2001年10月3日(火)【平和への祈り】

 明日、岡山空港3000m記念フライトを控えて、新航路開拓どころか、新千歳に続き、仙台便もアウトのようです。やはり、発着時間に、無理がありました。

 本日、黒住教武道館で行われた「第7回RNNボランティア講座 イスラム−その平和の教え−」は、非常にタイムリーなこともあって、かなり多くの方が、聴講に来られていました。本当に内容のある、考えさせられる会でした。
 「こころ」をご覧になって来られた方もおられ、心から感謝申し上げます。

 まず、祈ること、そして、対話すること、そして、表明することが重要である、という、まさに、宗教者らしい、パネリストの方のご意見には、胸が熱くなりました。特に、自らが、イスラム教徒である日本人の方の言葉は、重いものでした。

 正直に書いて、政治や経済では、解決できない問題というのもあるように思います。理屈じゃない、感情的な部分、あるいは、もっともっと人知を超えた部分で、始まったことは、逆に、それでしか、収まりがつかないこともあるんではないか、とも思います。


 ちなみに、私が、AMDAの緊急救援で行ったイランの大地震の被災地は、アフガニスタンの国境に程近いところでした。(ご案内の通り、ああいった人道救援でも、赤「十字」は入られません。そこにあるのは、赤新月社の旗です。)
ttp://www1.pasutel.co.jp/ehimesibu/kokusai41.htm
 TVに映し出されるアフガニスタンの風景は、イランにやっぱり似ています。

 我々に、まとわりついてきた被災地の子ども達の笑顔。そうだ、彼らは、片言の英語も話していました。トラックの前をかけって先導してくれた子ども達、そういえば、皆、妙に人懐っこかった。ボールペンを欲しがったなぁ。

 実は、写真班として、私が映したイランの被災地までの、あるいは、被災地のビデオを持っています。それには、くりくりした目の子ども達が、男女まじって、テントの前で、元気に遊んでいる姿、私との無茶なやりとりも映っています。

 彼らのことを思い出しました。
 彼らが、イスラム教徒だから、なんだってんだ。イランと同じように、アフガニスタンにも、あんな子ども達が、いるのです。スリランカも、モンゴルも変わりません。世界中、子どもは子ども。そして、いつだって、子どもが一番の被害者です。また、子どもが泣くのでしょうか。


 今、私たちは、いつか歴史を振り返ると20年にも及ぶかもしれない泥沼の第三次世界大戦の入り口にいるのかもしれません。
 逃げるのではない、もっともっと積極的に、私は、愛する日本に、日本人の手で、これを止めて欲しい、そう切に願います。その方が、きっと苦しい選択でしょうが、しかし、歴史の流れの中では、正しいはずです。

 かといって、日本に対するテロの危険がないわけではありません。粛々と最悪の事態の備えはしつつも、しかし、日本独自のスタンスがあって良いのではないか。
 国際舞台で、世界平和のために邁進する日本の政治家の威風堂々たる姿を今こそ見てみたいものです。

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