2011年6月17日(金) 【『文化の創造』を言う前に】

 金曜日恒例のモーニングセミナーのあと、頭も回転しない、いたって地味な一日。
 夜には、ライオンズクラブの新旧役員会。来年7月からの大役が迫っていますが、一緒に活動してくださる方をいよいよ募集中です。


 ところで、改めて岡山県の文化行政について考えております。

 知事は提案説明で、昨年度開催した国民文化祭の成果を継承・発展し、新たな文化の創造と、文化を核にした地域づくりに向けた取り組みを進めていくことが重要だとおっしゃられました。

 しかし、「新たな文化の創造」と「文化を核にした地域づくり」というのが、第9回おかやま県民文化祭の舞台公演や作品展示などを盛り込んだメインフェスティバルを岡山市で開催したり、県民局ごとの地域フェスティバルや後楽園周辺にアート作品を展示する「岡山芸術回廊」などの事業の開催が、中心で、イベント重視の感は否めません。

 個人的には、既存の文化の尊重や継承・発展もできていないのに、「新たな文化の創造」などと、よう言うたなぁ、と感心します。そもそも、「文化とは何か?」「創造とは何か?」、知事のあるいは、県文化行政における文化に関する哲学というのが、私は理解できません。
 東京の真似事が文化ではなく、岡山には、岡山の誇るべき文化があるはずですが、国文祭は、その継承・発展になり得たろうか・・・。検証も、十分では内容に思います。


 ひとつの課題として、石井知事が財団法人の理事長を勤める林原美術館の問題があります。

 林原の件は、岡山県経済においても、極めて残念なことですが、一方で、同社は、メセナ事業にも熱心で、林原共済会を通じて福祉文化活動を行い、林原美術館、林原自然科学博物館なども運営しています。

 林原美術館は、岡山城二の丸屋敷で、対面所(迎賓館)があった場所に、当時の三木行治知事も深く関わって、1961年に財団法人を設立し、1964年に岡山美術館として開館。その後、岡山県立美術館設立・開館に先立ち、1986年に、林原美術館に改称。

 日本をはじめとする東アジア地域の絵画や工芸品と、旧岡山藩主池田家から引き継いだ大名調度品を中心とするコレクションで、池田家伝来品には、能装束・狂言装束など能・狂言に関係する優品が多く、国宝の「太刀 銘吉房」や「洛中洛外図」(池田本)などが、代表的な収蔵品です。

 役員会では、更生手続きによって、同財団の約1万件の所有品とは別に、同社や前社長らからの指定文化財を含む寄託品の散逸を懸念する声が浮上し、岡山ゆかりの資料も多く、文化財保全の観点から、従来通りの一括保存を求める考えでまとまったとされていますが、その後どうなったのか。
 また、岡山県としても縁の深い林原美術館にたいして、いかような支援が行うか、答えを出さなくてはいけません。


 さらに、カルチャーゾーンの話。

 岡山県立博物館内に、岡山カルチャーゾーン連絡協議会がありますが、ご案内の通り、後楽園、岡山城界隈には、多くの文化施設がありますが、 岡山後楽園、岡山県立博物館、岡山県立美術館、岡山県天神山文化プラザ、岡山県立図書館、ルネスホールは、県施設。岡山城、岡山シンフォニーホール、岡山市立オリエント美術館、岡山市民会館は、市の施設。夢二郷土美術館、林原美術館は、民間の施設です。これに加えて、素晴らしい画廊も、たくさんあります。
 しかも、行政直営もあれば、指定管理者による運営もあり、財団法人立のものもあります。

 これらの施設それぞれに、青少年の体験学習や若手育成など文化活動の登竜門のような事業が、継続的に行われてしかるべきです。いわゆるアワードも、あって良いはずです。
 単発のイベントをするのではなく、カルチャーゾーン内の施設が連動する動きが求められます。

 平成18年2月定例会でも指摘しましたが、国民文化祭を経てなお、県と市と民間の施設の共通入場チケットが、いまだに存在していません。まさに、これが、縦割り行政の象徴的な姿です。カルチャーゾーン周遊ループバスや、水上交通があって、普通の街。「文化の創造」以前の話ではないか、と思います。

 なにより、県都・岡山市において、県立児童会館改め未来科学棟、生涯学習センター、池田動物園、京山ソーラーグリーンパーク、光量子研究所、国際交流センター、きらめきプラザ、総合グラウンドと、このカルチャーゾーンを大回遊すれば、岡山の文化に触れて、子ども達の可能性が無限に広がるゾーンになるのに、15年間も、体験ラリーも何も考えない方が、私には、不思議です。よう垣根を越えられない・・・。
 むしろ、正直なところ、県行政のやる気や、センスを疑っています。


 さらに、継承・発展ということでは、桃太郎少年合唱団があります。

 この春、ウィーン少年合唱団が福島第1原発の事故を受けて、4月末から6月まで予定していた日本公演の中止しましたが、1962年の岡山国体開催を記念して、ウイーン少年合唱団の倉敷青陵高校体育館での演奏に強く感動した当時の県知事三木行治氏の提案で、「青少年の健全育成と地域音楽文化向上」:を目的に創設されたのが、桃太郎少年合唱団です。

 団の永続を願って、財団法人として法人化され、いよいよ来年創立50周年を迎えます。160名の応募者から厳しいテストを受け第1期生43名が合格し、当時の県文化センターで練習が始まり、その後、県立児童会館・同別館、そして現在の県立生涯学習センターと演習拠点が変わっていますが、今も岡山県の誇る少年合唱団であり続けていることに、心から敬意と感謝を表させて頂きます。

 ただ、少年時代のわずかな期間だけ与えられ、ときに元気よく、ときに繊細な歌声を聴かせるボーイ・ソプラノは、聴く者を魅了しますが、少年少女合唱団は、全国約1000団体と推計されますが、40団体以上あった少年合唱団は、約10団体と減少しています。減少の理由は、著しい少子化、学習塾隆盛、少年のスポーツ志向、経済的問題に加えて、規律と気品を重んじ協力的態度をもつ少年を育てようとする社会教育事業の一つとして設立されたものの、行政を含めたバックアップ体制が、弱まっていることもあると思います。

 こうした中、50周年を迎える桃太郎少年合唱団については、本来であれば、晴れの国おかやま国体でも、国文祭でも、もっともっとスポットライトが当たるべきであったように思います。

 毎年、桃太郎少年合唱団のX’mas会では、ずんぐりむっくり体型であった故・三木知事縁のサンタクロースの服を着て(ぴったりなのは、喜ぶべきか?)、プレゼントを配るのが、理事としての私の主な役割?ですが、今年は、ガボガボです。50年経って、OBの方々が、懐かしく三木知事ついて話されるときに、羨ましくなりますし、政治はこうあるべきだと思うのです。

 果たして、50年後に、今の県政を懐かしく語る当時の子どもが、いるだろうか・・・。子ども達にとって、心温まるエピソードが、無いですね。

 それにしても、棚田先生の中学時代の教え子ではありますが、桃太郎少年合唱団のOBではありませんし、音楽の成績も当然悪かったにもかかわらず、体育会系文化部の早稲田大学グリークラブに、入部してしまいました。

 夏の北軽井沢合宿で、クビになった理由には、GNP(何の略かは秘密)もありますが、「楽典」も読まず、楽譜も読めなかった事が、大きいです。


 音楽は力です。馬場俊英=『クロノス』
              http://www.youtube.com/watch?v=32VQMio4BCE&feature=related

Copyright (c) 2010 SHINJI SATO Inc. All rights reserved.satoshin.jp