2001年2月11日(日) 【建国記念日】

 本日は、建国記念日(紀元節・皇紀2661年だそうです。)でしたが、日本国民として、皆様どうこの休日をお過ごしになられたでしょうか?
 私は、昨年に引き続き、護国神社を参拝し、「建国記念の日奉祝岡山県民大会」に、出席して参りました。

 岡山県議会議員では、唯一の出席になりました。拝殿は、まさに極寒でした。おそらく、憲法記念日同様、多くの市民集会が地味に行われ、右翼の街宣車も走っていたとも思いますが、個人的には、なんというか、参拝すると単純に気持ち良いのです。多分行かれれば、わかります。日本があります。

 自分の中で、整理がつかないのですが、日本人として、すがすがしい、と感じる私は、異常でしょうか?逆に、単純に祖国の誕生日を国民こぞって祝えない今の日本は、心底さみしい国だと思ってしまいます。

 真正面から、天皇制を感じることに、国の成り立ちを考えることに、我々は、臆病になりすぎています。まずそこに、事実日本があったことを肌で感じないといけません。そして、次にどうするかです。

 気付かない?気付かぬ振り?気付いても何も感じない?
 大会の決議文の中には、正直理解できない部分もあります。「天皇陛下万歳」は、喜んでしますけれども、多分今後も、どこか慣れないかもしれません。
 ただ、次の世代、例えば友紀の世代に、どう日本を引き継ぐのか、決して避けてはいけないところだと思います。重要なことは、我々の世代が、曖昧なまま、タブーにしないことです。そのためにも、肌で感じる努力が必要です。
 日本を感じなくてはいけません。ここに日本があった、今の日本はこうだ、これから日本をどうするか。ひっくるめて日本です。

 逆に、前の世代が、曖昧にすることを私は、許しません。徹底的に、日本という国のあり方を議論して欲しいのです。もっともっと語って欲しい、もっともっと受けとめよう、日本を引き継ぐために。順送りです。バトンリレーです。
 愛する日本のために。この地に生まれ、生き、生まれ出ずる人のために。

 今日は、ただの3連休の中日ではありません。経緯はどうあれ日本の誕生日でした。日本を語る日でした。真正面から日本に向かう日でした。
 30年後、我々は、この日をどんな形で迎えているでしょう?


 私は、根本的に自国を愛せない人間が、世界を愛せるわけがないと思います。国を愛することは、結局は、自分以外の人を赦し、愛することですから。

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