2002年2月7日(木) 【台湾より帰朝しました】

 先ほど帰岡致しました。今年の旧正月は2月12日。年の瀬の迫る台湾から関空まで2時間。かえって、関空から岡山の方が遠い気すらします。

 かなりのメールがたまっておりますが、返信については、今しばらくお待ち下さいませ。本当にすみません。
 この度は、大変なご迷惑をお掛け致しまして、本当に申し訳ありません。


 それにしても、台湾については、改めて大特集にしたいと思います。

 バイクの多さ、交通渋滞のひどさには、辟易しましたが、おそらく、日本に一番近い国。お互いに、妙な劣等感や優越感に縛られること無く、様々な歴史を踏まえても、なお、一番相通ずるものがある、そんな感じがしました。
 これは、そこらで道を尋ねるだけでも、感じられます。

 「台湾論」の影響から、どうしても抜け出せない部分がありますが、はっきりしていること、一番強く感じたのは、真摯な生き方、一所懸命生きることを日本人は、忘れているのではないか、ということです。ムキになることを恥のように思っている。こんなはずじゃなかったのに。

 特に、士林という夜店の勢いには感動しました。原宿とアメ横と南大門市場を合体させて、さらにパワーアップさせたような市場の勢い。脚立に上がってマイクで呼び込みをする若者の姿が、目に焼き付いて離れません。

 やる奴は、どんな状況であれ、やる。やらない奴は、どんな状況であれ、やらない。要するに、それだけで、それ以上でも、以下でもない。御託を並べる暇が会ったら、やれ。ただ、自分がやるかどうか、それだけのことだ。
 士林の若者に教えられました。彼らは、今、この瞬間も叫んでいる・・・。

 男性は、20歳には徴兵にとられるわけですが、真摯な生き様には、日本人の原点を見るようでした。茶髪は驚くほど少ないですが、日本文化を無秩序、無節操には受け入れていない、若者の姿があります。
 ひどく日本人が、「子ども」に見えます。もう、理屈ではなく。


 彼らは、自己責任で生きている、ただ、どこまでも、責任を負うんじゃない、駄目となれば、すぐ辞める。しかし、責任転嫁はしない。また、屋台から始める再チャレンジを何回でも認める社会。

 ある面、コミュニティー意識は薄い。それは、歴史的背景で、政治や金融機関に対する圧倒的な不信感に基づいていて、信じられるものは、自分と家族だけ、という厳しさでもある。

 向うのいわばJETRO(国交が「無い」のだから、JETROも無い。)の方の、こんな話を聞いていて、遠く日本の姿を思いました。日本も、日本人も、こんなはずじゃないのです。


 一方、少なくとも、台湾は、産業の空洞化が日本以上に深刻です。中国大陸進出は、政治的リスクと常に裏腹です。個人的には、中国進出のリスクについて、またまた非常に考えさせられました。
 日本企業も、台湾から、インドネシアに逃げたりしています。

 いずれにせよ、これからは、こういった世界規模で考えないと、地方経済も語られないのではないかな、と思います。

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