2002年12月26日(木)
【「居場所」 ユースチャレンジ21会議】

 また、一段と冷え込みます。「じゃ、これは年明けと言うことで」という会話が、妙に多かった一日でした。明日は、仕事納め。

 さて、今年度の県の新規事業の「ユースチャレンジ21会議」が、一昨日報告書を提出されました。

 「ユースチャレンジ21会議」は、16歳から21歳までの青少年で構成し、県の施策について青少年の視点から企画・立案するもので、次世代を担う青少年の社会性・自立心を育てることにより、青少年の健全育成を図ることを目的に設置されました。

 公募の29名が、3グループに分かれて、活動し、「居場所づくり」のAグループの会議は、5ヶ月間で、20回に及んでいます。会議自体が、「居場所」だったのかもしれません。
 いずれにせよ、それぞれに興味深い提言がなされています。

 報告書の提言自体を評価したり、とやかく申し上げる立場にはありませんが、個人的には、結局は、死に場所を探すのが人生のような気もしますし、また、今、私に、「居場所」があるのか、というとこれがまたよくわからず、つまるところ、青少年だろうが、高齢者だろうが、誰も皆、自分探しをして、彷徨しているようにも思います。
 敢えて言えば、「皆、居場所」がないんだよ」と、ビートたけしなら、言いそうです。

 しかも、探し求めている青い鳥は、実は、「家庭」の中にこそいる、あるいは、いるべきだ、というのも、古今東西の定説のような気もします。
 落語で言えば、所詮が、立って半畳、寝て一畳、天下とっても二合半、親子三代、明日のおまんまのことを気にせず、暮らせれば、それで幸せじゃねーかよう、です。

 久方の光のどけき春の日に、ある田舎の小屋のようなバスの待合所で、眠るように息を引き取ることが出来たら幸せだ、と思えるのは、私達寅さんファンぐらいではないでしょうか。
 いや、寅さんも、帰りたかったに違いありません。


 報告書の青少年にとって「居場所とは何か」を見て思います。

 「ありのまま」の自分が表現でき、「安心」でき、自分の「存在」を認めてくれ、「居心地のよい」空間である「居場所」が、「家庭」でなく、「刺激」を与えあう人間関係が作れ、数多くの人との「出会い」が経験でき、多種多様な「体験」が積める「居場所」が、「学校」でない、だから、「居場所」を求める、そんな現実。
 大人にとっては、「職場」も、「居場所」ではない、ということでしょうか。

 これが、現代社会の悲劇でなくて、なんなのでしょう。

 多分、「居場所」というのは、ある空間を指すのではなく、ある関係を指すのだと思います。行政が、箱や設備を作ってどうるのかな、という気も、実は少ししています。


 出会い系サイトにまつわる様々な事件が青少年を襲っています。相手は、概して大人です。しかし、青少年も、一方的な被害者ではありません。どちらも、欲望に振り回されて、「居場所」がないのかもしれません。象徴的な話です。

 政治家や政党や日本という国も、居場所がなくなっている今、社会が病んでいるというのは簡単ですが、せめて、まずは、「家庭」をお互いの「居場所」にする努力から始めたいものです。

 ・・・・・などと言いながら、まだまだ忘年会は続くのでした。

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