2000年11月8日(水)
【広域交通物流対策委員会の県外調査より】

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 広域交通物流対策委員会の県外調査より、先ほど帰ってまいりました。ついさっきまで長崎にいた気もするのですが、伊丹空港(騒音は、かなり問題ですが、大阪の街を横切って降りる限りでは、一見の価値ありです。)経由で戻ってきて、実に早いものです。

 今回の視察は、極めて有意義かつショッキングなものでした。特に、県内調査で、興奮して書いたFAZ構想ですが、大きな疑問を持って帰ってきました。
「井の中の蛙大海を知らず」という言葉もありますが、客観的・相対的に岡山県を見る上でも、議員視察は必ずしも悪くないぞ、ということをおって報告させて頂きます。
 むしろ、後に続くであろう議員の誇りのために、お伝えしたく思います。

 報告書は、かなりの時間と労力を要するため、今日はようしません。どうかお許しください。

 また、多くのメールを頂戴して本当にありがとうございます。毎度のことで恐縮ですが、返信が、少し遅れますことをお許しください。

 内容が、全くありませんでした。誠に申し訳ありません。
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【アジア太平洋インポートマート】

 いわゆる小倉、北九州市の話です。
 鉄冷え後の都市の再生計画として、北九州市では、昭和63年から3次にわたる「北九州市ルネッサンス構想」を実施してきました。

 目指す5つの都市像のうちの一つが、「海にひろがるにぎわいの交流都市」で、日本海と瀬戸内海を臨み、関門海峡を挟んで本州と接するという地理的条件や港湾、周防灘海上に建設中の新北九州空港(平成17年度完成、2500m級)などを生かして、国内各地はもちろん、アジア諸国をはじめとする世界各地との人やモノ、情報などの交流が盛んな都市作り、を目標にしています。

 こういった交通・物流拠点の利用促進として、輸入ビジネスの支援や新たなFAZ(輸入促進地域)事業化プロジェクトを行うために、平成10年に整備されたのが、アジア太平洋インポートマート(AIM)です。

 実は、北九州市は、対等合併で幾つかの街が、昭和38年に合併してできた100万都市ですが、都心部というものが、はっきりしていませんでした。
 そのため、AIMは、FAZ機能を持たせつつも、小倉都心部の整備の中核施設とも言えます。
 ご案内の通り、JR小倉駅は、モノレール延伸、駅乗り入れやAIM、国際会議場等の建設もあり、南口、北口地区一体となって、大変貌しています。

 しかし、第三セクター、株式会社北九州輸入促進センターが設立した、このAIMですが、残念ながら活性化の起爆剤になっているようには、私には見えませんでした。致命的なのは、当初キーテナントとして予定していたヤオハンが、つぶれたことです。
 平成12年6月には、AIM内に、北九州テレワークセンターが設置されましたが、いわば国策であるFAZ指定が、実際のところ、こういった市街地活性化に資するかは、やや疑問に思えました。

 例えば、松山港や境港で、輸入を促進することの地域活性化への意味合いというのは、どうなのか注目したいところです。
 岡山に置き換えると、おそらくコンベックス岡山界隈だと思いますが、FAZ指定が、充分に生かされているでしょうか?

 ちなみに、北九州市では、響灘大水深港(ー15m。03年完了予定)も、FAZ指定されています。

【博多港香椎パークポート】

 今回の視察で、岡山県の「物流拠点性」という言葉が、とても寂しく感じたのが、いわゆる博多、すなわち福岡市です。
 九州は人口1500万人、福岡県が約500万人、政令指定都市福岡市が、132万人で都市圏人口が、220万人です。(個人的には、岡山県の2時間県域が、1600万人というデータより、現実味がある気が、します。)

 JR博多駅から、2800mの滑走路1本の福岡国際空港(騒音問題あり)まで、20分。また、JRコンテナ駅、そしてこの香椎ポートパークまでが、やはり20分。

 香椎ポートパークは、24時間入出港・荷役が可能で、22.3haの広大な敷地のコンテナターミナルです。
 いわゆる博多港は、全て公共の7埠頭、79バースがあり、最大6万5千トン級の大型船が、入ります。
 博多港は、主に、北部九州の生活物資の受け入れ港であり(北九州港とは性格が異なる)、内貿も外貿も、7:3で、圧倒的に、入りの方が、多いのです。したがって、FAZの話は出てきません。合計で、43万TEU(コンテナ43万個)は、水島港の10倍です。

 航路は現在月25航路、128便。神戸以西では唯一、北米西岸や欧州の定期航路が入ります。加えて、釜山まで約3時間、年間27万人を運ぶ航路もあります。

 おまけに、対岸には、450haの港湾物流用地、「アイランドシティ」の建設が進んでいます。

 どでかいガントリークレーンを眺めながら、こんなに極端に違うもんやこ見なんだら良かった、とため息でした。

 水島港は、そうはいっても、全国6位の取り扱い貨物量(TEUだと、16位)がありながら、港湾法上の特定重要港湾にもなれぬまま、神戸港と広島港の間で、もがいています。

 内海の難しい場所にあり、おそらくハード面では、絶対に勝てないでしょうが、それでも、小回りで生き残っていく、そういう道を模索していくしかないのかもしれません。

【ハウステンボス】

 博多港のウォーターフロントということで、いわゆる「ももち地区」の視察の中に、福岡ドームやシーホークも行ったこと、また夜には、ひとりでキャナルシティーに行ったのは、ご愛敬としか言いようがないかもしれません。

 しかし、昼食を含めて3時間、ハウステンボスを駆け回るのは、私は、仕事以外の何物でもないと思います。私は、疲れしか残りませんでした。

 ホウステンボスは、そもそも82年設立の長崎オランダ村株式会社と88年設立のハウステンボス株式会社が91年に合併して、92年にできたものです。
 実は、152万uの敷地は、工業団地として造成されたものが、長期間放置され、草木も生えない不毛の地になっていたものを土壌改良して建設したものです。
 人気がなかったのは、水の手当てができなかったからですが、1日1000トンの淡水化装置、下水道施設、発電所など整備し、運河や共同溝など環境にも配慮して建設された人口都市です。
 説明くださった松本取締役が、おっしゃられるに、ハウステンボスは、決してディズニーランドのようなテーマパークや、リゾート地ではなく、あくまで人が住む町、未来都市である、とのことです。(環境重視型の観光都市)

 総投資額は2500億円、採算ラインは、420〜430万人とのことですが、昨年は、390万人、今年はさらに落ち込むようです。
 近年は、特に台湾の観光客が、増加しているようです。

 今年は、日蘭(オランダ)国交400年。長崎で、オランダ・ホーランドを意識してハウステンボスを作ったのは理解できますが、問題は我らがチボリ公園。

 修学旅行生に、おっさん連中がまぎれながら、チボリ公園を思いました。


【諫早湾干拓予定地】

 潮受堤防の鉄板が、次々とギロチンのように落ちていったのは、平成9年4月14日のことです。あの堤防は、既に平成11年3月に完成しています。

 長崎県は、県土の45%を離島が占め、地形的にも平坦な農地が乏しいなど、その起伏に富む地形が、かえって農業の支障となっています。その中で、そもそも諫早湾は、600年以上前から干拓が行われており、今では長崎県最大の穀倉地帯になっています。

 一方、この地形は集中豪雨も起き易く、台風も常襲地帯でもあり、「昭和32年」の大水害に代表される高潮、洪水、排水不良による被害が、たびたび発生しています。

 そこで、諫早湾の湾奥部を締め切り(7050mの潮受堤防)、干拓により生産性の高い農地(1840ha、ハウステンボスの10倍以上)を造成して、地域の活性化を図るとともに、高潮、洪水から地域を守る(洪水調整容量約7200立方m)ために、諫早湾干拓事業(総事業費約2500億円)は行われているのです。

 実際、昨年の大雨の際の「冠水」も確かに早く引いたと地元の評価は高いようです。そもそも6ha単位で、1反あたり75万円(周辺100万円)の土地を誰が耕すのかは別にして、防災面からの地元の要望が強かった事業です。

 ムツゴロウ壊滅(有明海全体の沿岸部の「僅か3%に過ぎない」範囲の干拓で他所にはいます。)、シギ、チドリは消え、カモ大量飛来(但し、鳥獣保護が言えないので、禁猟区にはならず、ハンター増加。)、なぜか潮位が上がる(理由不明)等々ありますが、周辺が農村か山なので、児島湖までは汚れないと思われます。

 遠い将来、潮受堤防の外が、ガタにならないとも限りません。普賢岳が見える場所で、沈む夕日を見ながら、せめて豊かに作物が、実ることを願いました。

【ナガサキ・アーバン・ルネッサンス2001構想】

 記憶にない幼少の頃と中学時代の修学旅行と大学時代と計4回目の長崎の街ですが、もうひとつ強い印象がなかったのですが、それでもJR長崎駅が変わった(遠い未来の新幹線を意識しているのか?)のは、わかりました。

 特に、今年は日蘭国交400周年で、それにあわせて「出島」が、復元されたり15ヶ月のロングランのイベントが、続いています。とりわけ、大きな動きがあるのが、長崎駅もさることながら、長崎港周辺です。
 「みなとまち長崎」という新しい顔が、見えてきました。

 そもそも、長崎は、観光の街であり、三菱(造船)の企業城下町です。ちなみに、ここで10万トン級タンカー2隻の受注があり、しばらく良いようです。
 戦時中、戦艦武蔵が造られたのも長崎で、実は港には軍事工場が視界に入らないように、倉庫が建ち並んでいました。
 そんな経緯もあり、最近まで空き倉庫が建ち並び、港は一般市民には近くて遠い場所でした。
 そこで、港を中心に、総事業費260億円で、112haを再開発するのが、ナガサキ・アーバン・ルネッサンス2001構想というわけです。

 個人的には、玉野をイメージしました。もっとも、ホテル、コンベンション施設について見直し、事業凍結、国際観光船用の埠頭建設というのも似ているのですが。

 加えて、よそ事ながら気になるのは、イズミを中核にしてオープンした再開発商業ビルや、今年オープンの出島ワーフ(フィッシャーマンズワーフ)が、人の流れを変えてしまったことです。

 長崎は、100円で乗り放題のチンチン電車が走っていますが、旧来の繁華街は、JR長崎駅からやや離れた大丸や地場の百貨店を中心とする浜町商店街、観光通り商店街でした。
 駅から徒歩10分のところにできた駐車場がある、港の再開発は、人の流れを二極化してしまったそうです。

 2つの繁華街をどう結ぶのか、郊外のお客をどう商店街に引き戻すのか、これは岡山市の問題とも似ています。
 おそらく、高松もいずれは似たような問題が発生すると思います。

 人間世界のことですから、たいして変わりもないでしょうが、同じような問題を抱えているということは、抜本的な解決にならずとも、励みにはなります。負けたくは、ないですよね。

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