2002年7月9日(火) 【福山市人権平和資料館】

 腰痛に雨天でも、出来ることがあるわけで、半日のとんぼ返りで、「福山市人権平和資料館」に。私的には、福山は、ほんに近所です。副館長さんのお話などを伺いました。
 この資料館は、「平和」と「人権」の両方を題材にした非常に珍しいものです。

 実は、石関町の総合福祉会館「跡」には、なにがしかの、計画があり、さらに、ハンセン病に関する資料館は、当然、長島へ、という雰囲気を感じております。
 さらに、「人権」というテーマになると、様々な問題が派生してくる、という指摘も受けました。

 さすれば、この段階で、「ピースおかやま」は、無理なのか、と言えば、さにあらず、国立病院跡地に総合福祉・ボランティア・NPO会館ができた暁には、遊休施設になるのは、総合福祉会館だけではありません。


 ところで、福山には、やはり、人権に関する運動の歴史があり、1985年の「リバティおおさか(大阪人権歴史資料館)」の誕生に呼応して、まず、「人権資料館」の建設の声が上がりました。
 その後、88年に、平和非核都市宣言の具体化のために、「平和資料館」の建設が言われ、94年に開館しています。

 この点は、岡山の現状と比べると、まずは、「平和資料館」の建設をという方が、具体性があるかもしれませんが、いずれにせよ、地域事情というものがあり、大阪で出来たこと、福山で出来たことが、たちまち、岡山でも出来るわけではありません。


 実は、同施設には、前岡山市長が訪ね、かなり具体的に、岡山市に、同様のものをという話もあったようです。
 もっとも、文化ゾーンとして一体整備されている福山城内で、土地代が要らず、4億5000万円の建設費のみ、という状況も、岡山では、考えにくいものかもしれません。ちなみに、完全に市の運営です。


 ただ、少なくとも、「平和」に関しては、資料散逸の危険と意識の高揚をもって、時機ではないか、という見解の一致をみました。岡山周辺の福山、高松、姫路、鳥取には、こういった施設があるのですが。

 いずれにせよ、このテーマは、ずっと考えていきたいと思います。

 なお、福山市の空襲は、1945年8月8日。広島に原爆が投下された2日後、終戦1週間前でした。

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