。今日は、水島と茶屋町の個人演説会で、それぞれ数百人を前に全力を尽くしてきました。燃え滾った後の今は、脱力感があります。
明日は天下分け目の死線を決する児島です。私は、演台でできうる限りの全てをしてくる覚悟です。倉敷への思い、先輩に対する報恩と自分自身への誇りをかけて戦います。
確かに必要とされ、誠実にそれに応え、ひとまわりもふたまわりも大きくなるチャンスを頂いております。2000人を駆り立てる大役です。
明日が、勝負です。
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4月27日無し
2000年4月28日【NPO税制優遇について】
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GW明けに、県が「地方税を考える研究会」をスタートさせるのは、皆様ご存知だと思います。今回の倉敷市長選でも、この4月施行の地方分権一括法で、国と地方が「主従・上下関係」から、「対等・協力関係」に、移行し、都市間競争が激化する中で、倉敷がどう生き残るか、といった方法論の議論が続いています。問題の所在は、明確ですが、実はこれだけです。
その中で、権・限が、委譲されたが、財・源と人・間(以上いわゆる三ゲン)をどうするのか、それが、例えば外形標準課税・ディーゼル車への課税の議論なわけですが、はて、岡山に何があるか、です。産廃の処分課税?パチンコはどうなんだ?いろいろ議論されると思います。
もっとも、知事がNPO(特定非営利活動法人)の活用を言うなら、寄付金を損金算入する国よりも、NPOへの免税を岡山はもっと進めて欲しいと思います。僅かな、法人県民税の均等割りの減免から、さらに、自動車取得税や、不動産取得税等の減免まで、NPOには与えても良いと思います。
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2000年4月29日【小学校統廃合について】
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過日出された市教委の方針は、市内中心部の5小学校につき、来13年度から、深柢小学校と内山下小学校を統合し、内山下・深柢小学校(校舎は、深柢)とし、南方小学校と弘西小学校を統合し、弘西・南方小学校(校舎は、南方)とし、出石小学校は、将来的な廃校を念頭にしばらく様子見、といったものでした。
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【岡山空港ナイトステイ】
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この秋から、岡山空港発の東京便が、5便に増えて、岡山にナイトステイすることになり、東京朝10時の会議に、飛行機でも間に合うようになるのは、まさに石井知事の業績です。詳しくは、今朝の新聞の通りですが、全国的に全日空の増便枠の少ない中で、かなりの激戦だった様で、高く評価されるべきことです。知事に拍手!!
来春には、3000メートルに延長され、高度利用の叫ばれる岡山空港ですが、この他に、とんでもない時間設定の札幌便や仙台便の改善、新規国際航路の開発など、課題は目白押しです。
ところで、どうして、ナイトステイに数億円もかかり、県の補助が、必要になるかご存知ですか?答は、もちろん人件費です。最終便と始発便は、この時間間隔では、運輸省の指導上、同じクルーでは、いけないのです。第4便のクルーが、翌朝始発便にまわります。すなわち、岡山に2クルーが泊まることになり、その分経費が、かかるわけです。
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2000年4月30日【倉敷市長選挙】
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市議会議員が混乱し、県議会を割り、何より市民の皆さんが、混乱された今回の選挙は、投票率が全く伸びず、約半数の方が棄権される中、個人的には残念な結果になりました。
市外から私のような一年生議員が応援に行かなくてはいけないような状況に、ある程度予測はできていましたが、選挙の独特のムードの中、選対もいろいろ見えなくなっていたように思います。
いずれにせよ、国会議員秘書から31才で、県議会議員になられて県議会議長まで、こつこつ積み上げられてきた素晴らしい大学の先輩が、地方政治の舞台から一瞬にして消えられる残酷さに、なんとも切ないものを感じます。もちろん全てが、無になるわけではないですが。
どうして世の中のためにと誰もが考えているのに、これほど傷つく人間が、出なくてはいけないのか。誰が、なんで裁けるのか、いつも理不尽を感じます。いったい何を選挙で選ぶんだろう、何に勝ったり、負けたりするんだろう。わけがわからなくなります。
大学時代なら迷わず青函連絡船に乗りに行くような、そんな憂鬱に襲われます。
・・・・・愚痴でした。
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