2001年2月12日 【その340について】

 その340について、幾らか疑問の声を頂戴しましたので、補足致します。

 私は、皇国思想や戦争を賛美していません。
 前も書きましたが、私の曽祖母や親戚は、岡山大空襲の際、この地の防空壕で死んでおります。誰に殺されたの???
 ここ桶屋町は、多くの方がなくなり、西川に屍が浮いた地です。戦後、平和を祈って、平和町というのだ、と以前も書きました。

 私は、建国記念日を祝わない人を全く責めていません。自分が、正しい祝い方をしているとも思いません。他の方に、参拝せよとも、日の丸を揚げよとも言っていません。ただ、皆で祝えない状況が、日本の有り様が、悲しいのです。
 しかし、せめて、この日(建国記念日)に、日本を感じようと言っております。今、感じないと、きっと有耶無耶になってしまうのです。
 感じた結果の方向は、それぞれあるでしょう。別に、市民集会の方も、右翼の方も、攻めていません。それが、彼らの感じた後の行動なのですから。少なくとも、議論は始まります。
 私は、後世にこのまま引き渡しできません。

 また、天皇陛下ばんざいと叫んで祝うのだけが、良いとも思いません。根本は、アメリカの7月4日のようにならないか、という思いです。(歴史的な経緯は全く違いますが。)結果、ことさら派手なただのお祭りでも、それはそれで健全で良いと思います。お祝いできれば、建国記念日が、2月11日でなくても良いのかもしれません。ただ、紀元節という我が国の歴史を敢えて見ないのもどうかとも思います。

 問題は、こういった日を何も感じずに、休日の一つとしてやりすごすことです。我々は、5月3日も、8月15日も、11月3日も、ただの休日にしてしまうのです。
一番いけないのは、無関心です。無関心を攻めたく思います。だから、感じる努力をしよう、という主張です。こう感じて欲しい、という主張ではありません。

 また、個々の思想の違いと片づけずに、大政翼賛だの、全体主義だのとナーバスにならずに、国家観の大枠の合意、国民のコンセンサスをとるために、語り合うことを若い世代は、していくべきだと思います。
 日本を語ることは、また、世界と語ることですから、つまるところは、世界注視の中、憲法論争を徹底的に開始する時期に来ているのでしょう。

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