【報告事項】  《インターナショナルコミュニティスクール》

 2月2日に、議長代理として、文教委員長である私が、東京で開催された「第60回国民体育大会冬季大会アイスホッケー競技会式典」に出席させて頂いた。2日の式典開催が朝であったため、1日にどうしても前泊が必要であったが、せっかくの上京の機会であり、前泊の1日をかねてより関心を持っているインターナショナルスクールの一連の調査に活用させて頂いた。したがって、議員派遣の部分は、東京を起点・終点としたイレギュラーなものであり、議長代理の部分については、議員派遣ではないので、報告書等の書類上は、別途処理する。
 また、今回は、あくまで、群馬県佐波郡のインターナショナルコミュニティスクールの調査であるが、比較対照する上で、横浜のホライゾン学園の調査についても、言及する。この横浜での調査は、1月18日の自由民主党青年部青年局全国合同大会、同19日の自由民主党第71回定期党大会のため、上京した機会を利用したものである。したがって、横浜については、議員派遣として申請もするわけがないし、ゆえに報告義務もなければ、かえって大部にはなるが、どうしても、今回の調査報告のために、記述が必要な連関した一連の調査であり、その点、ご容赦頂きたい。  なお、派遣費用が、三千円強であることは、報告内容の濃淡には、あまり関係がない。

 さて、現在、ゆとり教育を見直そうという動きがある一方で、グローバリゼーション、国際化に伴い、英語教育については、むしろ早期に行うべきであるという風潮がある。従来も、総合的な学習の時間の「国際」において、ダンスを交えた楽しむ英語をという動きは盛んであった。来年度から、岡山市内の小学校でも、いわゆる主要科目ではない美術や体育などの授業を英語で行う(イマージョン教育)という動きがあり、倉敷は、敢えて英語教育に関して、構造改革特区にまで指定されている。また、御津町にある全国初の株式会社立の小学校では、体育や美術は英語で授業を行っているという。さらに、保育園や私立幼稚園においても、英語教育をひとつの「売り」にしているところも、少なくない。

 ただ、実際何のための英語教育なのか?という命題については、実は、かなり曖昧なのではないかという気がしてならないのである。国際社会においては、何といっても共通語は、英語であるが、 英語教育を10年受けて、受験英語で偏差値70あっても、英語を喋ることができないという我が国の妙な英語学習の成果が、コンプレックスとなって、保護者を英語に走らせていないか?そんな気もするのである。そういう親の世代の思いがあってか、お子達が、ご幼少のみぎりに、できるだけ英語に触れさせたいと遮二無二なるというのも、理解できなくはない。
 しかし、それは、本当に子ども達のためになるのだろうか?
 一方で、昔から、いわゆるインターナショナルスクールという物が存在する。宇多田ヒカルの例もあり、日本人が、インターナショナルスクールに入学するという需要もあるようには思う。必ずしも、外国の子ども達だけが対象とも言えないだろう。

 突き詰めれば、私の関心は、インターナショナルスクールは、岡山で需要があるかどうか?ということである。あるいは、空き教室などを有効活用出来ないか?例えば、国際福祉都市を歌う岡山市や、地方主権の時代に、直接外国と交流する岡山県において、いずれインターナショナルスクールが、必要な時代が来るのではないか?

 できるだけインターネットで調べようとは思うが、検索エンジンからヒットしたインターナショナルスクールの情報は、なかなかに分からないことが多い。日本での大学受験資格が得られるかどうか?日本語の学習ができるのかどうか?だいたい親が英語ができないのにどうやって学校と連絡するのか?費用も安くはなさそうでいかように経営しているのか?
 そうした中、岡山に在住のトルコ人の岡大医学部への留学生(国費留学生の彼らは、トルコ国内の学力テストで、1番の方もおられ、人格的にも極めて優れた方達である。)から、3年前にできた横浜のホライゾン学園を紹介された。同校は、商社社長である彼らの友人(トルコ人)が経営している。(ちなみに、彼らのご子息は、どこから見ても外国人であるが、市内の小学校に通い、しかも、もろ岡山弁である。)
 また、群馬県佐波郡のインターナショナルコミュニティスクールには、非常に惹かれるものがあった。同校は、日本で初めてのNPOによる運営の学校であり、東京からは、在来線経由で2時間、なぜ、そんな郡部で、インターナショナルなのか、なぜNPOなのか?インターナショナルスクールは、東京、大阪、神戸や横浜以外に、広島県にもあるが、あまりに意外な郡部である。

 以下、今回の報告は、典型的なインターナショナルスクールとNPOが経営するインターナショナルコミュニティースクールについて考察し、では、岡山においては、どう考えるかという流れである。



【横浜ホライゾン学園について】

 当たり前のことであるが、学園の資料は、ほとんど英語である。私も、読みこなせないわけで、まさに日本の英語教育の貧困を感じる。添付しても意味がないようにも思え、また、そもそも報告義務がある部分ではないので、基本的には、表紙の写しを添付する。
 そもそも、この学園の設立者である、オズカン・レジェプ理事長は、36歳。総合商社を経営しながら、世界13カ国語のアブロードランゲージセンターを仙台と岡山で展開され、人材育成することに生涯をかけておられる。
 基本的に、日本人で理解出来ない部分は、アジアとヨーロッパの中継地とも言える親日国トルコの発想のスケールで、そもそも30才代の日本的には青年が、海外で学校教育を展開しようと発想されることもさることながら、例えば、トルコ人が外国で良いことをしようとすると、母国で寄附が集まるということである。フランクなアメリカ人と比べても、照れ方や謙虚さ、礼儀、思いやりというものは、昔の日本人に通じるものがあり、非常に日本人と気質が合うトルコ人であるが、国際社会に寄って立つというメンタリティーが日本人の側にないため、しばしば面食らうことがある。考えようによれば、オスマントルコは世界を席巻したわけであるが、島国日本とは、根本的に違うのかもしれない。
 しかし、百数十万人中1番や3番という成績がざらの、いかに優秀なトルコ人が集まったとはいえ、閉鎖的な日本社会において、数年で、インターナショナルスクールを作ることは至難の技で、結局は推進力となったのは、やはり、一人の日本人であった。そのことは、日本社会の閉鎖性と裏腹である。
 今回、事実上裏話と言える部分を伺ったのは、日本人である校長の柴田氏である。ちなみに、校長はトルコ人の方と二人制で、対外的には、使い分けもなされているようである。いずれにせよ、インターネットの情報や資料が、全て英語で分からないため、以下は、柴田校長のお話を基に記述する。
 これは、敢えて言えば、インターナショナルスクールの作り方である。

 ホライゾン学園は、学校法人という法人格を持っているが、こういった事務的な手続きは、やはり、日本人の手が必要である。同学園の柴田校長は、横須賀の私立緑が丘女子中学校長であり、人づてに頼まれたインターナショナルスクールに経営に参加することを反対されていた奥様が亡くなられた後に、ライフワークのように取り組んで来られたそうである。教育委員会とのやりとりは、退官前に行われており、教育委員会では部長待遇の現職校長だからこそ、堂々と渡り合えたことは否めまい。
 2003年3月25日に、学校法人の認可が降りて、同年4月に開校したわけであるが、神奈川県でも、インターナショナルスクールの設立の要望が多いが、実際の認可は、至難の技で、なんと53年ぶりに、横浜では3校目に、認可が認められたのは、属人的な要素もかなり強いと思われる。
 もちろん、無認可でやっているインターナショナルスクールもあるが、微々たる物とはいえ、県から補助金も出る学校法人という法人格を取得する、そのハードルは、極めて高い。なお、ここでいう認可とは、学校教育基本法における一条校ではない各種(専門・専修)学校としての認可である。

 ちなみに、外国人学校という言い方もある。主に在日外国人のための教育を行う日本にある学校のことで、最も多いのは朝鮮学校で、他に韓国学校、中華学校、インターナショナルスクールなどを指す。これらの学校のほとんどは、正規の「学校」(学校教育法第一条で定められるもので、しばしば「一条校」と呼ばれる)ではなく、「各種学校」とされる。「一条校」として認められるには、検定教科書の使用、学習指導要領に準拠した教育が求められる。まずは、日本に住んでいるなら日本の教育を受けるのが大原則であるというのが、日本の根本的な考え方であるからである。そもそもが、法律自体が日本人向けにできているのは言うまでもなく、外国人向けカリキュラムだと、教育特区でもとらない限り、一条校では難しい。
 あるいは、自らの民族または国の言葉を用いて歴史や文化を学び継承発展させる教育(民族教育)が十分にできないので、「各種学校」という地位にあまんじているという言い方もあるだろう。

 また、一条校に関わらず、学校の設置は容易くは認められない。まずは、学校は基本的には自己資金で経営するものであることから、資本が必要である。さらに、永続性の保証が必要であり、まず、日本で学校経営の経験があるというのは、前提にある。しかも、書類の中には、寄附行為というものがあるが、教材、敷地、人材等確保し、円滑に運営出来るという担保が必要である。
 結論を言えば、どういう人材を育成したいかという狙いがはっきりしないと、学校の形自体が決まらない。仮に、日本人を対象に日本人のニーズに応えてバイリンガルを作るなら、まずは、一条校を目指すというのが基本ではある。なぜなら、特に、「一条校」でない外国人学校、インターナショナルスクールで学ぶことは、一方でさまざまな不利益が生じるからである。最大の問題は、高等部を卒業しても高等学校卒業資格はなく、大学を受験することことができないことであろう。
 もっとも、近年、公立および私立大学の多くが、独自の判断で入学資格(受験)を認めている。それは、歴史や言葉などでは独自の教育を行いながらも、数学や理科などの授業内容や時間数が日本の「一条校」と同程度で、「大学において…、高等学校を卒業した者とと同等以上の学力があると認めた者」(学校教育法施行規則第六九条第六号)として入学資格を認めてはいる。

 話をホライゾン学園に戻す。

 同学園の様子は、添付した資料と写真を参照されたい。同校は、現在56人、うち日本人が25人である。もちろん、帰国子女であり、いわゆる外国人の中にも、両親のいずれかが日本人である者もいる。
 帰国子女の保護者が、同学園を選択する理由として、日本の学校に行くと英語力が失われるということがある。子どもは、覚えるのも、忘れるのも早い。しかし、それよりも、10年後の世界を見越したときに、国際感覚、国際的な物差しを持たせたいという発想がある。このあたりは、漠然と英語教育を受けさせる保護者とは異なり、明確な意図がある。さもないと、学費だけで120万円、その他諸々で150万円、つまり月10万円を支払うことはしないであろう。換言すれば、ここで言う英語は、国際理解の一環ではなく、英語を共通のツールとして、国際化教育を進めることなのである。そういった意味では、保護者の意識の高さ(さらには、保護者自体の語学力)が、日本人がインターナショナルスクールに通う要件の一つになる。
 ところで、現在は、1年生が18人で、3,4,5年生は、複式学級をとっているが、日本人にとっては、問題は、国語力と卒業後の進路である。外国人にしてみれば、日本の学習指導要領など、母校での進学に当たり、何の意味も持たないし、インターナショナルハイスクールということになれば、国際バカロレア試験に合格することで、世界の大学への進学はできる。前述のように、日本の大学に進学する際の問題である。
 同学園は、将来的には、中学校も作られたいそうであるが、現在は、田中校長のご尽力もあり、公立中学の引き受けと緑が丘中学の無試験入学が認められているという。ちなみに、緑が丘高校は、1年1学期から3年1学期まで2年間、アメリカの高校に留学できるそうである。それにより、アメリカの大学の受験が可能になるそうである。
 また、帰国子女でない場合の日本人の子ども達が、果たして突然にこの学園に小学生として入学してやっていけるかといえば、無理である。就学前の4,5歳からの2年間に、2000時間の英語シャワーの中にあって初めて、つまり、幼稚園があって初めて一般の日本人がインターナショナルスクールに通うことができると考えるのが無難であろう。
 同学園は、そういった意味では、日本における複線型進学の担保があって、初めて日本人を受け入れられるものになっていると言えるのである。

 いずれにせよ、インターナショナルスクール創設の要件として、@教育の対象となる子ども達 A保護者の意識、経済力、語学力 B地域性 C土地・人材等 D公的な協力 が、必要になるとまとめられると思う。
 そして、敢えて言えば、ホライゾン学園は、これらの要件を全てクリアしているということである。

 個人的には、岡山市で言えば国際福祉都市・岡山、さらに、県の国際化を目指す中で、つまりは、岡山県民が国際舞台に出ていく話と外国人が岡山に来る、あるいは生活する場合とは、峻別しなくてはいけないと考えるが、いずれにせよ、インターナショナルスクールが必要な時代が来るであろう。例えば、優秀な外国人技術者を招聘しようと思えば、家族の生活の保障、少なくとも、子ども達が通うべき学校の確保は、大前提のことであろう。
 そういった意味では、イマ―ジョン教育の意図というものが、曖昧な気がしてならないのである。

 いずれにせよ、こういった前提において、今回の報告書の主題であるインターナショナルコミュニティスクールについて報告する。今までの部分がないと、同校の意義や問題点が分からないことであろう。



【インターナショナルコミュニティスクール】

 インターナショナルコミュニティースクール(以下ICSとする)は、インターナショナルスクールとは、発想同じであるが、全く別のものである。
 幸い、こちらは、ホームページ等日本語である。(資料1−1,2,3,4,5)
 しかし、どこを読んでも、なぜ、市町村合併をしなかった群馬県佐波郡玉村町という場所にあるのか。なぜ、NPOが運営しているのか、というようなことは書いていない。
 実は、最寄りの駅からタクシーに乗ったのだが、運転手さんが存在すら知らなかった。やはり、現地で聞かないと分からない事というのはある。

 やはり、ISCにも、キーパーソンがいる。それは、同校を運営する特定非営利活動法人・多言語教育研究所理事長であるカイラン・ミックメーヒル大東文化大学助教授(英語)である。そもそも、彼女は、米国シアトル育ちで、いわゆる日本人街に近いところに住まれていたため、子どもの頃、日本の文化(それは、盆踊りだったりするが)に触れていたそうで、縁あって日本人男性と結婚され、日本に暮らすようになって、恩返しのような気持ちで運営されているそうなのである。
 それにしても、才女のはずであるが、妙に生活感のある米国人女性であり、なにかしら日本的なところがあるのが不思議である。

 もともとは、彼女のような国際結婚した5組の夫妻が、自分たちの子ども達が通うことができる学校作りを始めたのである。今、運営に携わってるのは彼女の夫妻だけになったということである。

 そして、たまたま、玉村町に、校長の義父の土地が空いていたため、わざわざ高崎から、ISCを引っ越して、現在地に建設されたのである。ゆえに、建設費は無料で、家賃を支払っているとのことである。交通の便がやや悪いのはそういった事情で、スクールバスを理事長のご主人が運転されて回っておられるのであるが、謎は解けた。

 しかし、さらなる問題は、高崎から少し離れた玉村町に、外国人が住んでいるのか、ということである。なぜ、同校が、英語と日本語とポルトガル語のイマージョン教育なのかということに関連するのだが、つまりは、日立の工場に、ブラジル人(日系含む)が多く勤めておられて、群馬県内に、ブラジル人が1.5万人いるという特殊事情である。ちなみに、校長は、ブラジル人女性で、日本人との国際結婚である。
なお、高崎市には、ブラジル人学校が3校、伊勢崎市には、ペルー人学校が1校あるとのことである。

 さすれば、こういう学校の幼稚園に、子どもを来させることができるのは、比較的裕福な日本人家庭およびブラジル人家庭である。日本人からすると、同校の教育理念に共感されて、情操教育的な要素も強いかもしれないし、子ども達に、英語に早く慣れさせたいという思いも当然に強いのであるが、逆に、ポルトガル語が必要なのかという意見はあるそうである。(資料2−1,2、資料3、4)このあたりの意識は、微妙である。

 現在は、2歳から8歳児が、オールタイムで、40人。日本人は23人で、幼稚園が中心である。というのも、玉村町教育委員会が、日本人小学生の通学につき、義務教育の観点から問題であるとして、中学校への進学を認めないという立場を取っているからである。
 特に、多文化教育を謳っているため(資料5,6)、理事長は、今後も小学校は、厳しいと考えておられ、NPO法人が運営する任意の幼稚園という現状は変えにくいものもあるかもしれない。まず、インターナショナルスクールは、厳しかろう。要件的に無理である。

 しかしながら、必ずしも学校(インターナショナルスクール)でなくとも、小学校の放課後、週末やサマースクール、地域のコミュニティーの場(インターナショナルコミュニティースクール)として(資料7,8,9)、多文化で共生する核としての同校には、非常に意味があると考える。理事長の幼少時代のように、外国人と交流することが、差別やいじめのない、本当の意味でのグローバル化、国際化に結びつくはずである。
 障害者、高齢者、外国人、女性・・・おそらく、外国人にとって住みやすい社会は、誰にとっても住みやすい社会であろう。それを目指す「学校」があっても良いではないか。

 それにしても、日本財団や県サイドからは、補助金が出たこともあるそうであるが、非常に厳しい経営環境の中で、なにがしかの行政からの支援があってもよさそうであるが、地元自治体がやや冷たいというのは、理事長の熱意を思うとき、本当に残念である、

 翻って、岡山を思うときに、本当に岡山が外国人にとって暮らしやすい街であると言えるであろうか。中国人留学生の多くは、岡山がとことん嫌いになって帰って行くというが、例えば、岡山国体が、彼らに、どういう意味があるだろう。
 地域社会において、多様なる文化を背景にして共生するだけの懐の深さがなければ、国際化という言葉は、ただの詭弁に終わってしまう。
 少なくとも、岡山に暮らす外国の子ども達がどういう問題を抱えているのか、そのことに十分な対応をしていきたい。

 憂うべきは、岡山の規模なら、インターナショナルスクールがあっても、インターナショナルコミュニティスクールがあっても良いのに、どちらもないことである。
 もちろん、これを行政サイドが率先して作っていくという例はないが、少なくとも、機運を高めていく必要はあると思うのである。それは、ひとり、インターナショナルクールのみならず、既存の地域の外国人学校について、あるいは、外国籍の方々との共生を改めて考えていく契機となると思う。

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