2005年4月15日(金) 【私心なき・・・】

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 お通夜を経て、先ほどまで、自民党青年部局の異業種交流会で、マスコミの方々と意見交換会。物珍しさもあり、大挙、20人もの方にお越し頂けました。年齢が近く、ノリが合うこともあり、このこと自体は、もっともっと早く行うべきでした。
 しかし、選挙や人事の話が出る一方で、なんとも言えない所在無さを感じるのは、昨日のローカル・マニフェスト推進地方議員連盟設立準備運営委員会の熱い余韻を私の目の前の現実に照らして、誰かと語り合うことができないからかも。
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 文教委員会の委員長も、今日ともう1回の委員会で終わりです。資料請求、発言許可等、不偏不党を意識した委員会運営に徹したつもりですが、そこには、自民党の議員への信頼がありました。

 私は、他のどの党の議員よりも、自民党の議員が勉強しているという前提に立ち、機会が平等ならば、自民党が圧勝するとの思いを持っています。

 それゆえに、我々は、中央で過半数を制し、責任与党を張ることができるのであって、数が多いのは、結果論です。
 そして、数が多いということは、少数者に対して責任があります。それが、議会制民主主義の大前提です。



 ややもすると人間は楽な方に行きたい生き物です。あるいは、既存の多数に属することを好ましく思います。ただそれでは何も変わりません。
 馴れ合いを始めた時点で、あるのは、停滞と衰退のみです。

 つらつら考えるに、様々な評価がありますが、小泉総理の凄いところは、ある種の潔さです。あるいは、詭弁を弄することはあっても、私には、そこに卑しい保身と私心(野望)は感じられないのです。これが成し得れば、その地位に決して固執しないというロマンを持っておられるのを感じます。

 その死生観には独自の哲学があるように思います。ある意味、非常に日本人らしい、最期は、自然へ雲散霧消するかのような。『千利休本覚坊遺文』なら、『死』と書いても、何もなくならないということですが。

 いずれにせよ、私心がなければ、その思いをなかなかに崩せるものではない、それが一番に強いのだというのは、肝に銘じます。


 それにしても、毎年恒例の議会人事の季節は、かなり憂鬱です。

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