2001年4月24日(火)
【教育と福祉のはざ間で 早島養護学校】

 本日は、かねてより県の障害児教育係と勉強させて頂いている「医療的ケア」の現場を実際に見るべく、職員の方と一緒に、岡山県立早島養護学校を訪ねました。

 ただ、下記「その336」をご参照頂くとおわかりのように、早島養護学校は、そもそも昭和49年に病弱養護学校として、正式に開校される以前から、国立岡山療養所(「憲法」の基本書でお馴染みの第25条・社会権の「朝日訴訟」の舞台です。)の中での補習教育に端を発し、いわゆる病院に、近接しています。
 そのために、「養護学校と医療的ケア」のシビアな問題が派生しにくい、ある面、恵まれた環境にあると言えるかもしれません。

 そうはいうものの、国立南岡山療養所内の派遣学級、通称「つくし病棟」の授業風景、および生活の場を拝見して、少なからずの衝撃を受けています。詳細は書きませんが、常に医療的ケアを要する最重度の子供達だと思います。
 来訪意図をお伝えし、丁寧に説明して頂きましたが、現実はこうですよと示され、逆に、どうしたらいいのか、困惑している有り様です。

 昨年6月に、旭川児童院を訪ねたり、西養護学校には2度お邪魔しましたが、文化祭を含めれば2回目になる早島養護学校、先方には日常風景が、こちらにとっては、表情には出さないですが、驚くようなこともあります。
 と同時に、独身気分の抜けない父親ですが、親になって、ちょっと見え方が変わってきた、そんな自分にも気付きました。親ならどうする?と。
 ああ、あの妻ならば、友紀がどうあれ、どうなれ、最大限するだろうな、と妙なことも思いました。

 いずれにせよ、ともかく学齢期には、「教育」があります。ただ、「教育」の後は、「福祉」になります。なんでかな。
 医療的ケアは、まさに、学校教育と医療の間の問題ですが、18才を機に、教育が、福祉になる。しかし、18年という歳月の意味がなんなのか、教育ってなんだろう、わからなくなります。

 ましてや、なにをどこまでしていいのか、できるのか、すべきなのか、さっぱりわからない、もやもやの気持ちを抱えています。
 憲法25条を思い出しつつ・・・。

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