2005年5月5日(祝・木) 【明日を拓く】

 本日は、午前中、例年通り岡山県護国神社春季慰霊祭で、護国神社を参拝しました。
 まさに、五月晴れで、例年より幾分ご参拝のご遺族の方が多かったようにも思いますが、あと20年後を想像すると来賓まで含めて、おそらく半数以上の方はいらっしゃらないだろうな、60歳の私は、果たして、きちんと後生にバトンを渡すことができるのだろうかと考えると、恐く、また、淋しくなりました。

 本来の遺族の願いは、総理大臣の靖国神社公式参拝ではなく、天皇陛下のご参拝です。そして、国際法違反の東京裁判によるとはいえ、戦場でなくなったわけではない、いわゆるA級戦犯の合祀がどうであったかということです。そこは、あるいは、ご遺族の思いとずれているかもしれません。

 いろんなお考えがあろうかと思いますが、いつも申し上げますことは、ともかく、靖国神社、護国神社、自衛隊の駐屯地に、行かれて、感じるものがありませんか?ということです。理屈は、行かれてからでも遅くはないと思います。

 薫風の中、護国神社に参れば、誰が一番戦争を憎み、世界平和を祈っているか、肌で感じることでしょう。せめて、ご英霊が、岡山の山河を岡山の人々を愛し、守られたことに、その上に、我々があることに感謝の思いを捧げ、世界平和を誓うことはできませんか?たとえ、護国神社という慰霊塔で、キリスト教の十字を切っても、ご英霊は怒られないでしょう。

 ともあれ、うやむやにして後生に委ねることはできません。

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