【報告事項】
《〜ローカル・マニフェスト推進議員連盟設立に向けて〜》

 「21世紀分権時代における地方議会のあり方研修会」と称されたこの研修会は、副題にあるように、「ローカル・マニフェスト推進議員連盟設立」に向けたものであった。もっとも、その準備会に当たる部分は、次第のように、僅か30分のことであるが。
 今回は、大半が、地方議会のあり方に対する講習会であったし、今後もこういった形式は変わらないと思われるが、それでも今後、任意の議員連盟という形での活動となれば、議員派遣として議会から派遣されるという趣旨には添わないと思われ、以後の活動(5月22日、「ローカル・マニフェスト推進地方議員連盟結成大会」開催予定)については、政務調査費による自主的な活動とし、派遣申請という形は取らない。

 さて、正直なところ、議会改革等に関して、既存の団体によるシンポジウムやセミナーは多々あり、一応の勉強にはなるものの、理念的なことが多く、なによりも議会制民主主義は多数決に基づくため、変革を言うことすら護送船団方式のようであり、遅々として進まない。
 時には、「単機出陣」でないと時代は動かないとも思うのだが、いわば、既存の繋がり(例えば、永田町と同じ括りによる政党)ではなく、インターネット介したバーチャルな議連の繋がりが、各地で、顕在化してくるだろう。そういった意味では、地方議員は、時代に対応していくために、全国に志を同じくするネットワークを広げていく必要がある。
 高度情報化の時代に、地方議員が、地方を離れて見聞する意味は自ずと変わってくるが、県外調査で何を見ようが、改革派知事のところでもなければ、それは、政策や施策でなく、せいぜい事業のレベルでの違いであると私は諦観もしている。つまり、ある事業を見て、びっくりしましたというような子供の感想文は、不勉強の証であるし、これからは、事業であれば、よほどの先駆事例(酷い事例)を見るか、あるいは、よほどの先駆者に会うか、さもなくば、よほどの情報が集約される場に出向いていくことがより重要になってくると思う。
 とりわけ、議会改革がテーマであれば、なおさらである。


 さて、マニフェストに関しては、一昨年の総選挙の際には、ブームにもなったが、その後、死語になったかと言えばそうでもない。特に、元三重県知事北川正恭早稲田大学大学院教授は全国の首長に働きかけ、「ローカル・マニフェスト推進首長連盟」を立ち上げている。ただ、燎原の火のごとく、こうした運動が広がっているかと言えばそうでもないし、逆に、考えようによれば、マニフェストという言葉ではないが、マニフェストもどきの選挙公約を数値目標で示すことが定着してきたのかもしれない。

 選挙に関わらず、どこの自治体でも、PLANーDOーSEEは言うし、例えば、事務事業評価や大規模事業評価のようなことは行っている。もっとも、マニフェストであれ、ベンチマークと言われる評価指標であれ、数値目標自体がお手盛りであり、まず、なぜそれが指標になり、なぜ基準がその数値であるかの論拠を示すべきではないかといつも考えてしまう。自分で作った基準に、自己採点、自己評価、自己満足に、言い訳をつけて、分厚い書類を作成するのは、まさに、時間と金の無駄である。

 つまりは、察するに、ただ、そのいい加減な数値を持って何事か示すと、市民や有権者にウケが良いからそうしているだけで、情報公開を持って、市民と協働して成熟した市民社会を構築していこうという気概は、看取出来ないこともある。そうなれば、ただのブームである。

 また、今回の議連は、北川氏のそのカリスマ性に惹かれた者の集まりではないかと思えるふしもある。それゆえ、私の母校でもある早稲田大学が、何かといえば全面出でるのだが、そこにある種の限界も感じる。また、個人的には、北川氏のいうマニフェストと元経済企画庁長官田中秀征福山大学教授のマニフェストは、似て非なるものではないかという疑念も払えない。少なくとも、同じものだが、やや立ち位置が違うようにも思う。
 マニフェスト提唱者として幾ばくかの奢りすら感じられる北川氏が、顧客として市民を捉えるのに対して、田中氏のそれは、「官権から民権へ」という思いのもと、マニフェストに対する有権者への理解・承認をもって、絶対に行政に執行させる、すなわち、行政権力と戦うのだという、あくまで市民が主体であり、戦う民主主義のロマンがある。ただ、これは、表現の違いといったレベルの話であろう。


 もっとも、実際は、マニフェスト自体の問題ではなく、要は、それをどう行使するかに尽きるのである。もっと言えば、もともと地方議員であった北川氏から出された宿題のようでもある。特に、最大の疑問、すなわち執行権を持たない、多数決で決する議会という組織の一員である我々が、マニフェストを掲げて何になるのか?ということである。
 そして、考えられる唯一の答えは、地方議員が、マニフェストを言い出せば、まずはマニフェストとして議会改革を標榜する地域政党(ローカル・パーティー)を作ることしかないのではないか。これから先、報告を書きはするが、結論はそのことに尽きる。

 しかし、果たして、例えば、イデオロギーの対立が必ずしも終焉したものと私は考えてはいないが、永田町の政党と同じ括りで、政党があるくせに、猫も杓子も与党を標榜した大統領制下の大政翼賛会とも言えるような地方議会に、地方政党が出来るのか?というのは、大きな疑問であり、課題である。
 政治理念がさして変わらずとも、戦わなくてはいけない、いかんともしがたい選挙区事情があったり、大統領制下の地方の首長が、県民党でございます、と言われていれば、どの既存政党にも属さないというのが唯一の政策のような無党派という名の政党が圧倒的支持を受けている現状では、地方政党の未来は、必ずしも明るくない。

 突き詰めれば、その人の「政策」ではなく、その人との「繋がり」に、有権者が投票する限り、政治は変わらない。ある意味、ジレンマに陥るのは、選挙のあり方からして問題なことの証左だろう。


 前置きが長くなったが、報告に入る。

 まずは、基調講演は、北川正恭氏が、「地域自立とローカルマニフェスト」。と題して。
 2年前の知事選挙で提唱した「ローカルマニフェスト」による選挙に呼応したのは、松沢神奈川県知事を含めて11人。その後、首長連盟が誕生し、メンバーは、199人で、石井知事もその一人である。また、市民サイドでも、推進ネットワークが作られている。いずれにせよ、北川氏は、マニフェスト選挙の仕掛け人であり、地方議員のネットワークも必要と考えて動き出されたということである。
 ところで、地方におけるマニフェストであるが、2000年4月施行の地方分権一括法は、475の法律を変え、3年遅れで税財源について触れたのが、三位一体改革。そして、上下主従関係から対等協力関係になり、通達行政や指示待ち行政の象徴であった機関委任事務が廃止され、自治事務と法定受託事務になったことは、国の追認機関のような管理者から、自ら経営出来る経営者へと首長は強大な権限を持つようになった。そのことは、議会のチェック機能が益々重要になったということ。そしてこれからは、県・市町村の格付けが始まり、そこで意味を帯びてくるのが、首長の掲げるマニフェストであり・・・・ということであるが、論理必然性と言うよりも、これからは、選挙的に示さなくて勝てません、と言う主張にも聞こえる。そこから、地方議員も、個々で、マニフェストぐらい掲げないと恥ずかしくない?という雰囲気ならば、従来のウィッシュリストと何も変わらない言葉合戦のように思うのだが。

 以下私論だが、
 マニフェストの本来の意味は、行政権は常に肥大化するという「行政国家現象」に対して、選挙の際に、マニフェストという契約書を持って、行政権の濫用に一定の縛りを掛ける、すなわち、「法の支配を及ぼす」ところにあるのではなかろうか。そういう意味では、マニフェスト選挙は、議院内閣制よりも、地方首長選挙に馴染むし、さすれば、まずは、議会としては、首長が選挙で掲げたマニフェストが、いかのように実践されているのか、有権者の代表として、チェックするという機能が重要になってくる。
 逆に言えば、マニフェストは、首長当選後に、選挙時と言葉が変わってはいけないし、行政の指針になるべきことである。もっと言えば、首長が誰であれ、変わらない官僚機構があるとすれば、選挙で認められた公約は、選挙を経ていない官僚・役人がどう言おうが、実施出来る錦の御旗である。要は、市民・県民に資するからマニフェストなのである。
 こういう視点からの言葉の使い方は、田中秀征氏の方が、明確である。


 続いて、「ローカルマニフェストで変わる地方自治〜神奈川県の実践」と称して、松沢成文神奈川県知事。北川氏に感じた疑念に対する答を実践的に行っておられた。
 新党ブームに乗り、神奈川県議会議員2期から衆議院議員、最終戦争は、霞が関としなくてはいけないが、権限がある大統領制の下の知事ならば、改革を打ち出し、地域を変えることが出来、ひいては、日本の政治を変えることが出来る。そして、金・組織・知名度が先にある選挙ではなく、無党派、利益団体から支援受けない、政策中心の選挙で、37本のマニフェストを掲げて、選挙戦を戦った、とのこと。選挙戦では、立候補7人中5人がマニフェストを掲げた。1部100円で、5000部売った。今の国政は、選挙公約が軽視され、公約を破ることなどたいしたことではないという首相が、政治を行い問題。
 そのマニフェストは、必ずしも、職員にウケが良くなかったが、「総合計画特別委員会」で、政策化。また、総合計画については、議会の議決対象とした条例が制定された。
 マニフェストに関しては、政策を作るためのツールであり、公募委員を選んで、外部評価委員会の評価に晒している。また、自己評価して、公開もしている。
 松沢氏は、議員が、首長の出したマニフェストを評価することは当然としても、行政権限のない議会が、独自のマニフェストを出せるのか疑問である。むしろ、役人が気づかない地域の政策を条例として、会派で提出するとか、議会改革について、政務調査費の使途の公開や議員年金に互助年金だけでなく公費がはいるのは如何なものかとか、そういった面のマニフェストを競うべきではないか、また、会派で首長の選挙前に協約・協定を結ぶのも、一つの手法ではないか。と、する。
 松沢知事の話は、非常に納得出来るものであった。現実問題として、議会や議員が取り組めることの提示であった。例えば、マニフェストのようなものを掲げられて選挙戦を戦われた石井知事の昨年の選挙の後、そのマニフェストを我々は、検証することから始めないといけない。その部分は、是非本会議で取り上げたいし、議会改革については、耳が痛い話だが、個人的に取り組める課題は幾つもある。2年後の選挙で、マニフェストに掲げるよう努力したい。


 次に、「マニフェスト・サイクルによる行政経営」と題して、行政評価に関する日本の第一人者である上山信一慶應大学大学院教授。
 行政の運営が、行政経営になり、ルールが変わったとする。すなわち、全体のパイが縮む中で、財政再建をどの首長も掲げるが、御利益配分から、人を含めた資源の有効活用が、ポイントに。さらに、個人の特異な才能に基づくカリスマ型指導者から、行政評価手法、情報公開で組織をまわすのがリーダーシップに変わる。また、キーワードやキャッチフレーズでは、人を動かすことが出来なくなった。文鎮の摘みを変えると、行政組織を動かすことが出来る。そして、最終的には、前例踏襲ではなく、成果指標から約束するのが、マニフェストと言える。
 議会が、マニフェストにいかに関わるかについて、まず、議会改革、透明性を高めるため、議員としてマニフェストを出すべきである。また、NPOや学者に頼る前に、本来の議会の仕事として首長が出しているマニフェストをチェックしなくてはいけない。さらに、会派を掲げる以上、それが何であるか、理念をマニフェストで示し、有権者に説明する必要がある。
 これから、議会は、厳しい状況に追い込まれる。中間組織、代議制や卸業の存在意義はなくなる。役人とつるんで利益誘導していれば、いずれ駆逐される。本来は、もめる議会として、政策論争、争点を作り出す議会であるべきである。
 いずれも、ごもっともなことであり、まさに、時代の流れはそうなのであろう。いわゆる「口利き」のような数値化も公表されないものについて、それが、議員の力であると喧伝されるような時代は、議員としても、終わって欲しいというのが、本音である。


 最後に、「地方自治と議会の役割」と題して、曽根泰教慶應大学教授。マニフェストを「政権公約」と訳された人物であり、氏のテーマは、マニフェスト選挙を通じて政権交代すべきである全体的に、自民党には厳しい話であった。一番堪える内容であった。
 言うまでもなく、東西冷戦が終わり、イデオロギーの対立という側面は薄れており、支持母体以外に、自民党と民主党の政策に大きな差異はないのではないか、ただ、国政の場合は、小選挙区及び比例代表制で、いわゆる政権交代があり得るために、政権公約としてのマニフェストの意味がある。しかし、県議会の場合は、小・中・大選挙区制が、混在している異常な選挙を行う。自民党内で、複数候補が立候補するから、イデオロギーの違いと言うよりも、好き嫌い、もっと言えば、地縁か、血縁か、しがらみか、要は、知ってるかどうか、少なくとも、政策とは違う部分で判断される傾向がある。ゆえに、会派や派閥で、共通のマニフェストを作ったところで、ほとんど選択の材料にならないかもしれない。もっと言えば、思想の違いというよりも、選挙事情ではないか、無党派は、戦略的な所属隠しに過ぎないのではないか。
 全てしごくごもっともである。地方議会は、いったいなんなのだ?という根本的な問題である。正直、聞いていて、選挙をやっている当人の苦しみも知らないで、と腹もたったが、まともに、ここまで言われれば、その通りですね、と言わざるを得ない。


 今回の講演を聴いて本当にいろいろ感じるところがあった。少なくとも、34歳初当選時の抽象的なキャッチフレーズの「若さと情熱で」という期待だけの時期は、40歳の私自身が済んでいると自覚しているので、特に強く感じるのだが、要は、何をしてきて、何をするのかは、明確に、できれば具体的数字を持って示すことは、当然議員にも必要になってくる思う。今までなぜそのことが、問われなかったのだろう?

 個人のマニフェスト的なものは必ず必要になる。それは、毎回一般質問をします、毎日県政報告を送りますといった個人目標との区別が難しい代物かもしれないし、政務調査費や費用弁償について、自分なりの見解を持ち、実践することであろう。


 一方で、地方政党の話である。むしろ、永田町の話で、地方も流れが決まっているわけだが、実際のところ、本当に地方分権を言うなら、中央自民党と地方自民党は、地方分権一括法施行後の国と地方の関係のように、対等・協力関係にあっても良いわけだし、もっと極端な事を言えば、「政党おかやま」という地方政党があり、それが、自民党と協力関係にある、あるいは、時により、地方政党が、中央政党の支持を変えるということが、論理的にはあっても良いことになる。さらには、中央政党と地方政党に、二重に属しても良いかもしれない。
 なにより、たいがいの首長が「県民党」や「市民党」を謳うので、いずれ、中央政党とオール与党化する地方とは、思惑がずれて来る可能性は濃厚である。

 いずれにせよ、特に県においては、道州制の導入も相俟って、政党の意味や意義が、早晩問題になる。中央は、議院内閣制、地方は、大統領制という二重の政治構造で、地方分権を進めれば進めるほど、ずれが生じて来るのは、自明である。

 いつか振り返ってみれば、あの頃からだよね、というのが、きっと今だろう。永田町の政党と違う全国ネットワークができることで動き出すことがあるだろう。そうした地方の動きが、いずれ国を動かすことになる契機となるのではないかという気がする。
 あるいは、今までと違う考え方、そのネットワークが生まれてくる必然性がある。そして、総決起ではないが、地方から一斉に、言葉の上で蜂起するような場面が出てくるかもしれない。あるいは中央を揺るがすような。もちろん、それを可能にするのが、インターネットである。最後は、会わないといけなくはなるが、

 ただ、今の段階で、具体的に何かあるのか?と言われたら、難しい。可能性の問題である。しかし、それでも、バーチャルのローカル・パーティー・ネットワーク自体は、まずできるものと思う。

 様々な業界と同じように、政治の世界でも、内部変動を起こしている。岡山にいては、漠然としかわからないが、東京に行けば、確実に時代は動いていることを感じる。
 ただ、ここから先に、ローカルマニフェスト推進議員連盟で起きることは、議員派遣と言う形ではないので、議会への報告義務はない。

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