2003年4月22日(火)  【ガス化熔融炉】

 本日午前中に、倉敷市が発注元になったPFI手法によるガス化熔融炉の着工、安全祈願祭が、水島コンビナートD地区で行われました。実に久方ぶりの市外へ。

 慣れない水島で迷子。大遅刻でしたが、逆に、商店街を含めて、水島を体感できました。

 結果として、倉敷市選出の県議会議員以外の出席は、なぜか私だけでしたが、平成17年にこの施設が完成するまでは、岡山市が、ダイオキシン対策のできていない倉敷市のゴミ焼却炉の一部肩代わりで、一般廃棄物の受入れをするわけですから、岡山市にも無縁ではありません。

 なによりも、倉敷市の一般廃棄物の中核清掃施設と水島コンビナートの産業廃棄物を同時に資源化(ガス等をコンビナートで消費)するという、ゼロエミッション対応施設として、全国最先端の注目のビックプロジェクトと言えます。

 実は、最終処分場は、さらに併設して作られる予定ですが、このガス化熔融炉は、一般廃棄物、産業廃棄物、ごちゃまぜで五種分別も不要になる、新しい最終処分の形と言えるかもしれません。
 豊島の三菱マテリアルに、ある意味似ています。


 ところで、D地区と言えば、川崎製鉄。ご案内の通り、昨年9月に、NKKと川崎製鉄は、持株会社「JFEホールディングス」を設立し、新たにJFEグループとしてスタートしており、今回のPFIも、JFEエンジニアリングスの設計施工で、官・民出資の特定目的会社である水島エコワークスが、PFI事業者ということになります。

 私も、水島コンビナートの工場敷地に入ったのは、小学校以来の気もしますが、D地区の突端、最終処分場を埋め立てて、県の外郭団体が経営破綻させ、民間に譲ったたゴルフ場、水島ゴルフリンクスに行くには、JFEの工場脇を通らねばならず、これは来難いと実感しました。

 逆に、ガス化熔融炉の耐久年数が越えても、真横に、増設できそうで、瀬戸内海を目の前にして、不思議な気がしました。


 ところで、岡山県が、倉敷市水島地区の国有地を買収して、「水島コンビナート」となる一大臨海工業地帯の開発を始めた野は、1952年。ここから、岡山県は、農業県から工業県に生まれ変わりました。

 当時の三木行治知事は、軍需工場跡地の水島地区を中心とした沿岸部に企業の誘致を計画。県民所得も大幅増。
 一時は、県税収入のうち、約1割を水島地区の法人税が占めていたそうです。

公害訴訟もありましたし、重厚長大産業は、まさに変革期にあるとは言え、コンビナート界隈を走れば、まさに先見の明。こういったスケールが、県政のスケールなのでしょう。


着たきりすずめに、大手饅頭。岡山県政の歴史には、三木行治という偉人がいます。

三木行治と言えば、「私心なき献身」。岡山の偉人は、清貧というより、私心がないことに特徴があります。

 そういった精神風土を今まさに、蘇らせないといけません。

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