2010年11月25日(木) 【小児は、白き糸の如し】

  昨日、倉敷の17歳少年が中3の妹を刺殺するという痛ましい事件が起きました。
 今朝は、小学校のあいさつ運動で、小・中学生の顔を見ながら、コンビニの前で、「おはよう」の挨拶をしました。
 もう一方の参加者が来られず、結局一人で、高校生や社会人にも挨拶するのは、ちょっと照れくさもあったのですが。ハンドマイクを持っている方が、楽かもなぁ・・。

 改めて、朝の通勤通学時間は、交通警察協助員の方はじめ、本当に多くの方々が、子ども達を守っています。以前お願いしたこともあるのですが、パトカーも、そういう方々に声を掛けていきます。

 わが子もそうなのですが、誰が先に教室に入るか、一番乗りを競争したり、学校にきっちり間に合う時間に、元気に登校している子ども達の姿には、安心感があるのですが、あるいは、子ども達の心のどかに闇があるのかもしれないという不安もあります。特に、中学生には・・・。


 午前中は、結局、高潮対策についての協議に多くの時間を割かれましたが、午後からは、性暴力被害に焦点を当てたVSCOの「第7回犯罪被害者支援フォーラム」へ。PANSAKUのコンサートが、第1部。
 自らの性暴力の被害体験をもとに作られたオリジナルの曲ということで、加害側に立つ場合が多い「男性」の一人として、本当に重いです。
 PANSAKU= 『STAND』 http://www.youtube.com/watch?v=QgsTqwrAUGE

 第2部では、産婦人科医で、性暴力救援センター・大阪(SACHICO)の加藤代表の講演。現状で、特に、性被害に対応できる24時間ワンストップサービスセンターを創るために何ができるかという問いかけではありましたが、我とわが身を振り返りつつ、男性としては、本当に苦しくなる現場の実態について、伺いました。

 子ども達の性被害の加害者が、しばしば近しい大人であり、子どもは親の姿を映す鏡であるとすれば、子ども達に起きていることを根本的に正すには、実は、大人が、親が、変わるしかないのだと思います。


 どの子どもも、「小児は、白き糸の如し」で、関わってくる大人によって、子どもは、いかようにも染まります。命や個人の尊厳を大切にできない大人が、そうした大人を再生産することになります。
 誰もが愛されるために生まれてきた、私は、そのように信じたいです。

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