【報告事項】  《森林環境税の調査》

 高知県は、この春に、森林「環境」税を導入した。12月定例会で議論される森林保全税の具体的先行事例として話を伺いに行った。
 私は、農林水産委員会に属しているが、岡山県の水源かん養税から、森林保全税に至る経緯、さらに、今回示された森林保全税そのものについて、委員会での議論を経てなお、大きな疑問を持っている。とりわけ、12月定例会で、課税するという入り口については示されているが、それが何に使われるのか明確にされないままに、条例案が提出されようとする今、先行する高知県の森林環境税が実際にどのように運用されているのかをどうしても知りたかったのである。
 なお、森林保税税について、もとより、目的については賛同できても、追加課税をするということ自体を含めて、手法について明確に反対の声が上がり、議論がなされているのは、自民党内だけであると承知しているし、自民党内でも、反対の声は、少数説であると自覚もしている。ただ、内々には実は反対であるという声もある。

 おりしも、高知市は、県知事選挙と市長選挙の真っ最中であったが、概してこういう時の方が、職員の方は、余裕があるようで、かなりじっくりと話を伺うことができた。直接の担当者とういうこともあり、かなり本音ベースの話を拝聴できた。

 ところで、以後の報告書は、時系列的に、伺った内容を並べない。敢えて言えば、お二人の話を私が提言をしていく整理の中で、並べ替えた。常にそうであるが、こんなことがありましたという、子供の報告書や感想文を作成しているつもりはない。主観が入って当然であるし、じゃぁそれを聞いて、議員としてどうするんだ、の部分がなければ、県議会議員が、公費を使って、のこのこ県外調査に派遣される意味がない。

 ちなみに、岡山県もそうであるが、課税する入り口の部分と、実際に基金から事業を推進する部門は別であり、それゆえに、新税の議論は、縦割り行政の弊害がでがちである。課税までは、総務部の担当であっても、現場サイドでは、確保された税収をいかに有効に活用するか頭を悩ませる、つまり、取ってから使い方を考えるような、一般では考えられないような事態も、発生しかねないのである。  ちなみに、高知県では、入り口の話は、総務部税務課。これは岡山県も同じ。当然、大義名分を作り、課税の「手法」について考える。出口の話は、森林局木の文化推進室、あるいは、間伐推進対策室ということになる。岡山県では、農林水産部林政課がこれに該当する。(資料1)


 結論を先に言うと、二番煎じの岡山県の森林保全税は、明らかに問題があるということある。正直に書いて、情けないぐらいに、課税するということに戦略がない。いわば、課税自主権に基づく新税創設ブームに乗っかって、いかに使うかを考えることなく、取る(盗るとまでは言わないが)こと自体が、自己目的化しているのではないか。
 そもそも、例えば、環境、福祉、ITという大義名分は、我々議員が、あるいは勉強が不十分なゆえに、十分な議論がなされないままに、それは良いことだと、闇雲に賛同してしまう傾向はないか。そのことに私は敢えて警鐘を鳴らしたい。環境施策だから、何もかも良いわけではないのである。


 しかし、こういった現時点での問題点を踏まえた上でなお、全て払拭する手段があると考えた。なにより、岡山県には、唯一他県にない優位性がある。すなわち、基本的に、水源が県内で自己完結していることである。ある意味、分水嶺できれいに県境が分かれているが、実は、川、とりわけ一級河川というものは、幾つもの県を流れるのが普通であり、ゆえに、国管理なのであるが、三大河川が、水源から下流まで、その県のみを流れる、こういった県は少ないのである。 だからこそ独自に言えることがある。また、逆に、岡山県民のみが、例えば、三大河川に責任を負うのである。水源かん養に端を発する森林保全税として、まさに、岡山県は岡山県独自の施策を取ることが出来る。

 それは、都道府県としては、全国初の「森づくり条例」を制定することである。それは、職場、学校、地域、それぞれにおいて、精神条例的に、森林保全努力義務を課し、特に、森林保有者に対しては、一義的な森林保全義務を課すという内容である。後者については、特に、私権の制約を伴うものであり、行政サイドからは、非常に提出し難い類のもので、こういった条例自体、全国に例がない。実は、高知県でも、躊躇したものであり、検討はなされているが、制定自体が、難しいのではないかという認識である。
 しかし、一般県民に広く薄く課税した財源を事情はどうあれ、事実上放置された民有林の間伐にも投下するのであるから、所有者になんらかの責任が生じるのは当然ではないか。
 二番煎じがトップランナーになる方法として、私は、これを12月定例会で、提言する。ここまで、岡山県が踏み込めば、全国初である。


 それにしても、高知県の森林環境税の検討の経過は、驚くほど岡山県の流れと同じである(資料2)。いや、むしろ、滑稽なぐらい、岡山県は、丸々1年遅れで、高知県の辿った道を歩んでいる。
 いわく、課税自主権が認められた地方分権一括法施行後の12年度に、全国的にブームのように新しい税財源の研究が始まった。はっきり言えば、そこには、まず、新税ありきで、新しく課税すること自体が目的で、各自治体とも、増税の仕方を血眼になって追及したのである。いかに痛がらせずに、羊の毛を剥ぎ取るかが、行政の考える課税の基本であるから、知恵を競い合っているわけである。
 高知県も、プレジャーボート税等様々な税財源が考えたが、課税コストの問題から、結果として、三重県が、産業廃棄物税同様に、高知県は、森林保全税を「成功」させたわけである(資料3、4)。敢えて言えば、岡山県は、二つとも二番煎じである。
 ただ、今まで、法人に課税しようとか、他所の県民に課税してやれという発想はあったが、高知県が、全国で初めて森林保全の名目に、自県民に広く薄く課税することに成功したことは、総務省的には、でかしたぞ!ということである。


 ところで、ここで特筆すべきは、高知県の特殊性である。具体的には、水に対する意識である。すなわち、早明浦ダムを引き合いに出すまでもなく、仁淀川や吉野川の分水が出来る12年度までは、冬場には、毎年渇水になることから、そもそも、水のありがたみを体感しており、橋本前知事も、もとはといえば、四万十川のダム問題を争点に出てきたのである。そして、降水量が変わらないのに、年々渇水になるのは、水源がある森に問題があるのではないか、そういう意識が、常に、県民にあるということである。ゆえに、森林保全のために投資するということに、大きな抵抗はなかったということである。
 翻って、岡山はどうか。そもそもの水源かん養にどれだけの切実さがあったか。いわんや、森林まで思いが至るかどうか・・・。

 そして、そういった観点が如実に表れているのが、岡山県は、森林保全税の検討はもちろん、提言そのものが、税制懇話会によるものであった一方、高知県は、「高知の森づくり推進委員会」という新税検討部会とは別の組織が「健全な高知の森づくりに向けて」という、税の出口、使い方まで視野に入れた提言書を条例制定の3ヶ月前に提出しているのである(資料5−1)。課税自主権で新税を創出しても理解が得られるだけの現実的な認識が県民にあったのである。


 そして、少なくとも、橋本前知事は、明らかに、意識啓発のための課税と考えていた(資料5−2)。後述するが、1億4000万円の財源では、なにも出来ないのは、前知事もわかっている、しかし、県民が500円払うことをひとつの啓発、もっと言えば、高知県の宣伝と考えたのである。 失礼ながら日本一の貧乏県と言われる高知県が、その素晴らしさを全国発信する、これは、立派な戦略だと思う。
 言うまでもなく、「環境先進県高知」のアピールは、成功し、県民は、500円で、その誇りを手に入れたのである。ただし、これは、フロントランナーだから、そう言えるのある。 二番手以降は、目立たない。


 もちろん、高知県の森林保全税も、まずは、法定外目的税としての水源かん養税として検討され、しかし、その課税方式で、根拠不明(敢えて言えば、豊田市がそうだったから)の1tあたり1円の水道課税方式は見送られ、県民税超過課税方式に落ちついた。そして、様々なアンケートやシンポジウムの結果、超過課税は、個人も法人も、500円になった。
 そして、基金を設置し、第三者委員会を設置し、使途に縛りもかけた。こういった議論は、昨年の12月までに行われてるのである。岡山県は、まともに、これを追っかけているのである。ただ、敢えて言えば、高知県も、課税という目的のために、現実的な対応をしていたらこうなった、ということで、こういうストーリーに、ならざるを得ないのかもしれないが。

 特筆すべきは、今年の2月定例会で、条例と「予算議案が同時に」通ったことである。言い換えれば、課税をする条例を通すのと同時に、使い道を決めた予算も同時に通したのである。これは、当たり前のことである。新税検討プロジェクトチームのメンバーと基金運営委員会のメンバーも当然だぶっている(資料6)から、常に課税と使途は裏腹のものとして、意識されて議論されていた。ところが、岡山県は、12月定例会に条例案を出すばかりに、時機尚早なのかどうなのか、いまだに予算が示されていない。ただ課税するという条例だけ通そうとしているのである。 12月定例会に予算が示せないというのは、へ理屈で、高知県では、昨年の12月の時点で、「見做し予算」として、示されていたのである(資料7、8)。厳しい言い方をすれば、岡山県の森林保全税は、高知県の森林環境税の表面をなぞった換骨奪胎の代物と言えるかもしれない。


 ここに興味深いデータがある(資料9)。
 高知県が、実際に、1億4000万円の予算で、どれだけ間伐できるのか、という話である。実は、高知県は、新税は啓発活動に当てるものとして、そもそも間伐を考えてはいなかったのである。これだけの財源で出来ることは、たかが知れているからである。
 具体的には、人工林293000ha(自然林169000ha)のうち、資源の循環利用林、要するに、木材生産をする森は、184000ha。水土保全林すなわち、保安林として、公共事業の対象になるものが、79000ha。それ以外の普通林が、推計30000ha。
 このうち、私有財産の価値を増すことになるので、資源循環林と、また、公共事業のある保安林とを除いた、つまりは、林道から遠く離れて、荒れ放題の、にっちもさっちもいかない個人所有の普通林だけを森林環境税が対象とする森林とした。
 そして、1haあたり、30万円費用がかかるため、5年間を逆算して、1500haについて、森林環境保全事業の対象にすることにした。つまりは、普通林の20分の1である
 そして、本年度は、そのうちのとりあえずは、90ha程度を施行する。
 実は、その90haの施行地の決定もたいへんな手間で、DMの発送、アンケート調査、候補地の調査、所有者への説明、基金運営委員会の判断、協定締結、県が発注・・・・と、なる(資料10)。つまり、普通林30000haのうち、今年度、施行できるのは、90haといった雀の涙程度なのである。
 しかし、これで良いと言うのである。すなわち、水源は、基本的には通常目に届かないところにあるが、県民に分かり易いとこを絞り込んで整備する。もっと言えば、間伐予定地から逆算して、課税額を決めること自体、不可能であると割り切っているのである。
 逆に、公共事業の対象か、森林環境税でいくか、明確に錆分けするという議論は、ドツボにはまる議論である。 まともに、逆算したら、とても積算根拠は示せないのである。

 つまりは、啓蒙であり、もっと言えば、11月11日の「こうち山の日」の推進や、30校3000人の中高生を森林に連れて行くことは、間伐以上に重要だという考えである(資料11、12、13、14、15)。
 少なくとも、森林環境税で、地域の産業振興を図ろうとは考えていないのである。 もっと言えば、間伐ボランティアは、登場しないだろうが、地域の里山を守ろう、そう思い至るだけでも意味がある、ということである。
 しかし、岡山県は、実は、現段階で、こういった数字すら示せていないのである。間伐は、これだけしか実施できないけれども、象徴的に、こういう地域をこういう手法で間伐することで、こういう啓蒙効果があると開き直ることすらできていない。
 堂々と、課税は、啓蒙以外の何物でもないのだ、と言い張るのも手ではあるが、それができない。なぜなら、戦略がないからである。課税することのみが自己目的化しているからである。


 おそらく、岡山県の二番煎じの森林保全税は、このままでは大きな議論を呼ぶことなく、単なる追加課税になることであろう。あるいは、高知県の3倍強の予算をもってしても、環境先進県としての称号や、森林保全のために拠出している県民の自覚や誇りを得ることが出来ないかもしれない。
 しかし、どうせ、多数決で条例が通り、500円取られるならば、例えば、愛媛県が、高知県の二番煎じはしないぞと気を吐いているように、岡山県は、岡山県で、この際、とことん、県民の皆様に森林に関心を持って頂かなくては、課税を反対してきた立場としてはおもしろくない。
 どうせやるなら、そのことに県民が誇りを持てなくては、そして、誰もが、森林保全のために課税されていることを知り、それが何に使われているのか、理解できる状況が必要である。
 そして、敢えて、「森づくり条例」の創設を提言するわけである。精神条例的に、家庭、職場、学校、地域で、森林保全の努力義務を課し、とりわけ、森林保有者に対しては、道義的な第一次的な保全義務を課すというものである。
 森林保全は、かくも大切であり、我々は、森林保全義務を負っている、ゆえに、500円を拠出し、我々の大切な森林を守るのである。
 少なくとも、そこまであって初めて、二番煎じでない岡山独自の森林保全の施策になるのではなかろうか。

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