2001年5月25日(金)
【モンゴル・『ふるさと』・マンホールチルドレン】

 1999年9月30日に設立された、いわゆる、マンホールチルドレンの収容所を訪問しました。自動車教習所の向かいのこの施設には、もともとソ連軍が駐留していました。

 ウランバートル市営ですが、収容された児童は、下は、3〜4才から、18才まで。つまり、3才の子どもが、街中で保護されるのです。そして、彼らは、この施設の目的である「家庭への帰還」を果たせても、再び街中に、この施設に、帰って来ることも多いのです。
 なぜなら、家では、食えないからです。

 そんなわけで、収容人員も、約140人から200人と流動的。小学校1〜3年生の基礎教育や職業訓練を受けますが、向かいにある普通の小学校には、なかなか入れません。

 どこか暗い目をした彼らが、歌や踊りで歓迎してくれたので、「ふるさと」を返歌しました。そのお返しは、「どうして私達には、お母さんがいないの・・・・」という趣旨の歌でした。

 私達の故郷は、「ふるさと」で、歌われるほど、美しいものではないかもしれません。しかし、彼らの「ふるさと」は、もっともっと厳しいものです。

 元ロシアの軍事施設の中に暮らす子供達。いつの時代も、一番大きなひずみは、子供達に表れてしまいます。
 日本の子供達も、ある面では、被害者です。
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【モンゴル時間】
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 首都ウランバートルから、70キロのあたりが、日本で言えば自然保護国立公園になっています。その風景は、まさに絵葉書そのもの。360度広がる緩やかな丘陵は、草原となり、馬、牛、羊、やぎ、ヤク、ラクダが、思うがままに、若草を食んでいます。
 もちろん、柵などなく、お椀をひっくり返したようなゲル(いわばテント)が、点在しています。

 巨大な岩山も連なり、こんなところに恐竜の20〜30匹が、群れをなしていても、なんら不思議もない、そんな圧倒的なスケールで迫ってきます。ああ、馬に乗ってしまったことも、正直に告白します。
 ポコポコ乗っていると、私のDNAは、騎馬民族でなく、海洋系ものでないか、と確信しました。懐かしくも何ともない、チンギス・ハンは、知りませぬ。

 それにしても、こういった大自然の中で、動物や植物と共生している暮らしを見ると、なにを日々あくせくとやっとんのか、人間が一体なんぼのもんなら、と万事が、あほらしくなるような気がします。
 だから、どうした言うんなら、人間もただの動物じゃ、どうせいつか死ぬんじゃ、どーでもええがな。あくせくしても始まらまぁ・・・・。

 その結果か、10人乗りのバスは、動かなくなり、そこからはモンゴル時間。代替バスが来るまで3時間以上かかりました。まだ明るい午後9時になって、ウランバートルの帰途へ。
 もっとも、モンゴルらしい場所で、モンゴルらしい時間を過ごしてしまいました。なんだ時間は、こんなにゆっくりしたものなんか・・・・。改めて思いました。

 しかし、黒い体に、白い眉のとぼけたモンゴル犬と遊びながらも、こうして「こころ」に、お伝えするほど、結局は追いまくられ、逃げ切れない自分を感じます。なにより、その方が、楽なのでしょう。
 やっぱり、私は、急いでいます。やらにゃぁいけんことが、ぎょうさんあります。止まると死ぬ!!


 遠すぎて、一回。人情や風景と分かれがたく1回。こんな毎日の中で、それを思い出して一回。モンゴルの「三度泣き」です。

 地球温暖化、環境破壊は、しかし、いつまでもモンゴルをモンゴルのままで、いられないようにするかもしれません。それを恐れます。

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