2009年6月29日(月) 【恒久平和町】

 久方ぶりに梅雨らしい一日です。
 64年前の今日未明、B29約70機が、焼夷弾を投下、岡山市の市街地の中心部80%が焦土と化し、約1700人の方々が亡くなりました。
 この地の防空壕で、曾祖母は赤子と蒸し焼きの状態で亡くなり、探検隊を行う西川も、亡骸で溢れたと言います。
 最も戦禍の激しかった桶屋町は、恒久平和を祈って、昭和39年に、平和町と名を変えたのです。

 岡山市戦没者追悼式では、多くの戦争、戦災ご遺族の方々や中学生達と厳粛に、平和宣言を行いました。

 それでも、ふと思う事があります。
 戦争はあくまで、人災です。政治の結果と言っても良いものです。焼夷弾が降り注ぐ状況だけが、国民の生命・自由・財産を奪うわけではありません。ある意味、我々は、政治指導者に命を委ねているはずですが、政治という名の冷戦の甚大なる国民への被害が、続いているような気がします。
 時には、選挙で市民が混乱していく・・・

『Believe Again』http://www.youtube.com/watch?v=Sw8lcBNLvRU

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