2001年5月13日(日)
【苫田ダム 自然と・ずっと・なかよし】

 本日は、午前6時に家を出て、国道180号から、高梁で、313号、湯原から東に、富村を抜けて、奥津に。苫田ダムの定礎式に出席させて頂きました。それにしても、湯原から奥津に抜ける県道は、トトロの「猫バス」と何台もすれ違い、粗大ゴミや  (・・・)の一つも遺棄されそうな、山道でした。
 お勧めは致しませんが、一度体験されては如何でしょう。

 県議会議員は、全県選挙区と思われていらっしゃる方もおられますが、恥ずかしながら、こうして身を動かして、やっと10市18郡の位置関係が、わかってきた、という有り様です。小学生の社会科です。
 それでも、まだ阿波村には、行っておりません。

 ああ、ここがあの先生の地元か、と顔を思い浮かべて、なんとなく雰囲気がわかるといった感じで、とりわけ県北になると、行けば行くだけ、岡山市と問題意識そのものが変わってくるのも仕方ないと実感します。
 「田舎ネズミと街ネズミ」ではないですが、やはり、よそ者にはわからないことも多々あるようにも思います。

 そんな県北のいわば山里に、苫田ダムは、造られます。


 そもそも苫田ダムの構想が発表されたのは、昭和32年。完成が、平成16年の予定ですから、まさに半世紀を要した大プロジェクトということになります。
 地元奥津町あるいは、鏡野町の町史は、この苫田ダムとともにあったと言っても過言ではないのではないでしょうか。

 とりあえず、岡山県の公式のサイトは、下記のものです。
ttp://www.pref.okayama.jp/doboku/kaihatu/tomata.htm


 まず、苫田ダムは、吉井川水系吉井川に、建設される他目的ダムです。


 この点、漠然と旭川と思われている方がいるのではないか、と危惧します。津山を流れているのは、何川ですか?と言われて、例えば、岡山市民の何割が、吉井川とまともに答えられるでしょう?
 国道53号では、建部町のあたりで伴走するのは、旭川だから、53号が通過する津山も、そりゃぁ旭川が流れているんだろう、と案外思われていると予想します。

 じゃぁ、旭川ダムや、湯原ダムは、どこにあるんだ、ということで、旭町から、落合、久世、勝山、湯原と、真庭郡をしっかりと北上できるイメージが、湧かれますでしょうか?(頑張れ!!旭川流域ネットワーク!!)

 津山市から北上。苫田郡の鏡野町、奥津町ときて、苫田ダム、その先には、上齋原村、人形峠です。
 岡山県民で、苫田ダム建設地が、わかっておられない方が、おられるんではなかろうか、ちょっと気になります。

 申し上げたいのは、このぐらい、下流部の人間は、上流のことに、無関心であることに平気であるということです。事情が分かりません。


 ところで、吉井川は、その源を中国山地の三国山に発し、津山市を貫流しながら、途中、加茂川・吉野川・金剛川を合流して、岡山市西大寺で、児島湾の東端に注ぐ、延長約133kmの河川です。流域は、3市7郡にまたがり、約29万人が、生活されています。

 しかし、この吉井川流域では、これまで幾度となく洪水に見舞われ、多大な被害を受け、また小雨のための渇水被害も度々発生していると言われます。
 最近では、平成10年の10月17日、18日の10号台風で、津山市の全戸数の3分の1が、浸水したのが、記憶に新しいところです。
 (なお、苫田ダム完成後は、70p水位が下がると言われ、床上浸水はゼロになるそうです。)


 そこで、苫田ダムは、こうした治水、利水両面を担う目的で建設されるものとされ、昭和47年度から、実施計画調査に入り、昭和56年度に、基本計画を策定し、建設事業に入りました。2回の基本計画の変更を経て、平成8年には、下記、苫田ダム建設事業についての答申が出されました。
ttp://member.nifty.ne.jp/aqua/suigen/tomada.htm
 しかし、こんな年表で、ひとことで記されるほど、簡単な経緯でなかったのは、ご案内の通りです。

 なお、一般的に、苫田ダムの目的は、洪水調節、流水の正常な機能の維持、農地への灌漑用水(約243ha)、上水道用水(日量40万立法m)、工業用水(日量8500立法m)、発電(最大出力4900kw)と言われていますが、この点に、疑問の声が上がり、訴訟になっているのも、また事実です。
ttp://www3.ocn.ne.jp/~pokorin/damu/tomata.htm#uttae


 水没地域の方々、関係地域のご協力で、ダム建設用地の取得が進み、現在99%のところまで来ています。
 また、付け替え道路の建設も進み、平成10年には、国道179号の付け替え約7kmのうち、約4.5kmを供用開始。現在約72%の進捗率です。 さらに、湖岸道路約13kmのうち、工事用道路としての使用を含め、現在の進捗率は、75%です。

 そして、本体工事は、平成11年3月着手。私も出席させて頂き、記憶に鮮明な同年6月に、起工式。本日が、定礎式でした。今年度中に半分まで打設が進み、平成16年度完成予定という流れです。
 ちなみに、定礎とは、構造物が、礎から水平、垂直であるかを検知する礎石を据え付けることを言います。


 国土交通省に、津田永忠がいたら、苫田ダムをどうするか(百間川河口もそうですが)、私にはわかりません。

 ただはっきりしていることは、今となれば、故郷を失った方々のためにも、完璧に竣工できることと、地域振興(例えば、湖面橋や奥津温泉が人で賑う)が、極めて重要であるということです。なにより、苫田ダムは、所期の目的を十分に果たさなくてはいけません。

 湖底に沈む定礎式会場で、素晴らしい「きやり」を聞きながら、せめて工事の無事を祈るしか今の私にはできませんでした。
 いずれにせよ、私の人生以上の歳月のここまでの経緯を、一刀両断にする術は、もちあわせません。

 自然と・ずっと・なかよし・・・・苫田ダムのキャッチフレーズです。
 ちなみに、総事業費は、約1940億円です。


 本日午後からは、夫婦でご案内頂いた運動会とMOZさんのJAZZコンサートに。「決められた通りにできないからJAZZやってるんです。」そうは言っても、セッションするわけですからね。ボーカリストのその言葉で、旦那を連想するのは、どうかと思うんですが・・・。

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