【報告事項】    《びわ湖環境ビジネスメッセ   
      /早稲田大学創立125周年記念シンポジウム》

 《びわ湖環境ビジネスメッセ2007》

 「びわ湖環境ビジネスメッセ2007」の報告をする前に、会場となった長浜ドームも含めて、滋賀県や、人口約8万4000人の小規模な長浜市の全体の施策の中で、研究機関の整備と企業誘致を進め、バイオ産業のクラスター(集積地)とする「サイエンスパーク」を考えていかないと、その意義がわかりづらい。立ち寄って資料収集したので、それもあわせて報告する。(資料1)

 長浜市は、平成16年6月に、長浜バイオ大学とサイエンスパークを区域とする「長浜バイオ・ライフサイエンス特区計画」を策定し、同年7月、同市周辺の湖北エリアをバイオ産業の集積地とすることを目指した滋賀県の「経済振興特別区域制度」の認定を受けている。

 総面積は12万5000平方メートルで、バイオテクノロジー産業を中心としている。2002年より工業用地の分譲を開始し、京都市でバイオ系の専門学校「バイオカレッジ京都」を経営する関西文理学園が進出同時に国内初のバイオ系単科大学として、長浜バイオ大学が開校した。
 進出する企業は、県から最大30億円の立地促進補助金、市からは試験研究施設の新増設に対して固定資産税の相当額を3年間助成金として受けることが出来るなど、補助金や税制の面で優遇措置を受けられる。

 大津市内の財団法人滋賀総合研究所では、大学建設に伴う直接的な経済効果を78億円、波及効果を131億円と試算。また、バイオサイエンスパーク整備による効果はそれぞれ232億円、392億円にのぼるとしている。企業が集積することで就労機会が増え、消費が拡大すれば商業やサービス業の振興につながり、若者が定着し、地域のイメージ向上となるなどの効果が期待できるとのことではあるが、体感的にはそれを感じなかったが、急に襲ってきた豪雨のせいだと好意的に解釈しよう。ただ、開設から5年間企業の進出はゼロであったが、来年6月に京都府宇治市の星野科学が第1号の誘致企業として、工場操業を開始予定だそうである。

 2006年4月には、ベンチャー企業を育成するインキュベーション施設ができ、大学との連携による産学官共同研究室も開設されている。2006年11月時点で、大学発ベンチャーなど約10社の誘致が決まっており、起業家の育成やバイオ関連ビジネスの支援、大学や入居する企業間の研究交流を図るうえで中心施設となることが期待されている。

 ただ、世界有数のバイオ集積地を目指す関西にあって、バイオ系の企業や研究施設がもともと多かったわけではない地域での拠点作りということで、大学や製薬会社とのつながりが深いポートアイランドに「先端医療センター」「臨床研究情報センター」など大型施設を次々と建設、再生医療のメッカを目指す「神戸医療産業都市」(神戸市)や「医薬基盤技術研究所」をベースにして創薬のメッカを目指す「彩都ライフサイエンスパーク」(大阪府北部)な度が当面のライバルということになる。

 早くも、リゾート関連開発に転換すべきだとか、バイオ関連にこだわらず、製造業を含めあらゆる企業・研究機関等の誘致を図るべきだとか、住宅開発の用地として転用すべきだという声も出ているようである。ちょっと展開が見えにくい。
 今回、「びわ湖環境ビジネスメッセ」を訪ねたのは、あくまで、環境問題そのものよりも、環境を通じたビジネスの可能性という面に力点があった。琵琶湖のほとりで、なぜ環境ビジネスか?ということについては、正直なところ、バイオの括りと関連を見出すことはできなかったのであるが、いずれ、バイオと環境が結びつくのだろうかな、とも思える。実は、今回の調査で必ずしもその疑問が氷解しなかったぐらい、戦略を模索していると考えるべきなのかもしれない。

 私の問題意識は、「児島湖の浄化と産学官の連携を通じた環境ビジネス」ということであるが、この点に絞れば、正直なところ、参考になるものが少なかったと言わざるを得ないのは残念である。

 まず、10周年記念セミナー「ストップ温暖化! 〜琵琶湖と、すべての生き物たちと共に〜」は、かようなバイオサイエンスパーク内の長浜ドームから歩いてすぐの長浜バイオ大学で開催された。(以下資料2)
 まず、国際連合大学副学長 安井至による基調講演『気候変動+2℃を超えないために』。氏のホームページは、考え方のプロセスがよくわかる500万を超えるアクセスがあり、パワーポイントによる講演資料はホームページで公開されるとのことであるが、いまだ公開されていない。以下は、氏の講演の走り書きである。必ずしも、後の琵琶湖の話や事例報告とリンクしておらず、ちょっとまとめようがない。

 気候変動枠組条約に基づき、1997年12月11日に京都市の国立京都国際会館で開かれた第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)で議決した「京都議定書議定書」については、6%という裏づけがないままに、日本は合意に至っている。むしろ、+8%と増加している有様で、効果的な対策が見出せず、目標達成は既に難しいとされている。

 そうした状況の中、安部首相で評価できることは 5月24日「美しい地球」を言い出したこと、氏は言う。ハイリンゲンダムG8で、全主要排出国が参加して、2050年に、世界で二酸化炭素排出を半分にするということを提言したのであるが、これはたいへんなことで、このサミットは地球温暖化対策が主要議題になり、一方でイラク問題はほとんど話題にならなかった。
 これは、議長国ドイツのメルケル首相が10年前の京都会議で、ドイツ環境相として参加、先進各国に温室効果ガスの排出削減義務を強く求め、結果的に「京都議定書」を採択に導いた1人だったからである。しかし、中国やインドなどの発展途上国やアメリカに具体的な数値目標をかかげてもらうことができなかったし、アメリカはようやく温暖化に目を向ける姿勢を見せたものの、現在、欧州主導になっている温暖化政策を嫌い、決定を先のばしにし、技術革新等によるアメリカ主導の温暖化政策を展開したい構えらしい。

 ただ、具体的に環境効率が高い日本の削減は難しいものがある。特に産業界は難しい。例えば、日本ほど自動車会社が多い国はなく、メーカーが多く、競争が激しいし、製造業、特に鉄は、世界最高の効率であるという。一方、建物関係には、CO2削減の余地があるとする。照明も効率的にするなど、建物改良は、経済的に見合う。日本の建物は、断熱がよくないが、5〜60年もつし、製造装置も20年持つので、なかなか変わらないが、急激に落とすイメージになるだろう。あるいは、車の燃費を5倍、10倍にあげれば、輸送の面で削減できるかも。とのことである。

 アル・ゴアともに2007年ノーベル平和賞を受賞したとはいえ、国際的な専門家でつくる、地球温暖化についての科学的な研究の収集、整理のための政府間機構であるIPCC(気候変動に関する政府間パネル)のシナリオは、難しい。世界中では、中国インドの状況で、しばらくは上昇するしかないし、一人あたりの所得を縦軸に、CO2排出を横軸にとった時に、経済規模を下げるならできるだろうが、得策とは言えない。ゆっくり経済成長する方が、満足度が高い。

 例えば、ノルウェーは、排出量ゼロ、オフセントという方法論で、他の国で風力発電等で稼ぐ。イギリスは終わりつつあるが、黒海の油田がずれてきて、30年は突然産油国になった。地味な国民性で、国際貢献して元気になろうという思いがあるらしい。例えば、アイスランドは、夏でも13℃と寒い。CO2排出量は少ない。エネルギーは使っているのだが、電力は水力で起こせる。暖房は、地熱。産油国、巨大国は、北にあり広く、エネルギー無駄使いをしている。かえって経済が縮むと公害復活も。だいたい1.5%の経済成長は維持した方が良いのではないかと氏は言う。

 締約当時に開発途上国と見なされた中国、インド、中国をどうするかが難しく、順調な経済的発展を遂げ、非効率的なエネルギー政策で大量に温室効果ガスを発生させ、世界有数の排出国となっているにも関わらず、何ら義務を負っていないことも問題にすべきである。2050年は今の3倍になる。しかし、中国のエネルギー効率は、アメリカ合衆国と比較すると、人口一人あたりの排出量は約1/4実はそれほど悪くない。そんなにひどい状況ではない。

 ただ、日本の技術を使ってもらう必要があるのではないか。もっとも、液晶TVは環境によいか?を考えても、ブラウン管の5倍以上の消費電力。バイオ燃料、これに依存していても、穀物はだめと言うことになる、草木セルロースからということになる。水素燃料電池も、コストを考えると、水素を作るのは、化石燃料からが一番安い。結局はコストの問題に行き着くという。

 日本で安すぎて困るものとして、深夜電力がある。夜は原発、昼は化石燃料で、エコ給湯+深夜電力にかなうものはない。しかも、日本は年間停電時間が1分である。もっとも、周波数の50ヘルツと60ヘルツが共存。ばらつきがでるので、繊維産業は困る。

 要は、個人のラフスタイルの変更しかない。すなわち、電気消費量を減らすこと、廃棄物になるものは買わないこと、で、CO2削減は、人間性復活を意味する。例えば、コンビニエンスストア24時間営業だが、午前1時から5時は、閉める方が良いのでは。結論的には、京都議定書は、非現実的 ギブアップすべきではないか。世界に冠たるエコ技術を作って、中国、インドに使ってもらわないと 世界に貢献すべきである。世界人口は、2045年の78億がピークである。そんな中、日本は、価値観がうまく合っていないのではないか、価値感と幸福、物を持っていれば幸福か。化石燃料のお陰で豊かにはなったが、500年間しか供給できない。2500年には、化石燃料を知らない人しか生きていないのである。逆に、地球温暖化も起こせなくなる時代が来る。ゴアのように、6m海面をあげるには、1500年かかるが、300年しか持たない。しかも、化石燃料から核融合に、原子力発電所も、440数基、5000〜1万の原発が必要。軽水炉は、10年しか持たない。テロの危険性も限りない。

 さて、この基調講演を拝聴して、びわ湖環境ビジネスメッセや琵琶湖と関連させるのは、難しいものもあるが、長浜で拝聴すべきものであったかは別にして、世界の流れとしては、たいへんに参考になった。

 続いて、滋賀県琵琶湖環境部 上田一好理事による「琵琶湖は今」と題する基調報告。以下、報告を要約する。

 琵琶湖は、誇りであり、滋賀県を映す鏡である。流域の半分は山林。入ってくる水はきれい。120の一級河川。出て行くのは、瀬田→宇治→淀川の一カ所だけ。80kmを下って大阪湾に。きれいな北の水が守られやすい。汚濁しにくい。1400万人の飲料水を提供している。水産業、観光はもちろん、50億t流して、5.5年の滞留時間。すべての水が入れ替わるのには、20年かかる。

 この10年間で琵琶湖の水は、少しずつきれいになっている。北6.5m、南4mなど、底まで見えている地域もある。富栄養価対策についても、一定の効果が出てきた。淡水赤潮も、ここ10年は、発生していない年の方が多い。ただ、一部の水域に発生するアオコは減っていない。

 しかし、CODは増えており、水質が良いとも言えない。また、在来魚がものすごく減った。日本の淡水魚は、90種。うち、60種がおり、そのうちの4分の1の15種が、琵琶湖固有種。昔は、1万tの漁獲高が、2000tレベルに。フナ寿司、瀬田シジミなど激減。昭和49年に確認、59年に大繁殖したブラックバスを60年から県主導で、意識して捕獲。釣ったらリリース禁止で、少し昔の魚が戻ってきたという声もある。水草も、昔は、外来の流れ藻、浮き草が多かったのだが、在来の水草が、大繁茂。これが、何を意味するのかが、わからない。植物プランクトンも、種類が減り、季節変動が減ったのも、良い兆候ではないのではないか。

 この日の報告でも話され、翌日、滋賀県琵琶湖環境科学研究センターから発表されたのだが、琵琶湖底の溶存酸素濃度が、過去最低の水準で推移している。昨年末から今年にかけての暖冬。酸素を多く含む湖面近くの水が冷やされず、比重の違いで湖底へと移動する、1年をかけた上下層の湖水の循環、いわゆる琵琶湖の深呼吸が、十分に行われなかった。例年は、12,1月に始まるが、暖冬の影響で、3月下旬と遅れて始まった。低酸素化による水質悪化(プランクトンの死骸など湖底に沈殿した窒素やリンが泥中から溶け出し、富栄養化につながる)や底生生物への影響を懸念している

 滋賀県は人口140万人。南湖周辺に、人口、工場が増加中。我々の生活で50%負荷のリン対策、合成洗剤禁止、下水道整備。ほ場対策。水を使うことは、汚すことであり、家庭における節水。日本の水使用量と同じ量の水を輸入している。警告をどう受け止めるか。水問題、ゴミ問題、温暖化対策は、生き方の問題。将来にツケを残さない政策を選びたい。

 実は、児島湖と琵琶湖の類似性を知りたかったのであるが、締め切り堤防で締め切られた農業用水の貯水のための人造湖とは、水質悪化という点では、もちろん共通しているが、画期的な浄化方法があるのでもなさそうだというのも共通であるし、そのための研究をビジネスに結びつけようとしているというわけでもないのかしら、と思える点も、また共通である。

 その後、事例発表が行われた。琵琶湖とどう関係するのか、もう一つよく分からなかった。いわんや、環境ビジネスというのとも、少し違う。環境運動の実践報告に近いかもしれない。

 近江鉄道管理部 梅原氏 : 近江鉄道は、59.5kmの沿線で、1〜2両編成。路線や観光バスが300台。古い物を大事に使う。平成10年から、グループエコロジー。企業・団体が、ノーカーデーの実施の日の環境フリー乗車券を発行。登録した企業に販売するが、全く売れていないらしい。公共交通機関のあり方から環境問題を捉える。

 社団法人滋賀県建設業協会の山田氏 :子供と施主、施工業者、専門家を交えて、地域の自然環境を見つめて事業を行う。CESA(循環型社会形成推進協議会)を立ち上げて、「人と自然にやさしい工事のための環境プログラム」を平成14年から5年間に36回。新年度から2社新規参入。

 株式会社マルトの澤田氏 : 企業から「樹」業という理念で事業展開。

 海東英和高岡市長 : 長浜市対岸。511平方キロメートル琵琶湖の4分の1の大きさがあるので、交付税は得。人口5.1万人、高齢化率26%。自己財源比率0.35。6つの町村が1つに合併し、環境施策に力点。皆でする行動は、自然のファクターを通すという環境基本条例を制定。市民参加で議員提案による。独自の環境マネジメントシステムBOFも、軽油引取税の関係で協議中。木質バイオエネルギーとして、木質チップを公共施設に導入。自治体の自立、食料、エネルギー、ケアの自立。これからの課題は、畜産糞尿。里山の価値、オセロの黒が白になった価値観の大転換の中で、古い生活文化が未来に貴重になる。食と農と子供の教育と高齢者の回想法を結ぶ。「森と里と湖のミュージアム」 琵琶湖の分水嶺として、森林環境税 日本の分水嶺の80%が走っている地域、日本海と琵琶湖の両方が見える地域。輪の里―すべてを結び直す。

 真庭市の取り組みを彷彿させる元気さであり、今後の中山間地の勝ち残り方を示す事例でたいへんに参考になった。

 それにしても、失礼ながら、この流れで、題のように、「ストップ温暖化! 〜琵琶湖と、すべての生き物たちと共に〜」と言うには、やや散漫なセミナーであったように思うのだが・・・。しかし、児島湖の浄化についても、結局は、その抜本的な解決策に踏み込んでいないのかもしれない。300億円以上の巨額を投じて、あまり効果が見られなかった?とされる浚渫とは、なんだったのだろう。


 次に、長浜ドームに戻り、「びわ湖環境ビジネスメッセ」に。この催しは、滋賀県で毎年開催されている環境ビジネスの総合見本市で、京都議定書締結の翌1998年にスタートし、産・学・官が連携して滋賀環境ビジネスメッセ実行委員会が主催し今年で10年目を迎えた。(資料3)
 今年の出展は、268企業・団体による461ブースで、過去最大で、会期中には10周年記念シンポジウムを始め、20本のセミナーも併催され、賑やかなビジネス見本市であった。
 水質汚濁対策に特化した印象を持っていたのであるが、NEW環境展大阪会場、エコ・テクノと並んで、西日本で開催される環境系展示会としては最大規模の展示会で、BtoB中心の展示で、上場企業の出展も多く、大部分が企業による出展である。地元自治体やNPOなどの啓発を目的とした展示や、大学や公的研究機関による研究成果発表の出品も行われている。 主催者の発表では 開催期間3日トータルで 3万7350人の来場者を達成したそうである。

 今世紀における最大の課題は、地球環境の保全、化石燃料からの脱却、自然エネルギーの活用などによる経済と環境が両立した「持続可能な社会」を構築していくための環境対策に努めることで、その解決に向けた環境ビジネスモデルの創出、環境技術イノベーション等による環境ビジネスの成長・発展が強く求められている。

 「びわ湖環境ビジネスメッセ」は、世界に向けて環境ビジネス分野における最新の技術・情報を発信し、経済と環境が両立した「持続可能な社会」を形成していく担い手である環境ビジネスの振興を目的としているのだという気魄は伝わってきた。


 ところで、11月8日には、青森県議会の商工労働エネルギー委員会の視察バスが来庁していた。特に。真庭市のバイオマス、さらに、障害者雇用の関係で、吉備高原都市に行かれた模様である。真庭市のバイオマスについては、県外での評価が極めて高い。

 この日、国際交流センターで、「環境ビジネスメッセinおかやま」(資料4)が、開催された。お邪魔しても、技術的なことはさっぱり分からなかったが、「びわ湖環境ビジネスメッセ」との比較をすれば、かなり思うところがあった。特に、岡山理科大学など積極的に産学官連携の展開をされているが、バイオに関して、私立大学と組んで、経済特区を作るまで、ある意味、滋賀県は、非常に強く舵を切ったわけである。
 環境問題については、児島湖は、琵琶湖に負けず劣らずの課題であり、岡山県が、水質浄化の環境ビジネスのメッカになって、中国やインドに、どんどんビジネスチャンスを広げて行く勢いが必要であり、ビジネスチャンスを広げる夢とは、そういうものではないだろうか。岡山県が、「環境先進県」を歌うのは、いったい何に基づいてだろうか。



 《早稲田大学125周年記念シンポジウム》

 早稲田大学の建学の祖である大隈重信侯は、125才寿命説を採っているが、大隈講堂が125尺であるように、125は、早稲田大学にとって、大切な数字である。大隈記念タワーは、第2世紀を象徴して、倍の250尺にしている。そして、今年は、125周年で、まさに、「第二の建学」ということである。
 そして、まさにマニフェストのカリスマとも言える北川正恭元三重県知事は、現在大学院公共経営研究科教授で、ローカルマニフェストがらみの中心は、早稲田大学マニフェスト研究所である。
 「青年よ地方に帰れ」という大隈侯の言葉や在野精神は、「地方から日本を変える」ローカルマニフェストに結実するのかな、と思うが、個人的な思いを書けば、こういう形で、少しでも母校と繋がるのは嬉しいところである。

 ちなみに、大学院公共経営研究科は、研究職大学院に対して、専門職大学院という位置づけで、実践に活きてなんぼ、という試みだそうである。公共経営という概念が、日本では新しいようであるが、NPOなどもこれに入り、私も関心が最も深いところである。産学官の実務的人材育成を そのひとつとして、マニフェスト研究所にも力を入れている。
 このあたり、前述の長浜バイオ大学もそうであるが、研究が実社会でいかに活きるかに力点があり、大学の考え方も、ずいぶん変わってきたなあ、と思う。(参考資料)(資料1)


 《基調講演、「地域からの改革〜地方議会と執行部のあり方〜」北川正恭氏》

 以下、例によって要約する。

 端的には、二元代表制の一方を担う地方議会のあり方が問われると指摘、自治体執行部の追認機関から脱却して、地方議会自らが立ち上がって、行政自治権、財政自治権、立法自治権の3つを備えた「地方政府」を目指した大改革を行うことへの期待感を示した。

 元県議会議員である北川教授だけに、いつも、地方議会に対してのもどかしさを感じておられるのであるが、我々議員が本気になれば、いくらも変えられることがあるのだと痛感する。マニフェストは、まさに、両刃の剣であるが、当然それは、武器である。


 大隈重信が、福沢諭吉ともに影響を与えている理念は、「Allmen are created equal」米ウズベッキーに教わった皆平等に作られている、その信念が、幾多の紛争を勝ち抜いて思いつきでない人生になった。日本初の政党政治の隈板内閣。鍋島候のもと、副島、江藤が佐賀に集まった。幕府直轄の長崎の出島の警護を鍋島藩が行っていた。逆にオランダから知識を得た。まず朱子学を学んだ。進化してオランダの学問に入っていく。オランダ狂と言われるほど会が機の知識吸収に、鍋島藩は、熱心であった。続いて、米の考え方、独立宣言文を書いたトーマス・ジェファーソンの考え方に共鳴する。いよいよ独立というときに、前述の言葉。260年の武士は二夫に交えずという、徳川治世の中で、これを取り入れる感性。ちなみに、三重県を作ってきたのは、伊勢神宮を除き、司馬遼太郎に言わせれば、裏切り者であり人気がないが、戦国時代を生き抜いた藤堂高虎。これを世に広めたのが福沢諭吉。産業革命が終わって、明治維新という時の利、地の利、人の和があった。と、する。

 真理の追究が大学院の役目だが、研究職大学院に加えて、2002年に、専門職大学院を作った。マニフェスト研究所にも力を入れている。信念に基づいて対応したことが、長続きするからマニフェストであり、現実の実行体制、理念達成のため、制作の情報公開それによって主権者に選択してもらう。選挙公約、政権公約は、検証できる約束であり、目指すべき目標の数値、財源、いつまでを明確にするものである。ただ、期限、財源、数値の明確化がマニフェストの定義づけしすぎた?とも。本来は掲げた理念、目的を明確にする手段、アクションプログラムが必要。理念、目的が少し曖昧になったかも。選挙政治の標準装備になってきた。

 この点について、私見を書けば、選挙の標準装備とは言え、マニフェストが、期限、財源、数値の明確化に偏している感は否めない。例えば、現職候補でもなければ、数字の裏付けをとることは、むしろ至難の業であろう。

 ローカルマニフェストの意義として、東北地方の選挙において、選択の理由の1位は、政策だった。地縁血縁から、マニフェストにという流れであるが、都市部はマニフェスト?と思いがちだが、どのアンケートを見ても、郡部の方が、マニフェストで選んでいる確率が高い。参議院選挙で、自民党の6勝23敗の自民党敗戦の必然とも言える。政党は、地域と液状化現象を起こしていて、自民党は、解党的な出直しが必要。民主も、ゆるやかな与党から、政権を取る資格が必要。政治が人物でなく政策で選ぶべきであり、議員もお任せの白紙委任ではいけない。社会保険庁も白紙委任のしっぺがえし。お願いから約束、情実から科学的合理性を。民主主義は、民が主役と書けば、民の責任も問われる。30年で800兆円の借金が出来た、このことは、双方向の責任において、衆愚政治を真の民主政治に変えていく必要がある。

 第2期分権改革と言われる。分権時代は止まらない 一つは仕方ない消極的理由。1878年 諭吉は分権論を書いた 法律と条令は平等と地方自治の独立性の強化をうたったシャウプ勧告もないがしろ70年代 長洲一二神奈川県知事もつぶされた。以下、敢えてまとめながら書く。

 95年地方分権推進法は、期間5年の時限法で、政府に「地方分権推進計画」の作成を義務づけるとともに、その作成のための勧告を行う「地方分権推進委員会」の設置を盛り込んだ。

 2000年4月施行の地方分権一括法は、国と地方自治体の関係を従来の「上下・主従」から「対等・協力」に転換した。「歴史的な改革」(小渕前首相)とも言われ、最大の目玉は「機関委任事務」の廃止。国の自治体への「関与」も廃止・縮減された。国による地方自治体への「必置規制」も廃止・緩和され、機関委任事務に基づいて乱発されてきた国から自治体への「通達」も廃止された。国と自治体の関係が「対等」になったことに伴い、新たに「国地方係争処理委員会」を設置した。ただ、国から自治体への権限移譲はごくわずかで、税財源の移譲もほとんどなかった。

 2002年三位一体改革三位一体の改革は、2001年に成立した小泉純一郎内閣における聖域なき構造改革の「目玉」として、「地方に出来る事は地方に、民間に出来る事は民間に」という小さな政府論を具現化する政策として推進されているものである。「骨太の方針2002」で方針が決まった。

 2006年第二期地方分権改革推進法は、3ヶ年の時限立法で、地方分権改革を総合的かつ計画的に推進することを目的としている。地方分権推進法で行われた地方分権をさらに進める「地方分権改革」を行うための法律。地方分権改革推進計画の策定と地方分権改革推進委員会の設置を定めており、基本法と組織法の性質を併せ持つ。
 cf.第27、28,29次地方制度調査会

 地方の行財政制度の検討を行うため、1952年に設置された首相の諮問機関。30人以内で構成され、委員は首相が国会議員と地方六団体の各代表、学識経験者から任命する。委員の任期は2年(再任可能)。小泉純一郎首相は2004年3月、28次調査会に「地方の自立性・自主性の拡大」と「道州制のあり方」を諮問。調査会では2005年12月、助役を副市町村長に名称変更し、出納長と収入役を廃止することなどを答申、2006年2月には道州制の導入を「適当」と答申した。最近は地方分権の流れを背景とする諮問と答申が多く、23次(1993年)では広域連合と中核市の創設、25次(1998年)は「平成の大合併」といわれる市町村合併促進をそれぞれ打ち出した。

 第1期分権改革は、国から地方へという、団体自治の世界の話であった。それはそれで成果はあった。しかし、三位一体改革後も、機関委任事務が政省令に変わっただけで、実がない。しかし、06年11月からの第2期分権改革は、国から地方へが、官から民への住民自治の世界へ それを進める中間委員会が、中間まとめ。この中に、特筆すべき文言がある、それは、「地方政府」。政府関係文書に、中央政府と並列で書かれた。中央は政府で、地方は、明らかに上下主従であり、この体制の中で分権しても追随するだけだった。だから、地方政府ではなく、地方公共団体といわれてきたのである。

 ローカルマニフェスト運動もギアチェンジする。「地方政府」充実のための3つの権限が必要である。すなわち、行政の自治権を認めるのが運動 「行政自治権」。しかし、財政の自治権がないに等しい3割自治であるからこそ、「財政自治権」。地方議会は、汚い、追認機関といわれるのが、アンケートの一般的調査であるからこそ、「立法自治権」。

 二元代表制と地方議会の役割を考えるときに、立法自治権について。執行部も議会も直接選ばれる二元代表制の機能を果たさないといけないのに、90%超えて追認。地方議会の堕落。与党野党を勝手に作り、監視機能を果たしていない。政務調査費が明確でないのに、なにが監視か。地方に任すと問題がなくならないという中央の思いは当たっている。地方議会のあり方が変わってきている。35年前に県議会議員だったが、議員が変えないと他人は変えられない。地方議会の大改革が必要である。

 松沢知事に対抗して、神奈川県議会は、議会基本条例を作った。4万人の栗山町議会は、町議会基本条例をつくった議員は臨時職員扱い 議長、常任委員会の権限は、なぜ役人に対して、自ら考え責任をとっていく。飯田市は、自治基本条例は議会が作るべき ほとんどの議会は作ることに反対するが、議会を相手にしていないだけ。首長が最高権力者が、義務や権利をうたうのは、理論的にはおかしい。ないよりは、良いが。市民と考え、市民も責任あり、市長の責任も明確にして。ドミナントロジックとの戦い 予定調和の中での戦いではなく、地域から変えていく必要がある。

 11月9日には、地方議連のマニフェスト大賞が発表される。540件以上の応募があった。なにをしているのか見えにくい 目覚めたところは頑張っているが、執行部よりも議会が変わる方が遙かに影響力がある。自治基本条例、不作為で刑事訴追される状況になっている。行政も政策で動いていかないといけない。議会も、監視のみならず、県民に説明責任を議会が果たす必要がある。条例制定、提案、緊張感あるパートナーシップが生まれてくるように。

 マニフェスト作らないとやばい。どうやって立案するか、もどきマニフェストも多いが、その検証のあり方も確立していく情実ではなく、科学的合理性がある政治。体系的なマニフェストサイクル。普及から実践、理論から実践の時である。

 第2期地方分権改革において、地方公共団体から地方政府へ 自治立法権を持った 担うのは議会。執行部の追認機関ではないかという批判から全国3議長会も意見を出し、自らの改革に係っている

例えば、松田神奈川県議会議長は、県民満足度日本一の県議会をキャッチフレーズ

 ルソー社会契約論は、国民が自由なのは選挙の時だけ、あとは奴隷だと言う。代表民主制が直接民主制に。


 《第1部「闘う議長座談会」(資料2−1)》

 神奈川県議会の松田良昭議長、飯田市議会の上澤義一議長、北海道栗山町の橋場利勝議長、北海道福島町の溝部幸基議長ら4氏の闘う議長≠ェパネリストとなり、片木淳早稲田大学大学院教授のコーディネートで、議会改革の取り組みに関する実践報告。


 神奈川県議会の松田議長は、この5月の議長選挙で「議長マニフェスト」を掲げて選出され、議会改革に向けて大きく舵を切った。(資料2−2)

 松田議長は、「地方議会は、二元代表制の両輪(の一方)にまだまだ成りえていない」、と現状を厳しく分析。続いて、議会改革が目的ではなく、県民満足度日本一を目的に、@開かれた県議会づくり A神奈川県議会基本条例の制定 B議会局の強化 議長の権限はこの3つに集約されるの3つに絞り込んだ会派の方々に、「お約束」をして議長公約「議長マニフェスト」の実践の取り組みを語った。
 5年前の神奈川県知事選で初めて、松沢成文知事が神奈川県にマニフェストをもち込んでから、自民党の候補者が惨敗した。実際にはマニフェストという言葉は使っていないが、「県民満足度日本一」の議会を県民に認識して頂くことを目標に、進行管理表、工程表をつくって進めた。

 ちなみに、知事の多選禁止条例が可決されたが、マニフェストだと考えている。多選禁止条例は、17年前に松沢成文「県議会議員」が提出したが、時代が変わり、総務省の委員会からも「憲法違反でない」との意見が出て、修正可決した。
 「議会基本条例」については、県は基礎自治体と違って、中二階の存在。神奈川県は889万人いるが、政令指定都市は3つになろうとしている。分権が進み道州制も進む中で、議会が自ら県の形を示す作業が必要である。


 飯田市議会では昨年9月、「飯田市自治基本条例」を議会議案として提出して、全会一致で可決した。(資料2−3)上澤議長は、この自治基本条例の制定に当たって、議会議案検討委員会の設置、わがまちの憲法を考える市民会議の設置、地区説明会の開催、自治基本条例シンポジウムの開催など、あしかけ4年の市民を巻き込んだ取り組みのプロセスが重要であった、と成果の要因に触れた。

 自治基本条例は、執行部提案で基本条例がつくられることが多いが、むしろ執行部を縛るのが憲法であり、議会がつくっていくのが本来だとする。平成14年度に、「議会在り方研究会」を超党派で設立。、平成15年度に、「議会議案検討委員会」を立ち上げ、行政の在り方や市民との関わり方を明確にする必要があるということから、自治基本条例の制定を目指すことになった。

 公募委員も含めて、「わがまちの憲法を考える市民会議」を設立。無報酬で、平日の夜間、数十回会議を開き、素案を答申。それをもとに、議会議案検討委員会から自治基本条例の特別委員会を立ち上げ、市内20地区を2回に渡ってまわり、議員が会場設定から説明まで。アンケート、パブリックコメントも実施し、平成18年9月議会で、全会一致で承認。


 北海道栗山町議会は、昨年5月、全国で初めて、議会運営の最高規範である「栗山町議会基本条例」を全会一致で可決した(資料2−4)。橋場議長は、栗山町の議会基本条例の特徴として、執行部と議会が互いに競い合う二元代表制を強く意識したこと、4年半の議会改革の実践の積み上げの集大成であることを強調。総合計画も議会の議決事項に加えた。
 地方自治法にはないが、町民や団体との意見交換のための「一般会議」を条例に制定。年1回の「議会報告会」も義務化。一般質問は一問一答式で、町長や町長部局に対しての「反問権」を認める。

 北海道福島町議会の溝部議長は、町民が参加しやすく、分かりやすい開かれた議会づくりを目指した取り組みの実践を報告(資料2−5)。傍聴規則を「取り締まる」から「歓迎する」に改正したこと、全国でも珍しい、議会の評価、議員の自己評価の取り組みを取り上げた。夜間に議会を開く、選挙は平日投票に。通年議会制度も、検討。


 首長と議会議員を住民が選挙で選ぶ二元代表制のもと、首長の掲げるマニフェストに対抗して、議会も変革をして行かなくてはいけない中で、特に、議長の役割が重要であることを痛感させられた。ただ、基本は、二元代表制の下の個々の議員の自覚と覚悟である。とりわけ、今夏の自民党の大敗北を受け、今はむしろ、議会改革のチャンスだとも言える。全て、岡山県議会でできないことではない。


 《第2部 「ローカル・マニフェストの新地平」》

 マニフェスト政治を実践している首長による討論会。首長選挙では、マニフェストが標準装備となりつつあるが、分権が進んで、政策的なことも財源的なことも自分たちの創意工夫によって自立する道を歩むのならば、自らが考える世界の理念をきちんと掲げて、実行体制を組んで、主権者に説明責任を果たす必要がある。補助金があるから、交付税があるからということで、国の官僚に説明責任を果たしているようでは地方の時代は本当に来ない。


 寺田知事(資料3−1)  マニフェストは、3回目の知事選のときに、役所が書いた。2期目のときに、県民がも発することばかり掲げた。3期目の選挙のときに、行政改革で5000人いる県の一般職を3500人体制にするとして、4000人まで切った。学校統合、警察統合、駐在所統合、合併65市町村を25に。全国に先駆けて30人学級をやり義務教育のレベルが一番になった。
 秋田県は東京の50%しか平均所得がなく、全国平均の約8割弱。格差を是正するのに、分権型社会では、税源を地方に移譲したからといって自治体が自立してやってけるか分からない。一国一制度でなく、一国多制度の必要。法人税を下げれば、グローバルな競争社会でも、地方に企業が進出する。所得格差が、教育格差、子育て格差につながらないような制度にしたい。

 松沢知事(資料3−2) 神奈川モデルを作り、地方から日本を変えること。地方政治を変えるには選挙を変える必要があり、政策中心のマニフェスト選挙の定着が必要である。マニフェストは選挙の道具ではなく、政策中心の選挙、政治、行政経営を実現するための仕組みである。 議員が徹底して不備を正していじめぬくためにマニフェストを研究することでよい緊張感。徹底した議論が始まった。政策議論がようやく県議会でも活性化してきた。選挙を通ってから、毎年1年に1回、マニフェストの外部評価。自己評価もして4年間で公約を実現させて初めてマニフェスト。10月の県議会で「多選禁止条例」を成立させた。

 自治体として一般歳出で使えのは、税収プラス地方交付税だが、県民あたりで割ると、神奈川県が一番少ない。一番多いのは島根県。地方交付税が分配された後で判断するとむしろ都市部の方が行政の恩恵を受けていない。ふるさと納税や法人二税を調整財源に使うという議論があるが、地方自治体間のレベルを均衡させるには、国が責任をもってやるべき。県内の市町村のレベルを合わせるには県が責任をもつべき、地方同士で調整は無理。地方交付税を減らして格差が大きくなったのは国の責任。
 基礎自治体は、小さすぎても、大きすぎても機能しない。神奈川県で一番大きな基礎自治体は横浜市で、人口360万人。一番小さな村は清川村で人口3千人。横浜の市民自治は、ほとんど成り立っていない。行政区に自治権はない。大都市制度も一緒に改革しないと、日本の地域の自治というのは組み立っていかない。都道府県にも当然影響。市町村合併が進んで基礎自治体が力をもったら、広域自治体の都道府県を再編し、地域連合、道州制。

 中島市長(資料3−3)は、感動のマ二フェスト、いわばビジネスモデルをつくった。恵庭市は、札幌市と新千歳空港の間にある6万8千人の町。自衛隊の駐屯地が3つ、自衛官が3700人。家族、OBを含めると1万5000人の自衛隊関係票。自民党推薦を受けて3期目を目指した現職市長に4000票の差をつけて当選。

 ボランティアだけの小さな支持組織。3回に渡って2万5000世帯の全戸にビラ。子供の問題こそ最重要な地域課題であるとした。差別化するために焦点を絞った。全国どこでも可能。

 2年間で2度問責決議、2度給与減額、予算の修正決議1本、議案の否決1本、決算不認定1つ。厳しい議会があればこそ。

札幌の合計特殊出生率は0.98で東京の1.0より低い。恵庭に引っ越してくると、絵本や読み聞かせで子育てを支える暖かい地域社会がある。高い生活を費を払って札幌で暮らす必要性がなくなり、若い子育て世代を大量に呼び込むことができる。子どもに対する投資が経済効果を生み、思い切った子供への投資ができる。人材立国日本を恵庭から再生させる。

 北川教授は、住民と約束してという本気度が重要。議会の抵抗勢力をフォローウィンドーと言い切る首長と徹底的に追及した議会。馴れ合いで非公開の中で談合してきたという追認議会から必死の戦いがなければ、地方から日本の改革ができるのか。とまとめた。全くもって耳が痛い。


 残念ながら、岡山県においては、前回の選挙で石井知事は、マニフェストらしきものを掲げて3選したが、我々議会を含めた外部評価はもちろん、自己評価が行われていない。

 特に、平成17年11月定例会では、平成19年度から23年度までの「新世紀おかやま夢づくりプラン」が、平成22年を目標としいる「岡山県長期ビジョン」、平成20年を目標とするローカル・マニフェスト「おかやま大地夢づくり宣言」と整合していないことを指摘した。これらは、行政の組織図とは全く異なった項目立てがなされ、キーワードも計画ごとに異なり、計画、政策、施策、事業という流れが、きちんと体系づけられていないことに苦言を呈した。
 来年は、知事が4選目に出馬するかもしれないが、いまだに、マニフェストの検証は行われていない。それだけ、首長も議会も、政策実現に向けて、闘っていない、馴れ合いであり、本気でないと言われても仕方ないのではないか。私自身も猛省しないといけない。

Copyright (c) 2007 SHINJI SATO Inc. All rights reserved.satoshin.jp