2003年12月13日(土)
【自衛隊イラク派遣について】

                  略

 さて、自衛隊イラク派遣について、外務省の職員の方が、「テロ」で殺されたことから、なにか感情的な議論になってしまっているように思いますが、ここは冷静に考える必要もあると思います。

 要は、戦場においては、どこか卑劣な手段のようなテロというのは、一手法に過ぎないわけで、対象が軍人でないから、そう言われますが、軍人相手なら、それがテロだろうが、ゲリラだろうが、暗殺だろうが、つまりは、相手にしてみれば、純然たる戦闘行為で、戦略の一つであるということ。

 つまり、どうあれ武装している自衛隊に対しては、戦闘行為があるのであって、民間人へのテロとは、話が違うということです。自衛隊への攻撃には、戦闘、すなわち、死が待っています。


 要するに、我々は、自衛隊が殺されることばかり問題にしていますが、一番の問題は、自衛隊が、イラクの民間人を殺傷した場合の話ではないでしょうか。いや、イラク国内の抵抗勢力であれ、イラクで、自らの自衛のために、イラク人を自衛隊が殺傷すること可能性をも、この派遣は、許容することになるのだ、という視点が、様々な議論から、欠けていないでしょうか。

 君死に給うことなかれ、も、あれば、君殺すことなかれ、ということもあるのです。
 60年近く、戦争がなかったということは、殺されてもいないが、殺してもいないということなのです。
 重大なる国策の転換です。

 そこが、丸腰に近いPKOと、本質的に違うということです。戦後復興のためには、イラク人の殺傷もありますよ、という話で、命を落としにいく、気の毒な自衛隊という見方もあれば、悪意ある他国から見れば、血気盛んに、訓練を実戦に、戦闘をやりに行きたい軍隊の側面もあるのではないかと言いがかりをつけられかねないかもしれません。
 日本人が、イラク人を殺してもかまいません!と、胸を張って言えるほど、我々は国際情勢を理解してもいなければ、政治家から説明も受けていません。

 むしろ、我々は、大統領制下ではない議院内閣制において、統帥権を持つような総理大臣に対して、シビリアンコントロールを問題にすべきです。

 端的に言えば、解散総選挙で、自衛隊イラク派遣の信を国民に問うべきだと思います。少なくとも、11月の総選挙では、争点ではなかったのですから。堂々と議論して頂きたい。
 その結果として、堂々とイラクに自衛隊が派兵されるなら、それはそれで良いではないですか。

 国民の一人としては、今こそ、解散総選挙を願います。
 こないだ終わったばかりで無茶苦茶しんどいけど・・・。

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