2005年1月20日(木) 【頑張ろう!学童保育】

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 本日は、さんかくナビ事務局を訪ね、先日発表された「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する基本計画(案)」について等々お話を伺った後、市内の学童保育(行政的には、放課後児童クラブという言い方をしますが。)を一日かけてお邪魔して回りました。
 私の選挙区には関わりなく、南輝、開成、幡多、宇野学区の学童保育の現場を回らさせて頂きましたが、各地域の状況により学童保育のあり方も多様ではありますし、直接は、市の所管なのですが、その社会的重要性を鑑みるにつけても、県内の市町村全体を包括するような、ある種の基準が必要な時期に来ていると痛感致しました。
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 個々の学童保育の取組みについての言及は避けますが、全体を通じて感じたのは、放課後児童クラブの持つ社会的意義が、今後益々重要になり、また、指導員の身分保障も含めて、指導員の責任や果たすべき役割が、今後益々大きくなるだろうということです。

 保育園の「保育に欠ける」というほど、概して、学童の場合は、厳密ではありませんが、特に、「保育」という言葉の意味が異なるのでしょう。
 おそらく、学童保育の場合の「保育」は、「保護」とか「育成」の意味であるのだと思います。


 また、強く感じたのは、児童が、校内のグランド脇にある、時にはプレハブ造りの学童保育の部屋は、「ただいま〜」と言って「帰る」場所であり、指導員は親のようにそれを受けとめ、異年齢の子ども達が、あたかも兄弟のようにふれあう、まさに、学童保育は、「大家族」のようである、ということです。

 おそらく、今子ども達が、学校から帰るなり、ランドセルを投げ出して近くの公園に遊びに出ても、友達はいないでしょう。あるいは、ベビーカーのお母さんがいなくなった夕方の公園は、むしろ危険な場所かもしれません。

 たとえ「お帰り〜」の声があっても、公園に誰もいない、兄弟もいないならば、多分、彼らの拠り所は、ゲームとビデオやTVでしょう。時には、彼らは、孤独の中、妄想を膨らませるかもしれません。
 男女共同参画社会において、母や妻が、いつも家にいれば良いというものでは全くありません。

 しかし、学童保育にいけば、間違いなく仲間が、うじゃうじゃいます。しかも、異年齢の中、大人によるある種の仕掛けも必要ですが、疑似兄弟のような連帯感も、生まれます。

 また、高学年だからと言って、集中管理のマンションだからと言って、「鍵っ子」が、安全とは言えなくなっています。

 そういう意味では、少なくとも校内にある学童保育は、安全性の担保があります。


 あるいは、岡山のように、地域が加わった運営協議会に補助する仕組みですと、地域との連携も生まれて来ます。



 ただしかし、学童保育には、明確な基準がありません。基準がないので、良い部分もあれば、行政の責任が曖昧な部分もあります。
 少なくとも、基準がないために、ハード面の不備や、指導員の不安定な身分が是正されない傾向はあります。


 そこで、私は、埼玉県が先駆的に作った「埼玉県放課後児童クラブ運営基準」の岡山県版を是非作るべきであると考えます。
 基準に足れば、さらに支援もするし、足らざれば、補助もするという基準です。

 本会議と違い、また文教委員会と違い、ゲリラ戦のように発言ができる青少年問題・男女共同参画特別委員会に備えて、今しばらく勉強させて頂き、必ずや提言させて頂きます。


 あ〜それにしても、思うに、選挙権は全国民に与え、行使は、18歳以上から。それまでは、親権者が、子供の分を代理行使できるようにならないかしら。

 世代間の公平な分担と我が子の世代に借金を背負い込まされるぐらいなら、親が子供の代弁をしてやりたいですよね。
 そうすれば、投票率も、若者の政治離れも絶対に解消されます。

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