【報告事項】  《広島県道州制シンポジウム》

 広島県では、地方分権の理念に沿った道州制導入について、広く住民の皆様の理解とコンセンサスを形成し、地域から幅広い議論を喚起していくことを目的として、「道州制シンポジウム」を開催した。
 基調講演は、九州地域戦略会議・第2次道州制検討委員会委員長・矢田俊文氏から、現在策定中の「道州制の九州モデル」について。パネルディスカッションでは、中国・四国地域の行政や経済界を代表するパネリストが、中国・四国・九州ブロックの検討状況を踏まえながら、道州制導入の意義について、それぞれの立場からの提言した。

 岡山ー広島間の高速バス、サンサンライナーは、往復5000円。適度な混み具合で、合計で5時間あまりが、快適に確保される。もしも、道州制に移行して、中国州になって、州都が広島市になって、広島市に州議会があって、それよりも何よりも、州議会議員になることがあれば、こんな便利な公共交通機関もない。

 それにしても、広島に行くたびに、打ちのめされるような気持ちになる。広島交響楽団、サンフレッチェ広島、広島カープ・・。岡山のいったい何が、広島に勝っているのだろう?というか、勝つ必要があるんだろうか?あるいは、勝ち負けの基準とは何か?国際平和都市・広島の市街地を歩きながら考える。
 特に、今回の道州制シンポジウムのようなテーマになると、どこか卑屈に、こそこそと拝聴させて頂く自分に腹が立つやら、情けないやらである。
 しかも、今回も、「岡山県は、中四国州を言ってるだろう!」というレベルの話は一切なく、よほど我々は、道州制の議論を腰を据えてやらないと、岡山県は、箸にも棒にもかからんな、というのが、正直な感想である。

 ところで、来年度の予算要求書の中で、企画振興のさらに親玉のような政策審議監からの「重点化事業」、すなわち、次年度予算の超目玉は、昨年からの継続であるが、「道州制・中四国州構想推進事業」である。
 特に、次年度は、1252万円要求の「道州制・中四国州構想連携事業」のうち、中四国州の妥当性を明らかにする「中四国学」の構築を目指したり、中四国州構想の理解者・応援者への情報提供、意見交換の連絡会である「中四国州倶楽部(仮称)」の設置に、381万9000円。 ・・有史以来のイメージが沸かない。

 が、しかし、結論を先に言えば、やはり、道州制導入と、区割りの話と、州都の位置の話は峻別すべきで、道州制の導入がほぼ決まって、区割りの話を持ち出す方が、道州制への道に近いように思う。

 中四国州の岡山と中国州の広島が、州都を意識しながら、鞘当てをして議論が進まないのを喜ぶのは、腹の底では、国会議員を馬鹿にして、地方をこけにしている霞ヶ関のエリート官僚だけではないか。
 岡山市の政令指定都市化の過程での学びは、岡山県にはないのか?と言いたい。


 さて、このシンポジウムの一貫した問題意識は、2つであった。
 すなわち、道州制の市民にとってのメリットは何か?そして、いつ道州制に移行できるのか?である。

 正直に書いて、道州制の話はおもしろくない。ただ根本にあるのは、国の在り方・かたちを変える大改革であるが、要は、国は、外交や防衛などに特化して、最も身近な地方自治体が、行政サービスを市民にきっちりと行うという理念である。
 突きつめれば、県の権限・財源を基礎的自治体の市町村に降ろすことで、あるいは、国から移譲を受けることで、よりきめ細かく、かつ大胆な行政サービスが展開できる、道州制イコール、最も市民に身近な基礎自治体の発展である。
 「基礎自治体からすれば、県は邪魔者になりつつある」という河内山柳井市長の言葉通り、むしろ、今、県に必要なのは、県の権限・財源をしっかりと市町村に移していくことではないか。
 ある意味で、県が真空状態になって、国の権限・財源を吸い込むことで、筋肉質の州政府が出来るのだろう。さもなくば、屋上屋を重ねるだけで、つまりは、「県の創造的破壊」なくしては、基礎的自治体である市町村の真の自立、真の地方分権・地方主権の確立もなければ、我が国の持続的な発展はない、ということである。

 こうした観点からすると、岡山市の政令指定都市化を巡る議論の中で、大きな2つの視点が抜け落ちている。
 ひとつは、県議会の中に、いまだに、政令指定都市移行への時期尚早論がくすぶっているが、時代の趨勢として止めるわけにはいかない。県が、権限・財源を出来る限り市町村に移譲することで初めて、県は、国から、権限・財源の移譲を受けるに足りる力を備えることになる、そういう視点である。確かに、財政面等に不安があるが、岡山県とて同じこと。言葉次第では、国から県が、行政能力を疑問視されるような屈辱的な話を県が市に対してしていることになる。今は、基礎自治体の自立を心底応援すれば良いのではないか。
 もうひとつは、市長が、行政効率をかなり強調されるように思うのだが、最も身近な基礎自治体の発展は、住民サービスが、それだけ強化されるものでなくてはいけない。むしろ、県や国から財源・権限の移譲を受けることで、きめ細かく、かつ大胆な住民サービスが向上することこそが大切で、行政規模が大きくなり、かつ、効率化することを当面は、同時には行い難いかもしれない。そういう問題意識である。
 とりわけ、合併地区を多く含む行政区のため、支所等の強化充実が、まずは必要で、岡山県との連携も、しばらくは、最重要課題と言えるのではないか。少なくとも、時間との勝負で、性急に動いているのは仕方ないのだが、時間とお金を掛けるべき時、場所には、しっかり使うことも重要だと思う。さもなくば、いずれ、かえって大きなツケになり、倍する時間とお金を要する問題になりかねない。
 ちなみに、広島県は、47都道府県中で最も市町村合併が進み、市町への権限移譲数も全国一である。審議会をつくったのは岡山県の方が先だったが、道州制の広島モデルは、昨年2月の第28次地方制度調査会の「道州制のあり方に関する答申について」や、5月の九州地域戦略会議で検討中の「九州モデル」のベースになっている。こうした意味では、本当に岡山県が、県内の市町村合併に対して、しっかりと支援し、フォローできているのか、権限や財源を移譲しながら、その自立を促すことが出来ているのか、考える余地はあある。
 一方で、市町村に血のにじむ努力を強いながら、一方で、県は、州と名を変えて、生き残りを図っているように見られてはいないか。道州制の議論、いわんや、中四国州の議論が、県内の市町村に受け入れて貰えないとすれば、県の国との戦いを支援するほど、市町村が、最も苦しいときに、県から恩恵を受けていない何よりの証左である。

 そして、道州制移行の時期が問題である。
 「2010年から15年の間に動かないと、道州制も一時の祭りに終わりかねない」という矢田北九州市立大学学長の言葉のように、前述の我が県の次年度の事業が奏効して欲しいが、大きなうねりになりうるのか?
 「石井知事は、中四国州って言ってるけど、四国に失礼じゃし、無理じゃろう。広島があるけん、岡山市は州都にはならんじゃろう。それならば、道州制やこ、やっちもねーが。なんであんな話しょんじゃろうか?利権でもあるんじゃろうか?」・・・岡山は、こう言いがちである。
 正直なところ、国会議員の先生方が、本気で霞ヶ関と闘って下さるのか?一極集中の東京が、地方分権を御指導下さるのか?これは、私たち地方の話である。
 つまりは、我々地方が、地方分権を地方主権を方々で言い出さない限り、我が国のかたちは、変わらないのである。

 ただ、疑問に思うのは、財政問題である。行財政改革道州制等特別委員会委員長として、特別委員会への資料提出で、県債残高の推移や借入先利率別現在高の報告を求めて調整をしているが、岡山県の臨時財政特例債を入れた1兆2171億円の借金は、どうするのか?いわば30年、35年ローンを組んでいて、革命が起きるか、徳政令でも公布しなくては、県が自己破産したので、州になりました!ということにはならないではないか。あるいは、国が全都道府県債を引き受けるのか?????

 いずれにせよ、この話が始まらない限り、本当に道州制が、動き出していることにはならないではないか。

 一方で、道州制の議論は、経済界が熱心である。特に、中国○○とつく企業は、中国州は良いだろうが、地方ローカルの名称がついていたら、道州制ってどうなのか?と思いつつ、それはそれとして、道州制規模で考える地域活性化の話である。
 例えば、台頭する北東アジアを見たときに、資源の豊富なシベリア、ロシア、端的には、ウラジオストックを新潟、富山ではなくて、境港と結んだときの道州という捉え方がある。あるいは、北朝鮮に将来大きな港町が出来たときの西日本という発想をしないと勝負が出来ないのだと知った。
 岡山は、国際港・境港とどう結ぶか?空港や港をどう機能的に役割分担するのか、できるのか。どうあれ四方八方が海の我が国を道州でいかに区切ろうが、まわりは全部、海。海か空でないと、陸続きでは外国には行けない。実は、どの地域も同じである。


 思うにしかし、最後はやはり、議員の質である。
 道州制に耐えうる議員でない者が、県議会議員をやってはいけないのである。さもなくば、反対勢力に堕することになりかねない。

 ともあれ、道州制という言葉の印象は様々で、まさに、「道州異夢」というのを実感させられた。

 ところで、このシンポジウムの後、1月29日に、今年最後の県主催の道州制講演会が開かれた。当然この「道州制シンポジウム」と、比較してしまう。
 知事は、地方分権は、量的な拡大から質的な充実を目指す中で、国の財政再建のためでない道州制をということで、区割りも、中四国州と明言した。財政面への言及はなく、市町村との関係で、市民サービスがいかように変わるか?という観点が無いことも残念であった。
 広島が、知事は来賓挨拶で退場し、四国と九州のパネリストを補強証拠にしていたことからすると、講演と知事と講師の対談(インタビュー?)だけでは、構成がきついかもしれない。

 道州制にそのものについては、 市町村合併により、市町村が、平成11年の3232から、平成20年の1804になり、広域化した基礎自治体からの突き上げがあること。
 さらには、政令指定都市が増えていく中で、総合政策を展開するために、機能分担のために、内部調整をするよりも、総合交通体系のような広域の政策を打ち出すべき、県への問いかけ。
 そうした観点からは、道州制自体は、不可避のもので、ここで、政令指定都市を造ろうとする岡山県が、道州制の議論をしていく必然性は、どの県よりも、強くある。それは、首肯できる。

 一方、アジアのダイナミズムに、広域、主体性を持って向きあっていく必要性と必然性から、特に、産業政策の観点が強調されたが、それゆえに、中四国州でないといけない、という区割りについての論理必然性は、太平洋と日本海を結ぶ観点の必要性以上に、確信が持てなかった。むしろ、日本海物流が活発化して、環日本海構想の中で、たとえば境港といかに結ぶか?ということは、どういう区割りであれ必要ではないか。
 ただ、ポスト自動車産業として、航空産業や医療・バイオ、さらには、エネルギーと環境に根差した農業等、プラットホーム型の産業を明確に打ちだしていく必要性、また、広域防災拠点としての可能性に、魅力を感じた。
 さらには、医療センターであれ、グリーンツーリズムであれ、打ち出せる施策はある。

 いずれにせよ、フロアからの意見にあったように、行政の枠組みにかかわらず、経済活動は行われるもので、本当に有意なら、既に中四国規模で、とっくに経済活動が行われているだろうし、本当に災害拠点を言うなら、どうして、水不足区の香川県に、瀬戸大橋で、吸水管を繋がないのか?を考えると、まずは、丁寧に、広島県なら広島県と、香川県なら香川県と、広域行政にどんどん取り組んでいくべきだと思う。

 夢見る夢子ちゃんではあるまいし、「れば、たら」を言う前に、端緒となる実績をすこしずつでも、積み上げて行かなくてはいけない。
 中四国州は、夢として持っていたいが、まずは、道州制。しかも、国ではなく、地方の財政問題から捉えていく、必要性を強く感じる。結局、国の動きを待っているだけではないのか?

 私が、「経済団体等にも御協力いただいて,道州制シンポジウムのようなものを県内各地で開催し、機運を高めていく時期に、もう来ていると、そのように思いますが、いかがお考えでしょうか。 」と議場で言ったのは、平成16年12月定例会。生き死にでやるには、スピードが遅い。

 そして、一番大切なのは、本気で地方分権を言うなら、東京の権威を借りてはいけない、という、広島での言葉かな、と思う。

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