【報告事項】  《議会改革推進シンポジウム2008》

 今回出席した「第4回全国自治体議会改革推進シンポジウム〜分権新時代をひらく自治体議会の在り方を考える」の主催は、三重県議会である。
 このタイトルで、三重県議会は、2005年から、四日市を皮切りに、一昨年は、東京に、昨年は、津で、今年は、地方都市である桑名市のナガシマリゾート・ホテル花水木に、全国から、県内外の計68の自治体428人の地方議員や事務局職員等議会関係者を集めた。
 全国都道府県議会議長会が後援に入っているとはいえ、全国の地方議会の議員から評価される有無を言わさない説得力が、三重県議会の議会改革の実績にあり、多分、岡山県議会では、残念ながら計画すらできないと思う。  地方分権一括法施行8年を経ても、地方議会は制度改正が行われておらず、議決・監視機関、立法機能にも限界が感じられることへの苛立ちがある。議会の自立性を高め、二元代表制としての議会の地位を高めたい、普通の活動を行っている議員なら誰でも願うことであるが、そういう思いに応える先駆的な動きが、三重県議会にはある。

 来賓挨拶で、野呂三重県知事は、グローバル化と少子高齢会、人口減少化、成熟社会、格差(経済、地域、世代・・)社会の中で、地方は疲弊しているが、経済の空白の10年に対して、政治は、空白の15年があるとし、議会基本条例や会期年2回制にした議会を行政と切磋琢磨する車の両輪として、高く評価した。三重県議会の議会改革は、北川県元知事時代の残滓とも成果とも言えるが、議会と知事の緊張関係と、それゆえの敬意や相互信頼というものがあるのだと思う。否、むしろ、議会の改革が進めば、自ずと、知事に物申す、成果が出せる議会になるはずなのだが。

 そういう意味では、まずは、三重県議会の先駆性について、詳細は後述するが、ざっくりと触れておく必要がある。
 三重県議会は、今年度から、定例会の回数を年4回から2回として会期を240日にして、議員間討議や県民参画を充実させ、さらには、議長に招集権がなかったり、知事の独断的な専決処分の問題を解消し、なにより、議員の身分確立(非常勤特別職公務員から、いわば常勤の公選職へということであるが、これ自体は、報酬から給与へという意図も当然あり、法に実態を合わせるようなところもないではなく、評価の分かれるところであろう。)を図ったりしており、従来の本会議での一問一答、対面式議場など、先駆性は、認めざるを得ない。

 特に、昭和15年生まれの9期の議長(就任3回目)が議会改革をリードされているのも凄いことで、行政的に、岡山県が三重県に劣っているとは全く思わないが、議会は、日本全国誰もが勝っているとは評価しないだろう。三重県に加えて、改革派知事がいた議会である、岩手県、鳥取県さらには、神奈川県の県議会の議会改革の評価が高いが、岡山県議会は、多分、後ろから数えた方が早いだろう。
 かといって、改革派知事や、大事件(不祥事)の発生を待つわけにもいかないが。

 ともあれ、そういう三重県議会の声掛けのもとに、多くの議員は、宿泊することもなく、ナガシマリゾートくんだりまで、ある種の屈辱感を持ちつつ、ぶつぶつ言いながら、全国から、のこのこ出向いたはずである。


《基調講演》 元鳥取県知事、現慶応義塾大学法学部教授片山善博氏

 片山教授の講演では、学者による地方自治論は、国から見た視点のものばかりで、住民から見た地方自治論が求められることがまず語られた。それはそうなのだろうが、元官僚から時として、こうした改革派知事が出て、大学の教授になったりされるが、国会議員として国政に参画されないのが、不思議ではある。次代の官僚や政治に関わる者の意識を変えるということなのだろうか。
 かねてから、片山教授は、議会に対して手厳しいが、それ以上に、その可能性を生かし切れていない議会へのもどかしさを感じておられるように思う。耳は痛いが、いちいちごもっともである。

 自治体を誰が「規律づけ」していくべきかという点に関しては、自治体は住民が作ったものであるから本来は住民が自治体の「規律づけ」をしていくべきであるのに、国から圧倒的に影響を受けている現状をかんがみ、今後、本当の地方分権時代の自治体改革を行うには、住民の視点に立って考えていくことが重要であり、そのためには住民とその代表である議会が自治体の「規律づけ」を行っていくべきである等と述べた。
 特に、道路特定財源の暫定分は3月末で切れることがわかっていて、国会の情勢からして、それが存続するものとして、新年度予算をなぜ組んだのか?国会よりも、役人の言葉を信じて、暢気ではないか?というのは、全くをもって、その通りである。確かに、国へ要望をすることは考えても、暫定税率分を保留したまま、新年度予算を組み、場合によっては、補正予算を組もうという議論は、全くなかった。要は国にすがっていて、その国に、翻弄されっぱなしの、地方にしてみれば、恥曝しの2ヶ月であった。正直に書いて、本当に恥ずかしい。
 議会の役割としての重要事項に関する合意形成と決定については、丁度「魚河岸」のように、出来る限りオープンにするべきあるとした。つまり、公開で皆の前でせりが行われるので、決定するまでの経過も分かり、誰もが納得の上で決定されるように、議会もこのような説得力のある合意形成のもとで決定するべきであるということである。
 また、二元代表制における議会の役割は、首長の独断や暴走を制御するためのチェック機能を果たすことであり、独断的計画行政や対外関係などの行き過ぎを是正することが大切で、首長と議会は離れたり縮まったりすることが正常である
 議会は、安易に国の方針に従おうとする執行機関を質す役割が求められること、税に関わる条例に関しては決して専決処分をすることなく議会でしっかり議論することは議会の責任であること、本来の立法機関の役割をしっかり果たすことの重要性についても、述べられた。
 特に、三重県議会が、これまで年度末に知事が専決処分していた県税条例改正を審議したことに触れて、税について、知事に、専決処分させるのはルーズであるとした。議会が、税条例や予算、決算の審議をしっかりやれば、多くの自治体が取り入れている行政評価は必要ないとの指摘もごもっともである。
 今は、行政評価は標準装備であるが、確かに、本来の目的は見失われ、小さな失点を認め、大きな失点を隠す行政の都合の良い言い訳になっている。時間とお金と知恵を使い、行政のお手盛りの労作である自分で付ける通信簿=行政評価を議会が評価するのは、非常に間抜けで、時間の無駄であると、私もかねがね思っている。


《パネルディスカッション》

 コーディネータを片山善博氏、パネリストに、岩名秀樹氏(三重県議会議長)、松田良昭氏(神奈川県議会議長)、井上明彦氏(日経グローカル主任研究員)、中山美保氏(三重県民代表)で、行われたが、以下、個々に何度か発言があったが、パネリストごとに分けて、報告する。

 まずは、松田良昭神奈川県議会議長は 議長選挙では、候補が、いわゆる「議長公約」を作成して、それを各議員が検討し、場合によっては政策協定が結ばれということであるが、氏の話は、様々な場面でお伺いしたことがあり、マニフェスト選挙の申し子である松沢知事に対して、自民党の議長が動かれた事が大きい。しかも、このビジョンは、マニフェスト捉えられ、80点と第三者評価されたとのことである。なお、氏は、マニフェストという言葉を使わないのが面目躍如であるが、退路を断つ、不退転の決意という思いが籠もっているのは変わらない。それもさることながら、積極的に、議会提案条例を制定していこうという動きが注目を集めている。

 全国初の多選禁止条例が松沢知事から提案されたときは、地元の菅総務大臣の時代で、総務省から
違憲ではないという意見を聞きつつ、可決したそうである。
 一方で、53年ぶりの議会提案で可決したのが、商店街活性化条例。商店街に加盟していない全国展開店も、商店街に加盟させる条例だそうで、努力するのは、議論してきた市町村。さらに、3月には、全国3例目のガン克服条例を制定した。
 政務調査費については、議会基本条例に広汎な政策調査費として基本条例に書き込みたいのは、住民監査にかかり、自主返納したわけであるが、平成15年と19年の監査請求で、7億円近い返還命令が出たことにもよる。

 こうした、議会提案条例に関しては、不具合が起きたときの最終責任は誰が負うのか?というフロアからの問いに、執行部提案と違いはなく、執行責任と議決責任があるとすれば、一義的には、議会提案といえども、執行責任であり、議決責任は、合議機関では直接負えず、4年ごとの選挙で問われる、といったパネリストとコーディネータの見解であった。
 この春の地方議会の2月定例会で、議員が賛成した予算案について、暫定税率を含んだ予算案に賛成した民主党議員の政治的責任もあるのではないかという指摘は、私もそうだと思う。もっとも、ある意味、国に翻弄されているのは、どの政党に所属している地方議員も同じ事であろう。


 岩名秀樹三重県議会議長は、3回目の議長就任であるが、平成7年の最初の議長就任時から、議会改革を進めてこられた。県民に分かり易い議会活動にするため、情報公開を徹底し、住民参画を推進してきたとのことである。
 以下、現在の取り組みを羅列する。それぞれについて、民意を得ながら、執行部とガチンコ勝負をしたいという議会改革の意図が、非常によく分かる。これらの多くが、岡山県議会で行われていないばかりか、議論の俎上に上がっていない。もっとも、自民党の党再生プロジェクトにおいては、似たような提案は、幾つもさせて頂いているのではあるが・・。

・政務調査費は、今年4月1日から、1円以上に領収書添付を実施。立派である。
・議員の海外派遣(一人120万円)の中止。個人的には、中国、韓国、極東ロシア、東南アジア、オーストラリア、ブラジルについては、県の施策が直接絡んでいる、あるいは、絡んでくることもあり、委員会調査を含めて、行くべき場面が皆無とは思わない。金銭的にも、海外だからいけないというのは、導きにくいと思うが、ビジネスクラス以上の飛行機で、ヨーロッパでも行けそうな上限が、極めて問題だとは思う。
・情報公開と説明責任を果たすために、毎月の議長の定例記者会見の開催
・議会の出前講座
 自分の選挙区以外の小・中・高・大・外国人学校へ。3月末までに11校。本会議の傍聴に来る学校も出てきた。
・議会政策討論会によって、議会して知事に提言する。例えば、博物館の建て替えについての提言したり、医療費費自己負担や2割負担に対して、当事者や市町村から意見を聞き、緊急討論会議で意見をまとめ、全体協議会で知事に提案して、知事は撤回したという。これは、物凄いことであるが、本来は、当然のことでもある。執行部の提案に、YES,NOを机上で言う方がおかしい。道州制に関する検討会も設けているそうである。また、食の安全への関心、県民の不安から、、条例制定目的の検討会が発足。
・定例会を年2回にする。
 そのそも、会期日数は、一番多い神奈川県議会が108日で、三重県議会は、106日であったが、年2回の230日程度の会期設定にする。閉会中の重要な条例改正や契約案件について、議会を招集する暇がないとの理由で首長の「専決処分」が行われる事を防ぐ、という大義名分である。
 ただ、一方で、我々議員が、非常勤公務員で、報酬を頂戴するという地方議員の身分の不安定さについて、100日程度の会期では、非常勤としか言いようがないところ、200日を超えた通年的議会に、常勤で、勤務時間を確保し、歳費化するという意図がある。
・公聴会や参考人の招致するなど県民参加を進めている事を紹介した。
・長期総合計画を外郭団体を含めて、議決事項にした。
・法定の必置以外は、審議会の委員から議員は撤退した。


 井上明彦日経グローカル主任研究員は、矢祭町の日当制、政務調査費、費用弁償、本会議の一問一答式導入、議員提案条例についてのデータの紹介。真新しいことはなかったが、地方分権推進調査会で、片山教授が、「ほとんどの議会が八百長と学芸会をやっている」と発言されたという内容の方が、極端に印象に残った。「日経グローカル」を政務調査費で購入して貰いたいとのことである。


 鈴鹿市の主婦である三重県代表の中山美保氏は、御本人が、議員志望なのかどうかすら分からなかったが、12年前から県議会や市議会を傍聴し続けている女性で、地方議会傍聴マニア?のようなオタクのような、ともかく、議会で起きた出来事を熱く感動的に語られた。あまりに、個別具体的で、メモすらしていないが、日本に、こういう観点から地方議会を論じられる人がいること自体に、びっくりした。この人は、本当に議会が大好きなのだな、とビンビン伝わってきた。「生まれてきてすみません。」とは思えども、議員は、地方のプロスポーツの選手のようなものという見方を私は、いまだかってしたことがない。
 三重県議会が、本会議や常任委員会だけでなく、会派代表者会議も公開しているというのは、確かにおもしろい方には、おもしろいと思う。私も聞いたことがない。

 確かに、現在の岡山県議会の公開されている会議の、どこをどう傍聴しても、こうした感動的なことはないだろう。ある意味、性悪説に立つあら探しではなく、期待と愛情を持って、見続けてくれる誰かが、一人でもいてくれれば、もっと議員も頑張れるだろう。そのためには、お互いの信頼のために、まずは、公開が先なのだろうと思うが。
 知的なゲームとまでは言わないが、ある意味、プロとして、我々も、見せる議会ということも考える必要があるのだろう。それにしても、オンブズマンの方も、しっかりと、議員派遣報告書を読んで欲しい。ここ2〜3年、個人視察報告書を読んでおられないのではないか?提出しても、議会事務局内で、判子がつかれて回るだけでは、実に、張り合いが無く、寂しいものである。こんな事を書いて、オンブズマンにE評価を受ける方が、無視されるよりは、遙かに良いのだが。


 その後、第1回マニフェスト大賞受賞の岩手県議会の渡辺幸貫岩手県議会議長、鉄永幸紀鳥取県議会議長、松田良昭神奈川県議会議長及び三重県議会の岩名秀樹議長が真の地方自治を実現できるよう、全国の自治体が交流を深め、さらに議会改革を推進していこうとする「交流呼び掛け」が行われた。岡山県議会からは、私と1期の議員2人の3人しか出席していないので、交流のしようがない。
 最後に、三重県議会議会改革推進会議の萩野虔一幹事長の閉会の言葉で、寂しく、悔しく、ナガシマリゾートを後にした。


 思うに、これからの議員には、2者択一しかないらしい。すなわち、@市民参加型で、問題意識と能力を有する多くの議員=ボランティア化、費用・手当のみ支給 or A専門職化型で、専門能力の高い少数の議員=給料は高くても、少数精鋭である。
 現状は高い報酬で仕事をしない議員がたくさんいる、という認識以外、残念ながら、多くの方々には頂けてはいないのではないだろうか。

 いずれにせよ、地方自治法の改正を待つまでもなく、二元代表制の下、議会は相当程度のことができるのだが、「大選挙区単記非移譲式投票制」という世界的に見て、異常な選挙制度のもと、地方議会においては、有権者は、極小の地域代表を選び、ゆえに、常に、選挙に恐々とする議員が、ミクロの観点で、政治に関わらざるを得ない、という、悲劇が起きている。
 あるいは、そんなことならむしろ、議会でない組織が判断する方が良かったり、議員でない者が関わる方が良いケースもある。

 一方で、独任制の首長に対して、政党の拘束比例名簿制でないバラバラの議員からなる議会は、所詮まとまるわけがないと、当局から足元を見られている感もある。

 それでもしかし、やはり地方議会にかける期待は大きいものがあると信じたい。考えようによれば、国の姿を変えていけるのは、もっと言えば、国と本気で勝負ができるのは、地方議会しかない。

 しかし、本当に議会には、自浄作用があるのだろうか?多くの場合は、議会が変わるのは外圧であり、それは、市町村合併であったり、なにより、改革派首長の登場による。
 二元代表制の下、馴れ合いの首長ではなく、民意を背景にした改革派首長が登場して、ガチンコ勝負する以外無くなったときに、民意を求めて、議会が揺れ動く例が、多いのは事実である。議会改革先進県議会は、全て改革派知事のいた議会である。そういう意味では、首長と議会の関係が良くないというのは、住民にとっては、悪いことばかりではない。馴れ合いでやっているよりは、住民のためにと、民意を求めて、お互いに張り合う方が、遙かに、やりがいと誇りがあるはずである。
 あるいは、お株を取られる議会には嫌なことだが、議会に対峙すべき、民間団体、NPOを育て上げ、切磋琢磨させるというのは、首長ならできることである。定数や報酬も、第三者である市民代表が決めるとすれば、非常にきついことになる。それを越えて、議会は、信頼を勝ち得るのかもしれない。それで、強い議会になる。
 私が首長なら、議会とは、とことん勝負する、そういう覚悟を持って、事に望むだろう。なぜなら、それでも、あくまで議会を信頼しているからである。

 概して、議員も、長くなれば、善し悪しの面が出て来る。どこかで、良くも悪くも、染まっていくものである。
 「今は、力がないので、変えられません。力がついたら変えます。」というのは、嘘である・・・。かって、ララァは、「美しいものが嫌いな人がいて?」と言ったが、美しくないから愛さないとは限らない。己の居場所は、愛するものである。それが人間である。

 あくまで、地方議会は、議決機関であり、執行させる機関である。執行権と議決権は、いつだってガチンコで、当然である。本当にいつのまにやら地方議会は、行政へのお取り次ぎ機関や、チェック機関に成り下がったのだろう?あるいは、そもそも、いまだかって、我が国においては、真の議会は、国にも地方にも、残念ながら、まだ誕生していないのかも知れない。

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