2000年11月30日(木)【みんな違ってみんないい】

 「その244」を受ける形で、障害を持つ子供達が、いわゆる地域の公立学校の普通学級に就学した場合の現状を見に、本日、市内のある小学校にお邪魔しました。難聴のお子さんがいる1年生のクラスの国語の授業を参観させて頂きました。

 詳しくは書きませんが、先生の目配りが、確かにたいへんだということ、それ以上に、クラスメートの幼いながらの配慮を感じました。個人的には、やはり現状の教員配置の体制のままで、あるいは設備のままで、どんどん普通学級に障害のある子供達を、というのはいささか無理があるように思いました。特に、複数の子供が、しかも異なる障害を持つ場合は、なおさらです。
 様々な面での限界というものがあり、 おそらく、現状のままでは、誰かに(それが保護者か、教員か、本人か、・・・・)、かなり負担がかかってしまうのは否めない事実だと思います。
 しっかりした体制作りが、急務でしょう。


 しかし、そういう側面を勘案しても、それ以上の効果が、あると思います。 実は、大学をかかえる地域柄、このクラスには、充分に日本語を理解しない子供を含めて、他国籍の子供が2人いました。
 社会に出て役立つことを教えるのが、何らかの形で社会に貢献できる人づくりをするのが教育であるならば、まさに、教室は社会の縮図であるし、縮図であるべきだと思います。
 外国の人も、ハンデがある人もいる、それが社会です。当然です。

 おそらくたまたま障害のある子供達は、立ち向かう強さ、自立できる力を身につけないといけませんし、たまたま障害の無い子供達は、思いやりや、いたわりの心を持たないといけません。
 お互いの立場や、習慣、考えの違いを超えて、コミュニティーを作る術を学ばないといけません。


 ただ、障害って何だろうとも思います。運動会のリレーで、クラスをビリに導く私は、ある場面では確実に障害を持っていました。いや、それ以前に、誰が完璧なのでしょう?

 おそらく、人生で何の問題もありませんでしたという人間がいたら、それ自体が、問題です。家族だの性格だの容姿だの、なんもかも良いです、と言い切ることのできる人間は、皆無でしょう。(いたら、それはそれでつまらん人でしょう。)
 一般的に障害者と言われる方といわゆる健常者は、たまたま障害や問題が、顕在化して他人から分かり易いかどうかだけの違いです。
 誰もが、ある面、障害者です。それゆえ結局はお互い様なのでしょう。持ちつ持たれつです。

 もちろん、正直全てが個性です、と言い切ったり、許されるほど、世の中は甘くないと思いますが、障害という個性があるのだと思いたいものです。
 「みんな違ってみんないい」のです。

 いずれにせよ、文教委員会の所管事項を一般質問で聞くのは「禁止」が、暗黙の了解ですが、代表質問で重複しなければ、今回の件につき、教育長に方向性をお尋ねするつもりです。

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